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中東系CAを21歳から目指して29歳で合格するまでの道のり

こんにちは!
29歳でクウェート航空に合格し、その後現地に渡航したmizuhoと申します。さて今回の記事では私が中東系客室乗務員になるまでの道のりを赤裸々に綴っていきたいとおもいます。

タイトルにもある通り、私が「中東系の客室乗務員になりたい」と行動し始めたのは21歳の時。そこから現在のクウェート航空に内定をいただいた時の私の年齢は29歳でした。

夢を現実のものにするまで実に8年もの月日を要したのです。

インターネットの海をさまよっていると、「新卒で合格!卒業を待たずに現地に渡航」「初CA受験で内定!」「ANAJALダブル内定♡」など、良いか悪いかそんな情報がたくさん目に入ってきます。

でも、実際に私のような人間だっています。
やりたいことを諦められなくて、でもいきたい会社の面接に落ちて落ちて落ち続けて、泣いての繰り返し。
もういいかな、もうやーめた、とおもっても心のどこかで引っかかっていて、クルーネット(航空業界専門の就活サイト)の通知をOFFにできなくて。それを8年、私は続けてきたのです。

CA受験に挑戦される方、CAを目指されている方に向けて。

この記事で書く私の人生の経験談が参考になれば幸いです。

客室乗務員を目指したきっかけ

そもそもなぜ私は中東系の客室乗務員になりたかったのでしょうか?
なかなかないアンサーだとおもいますが、私の場合はずばり「消去法」でした。

大学3年生の秋、周りは就活の準備をはじめ、企業のインターンに参加する友人もちらほら。私も就活しなきゃいけないな…と考えたときにふと頭によぎるのは「働きたくない」の文字。

そうです、働きたくなかったんです。できることなら家で一生ごろごろしていたい。もし自分に能力があるならマンションオーナーになって月々の家賃収入で生きていきたい。いわゆる不労所得。あぁ、働かずに生きていきたい…といった風に、私は根っからのニート気質でした。

ありがたいことに母子家庭で育ったにも関わらず、母は女手一つで私と3歳年上の兄を大学に通わせてくれました。
でも大学を卒業してしまったら、自分の生活は自分で賄わないといけない。ご飯を食べるお金は自分で稼がないといけない。嫌だけど仕方がないしなあ~と重い腰をどっこらしょと持ち上げ、当時21歳の私は周りの友人にならって就職活動をはじめました。

働きたくなかった私は当然行きたい会社ややりたい仕事はありません。
それでも就職活動のために「自分が楽しく働けそうな仕事をしよう」という軸を決めました。

自分が好きなことってなんだろう?
・お料理。→レシピを考えたりする人になりたいな。あ、でも管理栄養士の資格が必要だったりするのか。うーん、また学校にいくなんてめんどくさいしムリムリ。

・読書。→出版社に就職?でもそこまでの学歴も頭も実力も無いし自分にはムリムリ。

・旅行。→旅行が好きだし旅行代理店だったら楽しく働けそう。よし説明会にいってみよう。あ、旅行パッケージをお客さんに販売する仕事なのね?そうじゃなくて自分が旅行に行きたいんだけど…ずーっと朝から座ってる仕事なんてつまんない、ムリムリ。

あーあ、旅行代理店の添乗員さんとかになれたらいいのになあ。
そしたら世界中仕事で旅行にいって、楽しく働けそうじゃん。

ん?添乗員?
まてよ、"客室乗務員"ってどうなんだろう?

飛行機に乗ったら必ず機内にいるCAさん。あの人たちってもしかしてフライトが終わったらステイ先を楽しんでるんじゃない?

もしかして、客室乗務員って私が楽しみながら働ける職業なんじゃない?

自分の"やりたいこと"に気づいた瞬間でした。
忘れもしない大学4年生の春、リクルートスーツに身を包み、旅行代理店の説明会帰りの道中。「CAを目指してみよう」とそれまでなにもなかった自分の中に"やりたいこと”が芽生え、目の前が明るくなったそんな日でした。

なぜ中東?

就職活動にかかせないのが情報収集。
CAになると決めた私はいろんな会社の情報を調べ始めました。

日系は縦社会で体育会系なのは周知の事実で、私の目指す働き方ではないから外資系の航空会社にしようとこの時から決めていました。
小さいころから何回か海外旅行に連れていってもらって興味があるから、将来は海外に住みたいな。グローバルな環境で英語を使って仕事ができたら格好いいかも。

そこで見つけたのがカタール航空、エミレーツ航空、エティハド航空といういわゆる中東の航空会社。
こちらの航空会社の客室乗務員になるとなんと会社の寮に無料で住ませてもらえて、お給料からは税金が引かれない。さらに世界中から集まったクルーと世界中をフライトできるらしい!なるほど、中東にある航空会社って私が求めている条件にフィットするのかも。

・多国籍な環境/同僚と仕事ができる
・お給料から税金が引かれない
・自分の国籍にかかわらずすべての路線に乗務できる

以上の3つの点が私の目指すべき労働環境だ、とこうして中東の航空会社のCAになることを目指し始めたのでした。

大学卒業から1社目の航空会社に入社するまで

周りは就職活動真っ盛りの時期、でもそんな中いきなりCAになろう!と思いたった私。目標を考え出すと止まらず、それ以外にやりたいことがなかった自分は大学卒業後にずっといってみたかった海外留学にいくことを決めました。
一生に一度の"新卒ブランド"を捨てて行動するのには大変勇気がいりましたし、今思い返してもちょびーっとだけあの時ちゃんと就活してればよかったなと1mmだけ後悔することもありますが、それでも当時の自分はやりたいことがCAになる以外に見つけられませんでした。

大学を卒業してからさまざまなアルバイトを掛け持ちして資金を貯め、フィリピンに1か月、マルタ共和国へ7か月の合計8か月間語学留学へ。さらに留学から帰国してからCAになるために透明のマウスピース矯正も開始しました。

語学留学前は400点台だったTOEICのスコアも帰ってきてからは700点台までアップしていました。が、留学費用・矯正費用を貯めるためにフリーターで働いた期間を合わせ帰国したころにはもうすでに24歳になっていました。

さてここからどうやってCAになったものか。

一般的な就職活動と違ってCAになるためのいわゆる専門的な"CA受験"に合格するには何も知らない私一人の力では限界があるな、と感じていました。
私が語学留学から帰ってきた2017年当時、今のようにSNSが発達しているわけではなく個人で活動しているCA講師という方もそこまでいらっしゃらなかったため、航空業界専門予備校のVICエアラインスクールに入学しました。

この時の入学金と授業料はあわせてなんと60万!

語学留学に歯列矯正、さらには予備校の授業料まで、、自分で汗水垂らして働いたお金が一瞬で消え去ったのもこの期間です。

今ではLINEのオープンチャットで無料で情報交換ができたり個人で活動されている方にお願いすれば2~3万で対策講座が受講できたりと本当にいい時代になったなとおもいます。
そういえば私がCA受験を始めたときにLINEオープンチャットなんて使わなかったなとおもって調べてみるとこちらの機能が使えるようになったのは2019年からなんですね、そりゃ知らないはずだ。

だけど、とにもかくにもCAになりたい一心だった私はもう後には引けなかったのでこういった予備校に入学して情報収集をするしかありませんでした。

VICエアラインスクールは英語の履歴書の書き方や英語面接対策など親身になってお手伝いしてくださったため、総合的に私は入学してよかったとおもっています。決して安くない金額ではありますが、ここに来なければ本当に何もわからないままだったので。

ここから私のCA受験がはじまります。

いざ中東のCAになりたいとなかなか応募が出なかったり、応募しても書類すら通過しなかったり、あっさり一次面接で落ちたり、、。

航空業界は転職する方も多いと聞いていたのでこの時は中東系航空会社に限らず、日系を除く募集が出た航空会社ほぼ全てに応募していました。

KLMオランダ航空、カタール航空、エミレーツ航空、エバー航空、大韓航空、マカオ航空、エアアジア、キャセイパシフィック、スクート、、書き出せばきりがないほど。

何度も何度も履歴書を書き、企業研究をし、面接へ出向き、不合格を告げられては泣き、落ち込みを繰り返し、、最終的に内定を出していただけたエアアジア・ジャパン株式会社に合格した時の年齢は25歳と3ヶ月でした。

このままCAになるなんて夢のまた夢かも、あんなにたくさんのお金を払って、面接にいくのにもお金を出して、もう疲れちゃった。私はCAになんてなれないのかも。と完全にふさぎ込んでいる私にとって、合格通知のメールは全ての救いのようなお知らせでした。

全世界に蔓延するコロナ禍


2019年1月に上記のエアアジア・ジャパン株式会社に入社し、訓練を終えラインアウト(客室乗務員として独り立ちすること)してからも中東の航空会社で働きたい、という思いが消えることはありませんでした。

エアアジアグループはかなり大きな会社で、エアアジアから他社へ転職する方もたくさんいればおなじように他社からエアアジアグループへ転職してくる方も多くいらっしゃいます。
航空会社、特にCAは会社によって特色はあるものの機内での仕事はほぼ同じ保安業務・機内サービスなので業界内の転職は他業種に比べとても簡単でポピュラーです。

会社のお休みがあればこっそり面接へ赴き、また落ちる日々、、。

実は中東の航空会社に転職したいんだ、とこっそり周りの同僚に話していると「私の知り合いにカタール航空に10回不合格で11回目で合格した人がいるよ」「オーストラリアのワーホリ中にエミレーツのオープンデーに参加して合格した人がいるよ」と中東のCA受験に関して情報を得ることができました。

私も何回落ちてもいいから中東へいきたい。
いろんな国から集まった同僚とグローバルな環境で働きたい。
もっと英語を勉強しよう。
オーストラリアのワーキングホリデーにいって、エミレーツ航空のオープンデーとやらに参加してみよう。

こう考え出すともう止まりません。

ふつふつとした中東航空会社への思いがまた点火され、もうどうにも自分を抑えきれなくなってしまったある日。
フライトから降りてオフィスに帰ってきたその足で上司のもとに向かい、退職する旨を伝えました。

さすがに中東の航空会社に行きたくて、とは口に出していないのですが、転職が多いこの業界。今思えば当時の上司も私の気持ちを汲み取ってくれたんだと思います。
「自分で決めたことなんだから、がんばってね」と背中を押してくださり、前向きな退職となりました。

エアアジアといえばアイコニックなこの制服!

エアアジア・ジャパン株式会社の退職日は忘れもしない2020年3月31日。
会社を退職したらオーストラリアにワーキングホリデーにいこう、と計画していた人生のプランが新型コロナウイルスによって全て変わってしまったタイミングでもありました。

東京OL時代

2020年4月1日。はれて無職。
同時に日本全土に緊急事態宣言が出された時期でもありました。

新型コロナウイルス。
海外に旅行に行けない?それどころかワーキングホリデーも?いやまって、そんなこと心配してる場合じゃない。
たくさんの人が亡くなって、たくさんの企業に影響が出て、、未曾有の大災害でした。

コロナ禍に関してたくさん言及したいことはありますが当時の私の状況にフォーカスしてお話しすると、自分の人生の舵をおもいっきり切らざるをえない、そんな状態でした。

ワーキングホリデーにいこうと思って退職したのに!
その計画はまる崩れに。

ううん、どうしよう。
どうしようどうしよう、、。

とにかく働かないと!
働いて、自分の食いぶちを稼がないと干からびて死んじゃうよ。

航空会社の従業員が解雇に、運行路線が停止に、など不穏なニュースをみるうちに今はCA受験のことを考えている場合じゃないな、とライフプランの練りなおしをせざるしなければならない状況になってしまいました。

そうだ、東京いこう。

とにかくCA受験はいったんやめにすることにしたので、当時の第2の夢でもあった憧れの丸の内OLを目指して一般企業への転職活動を始めることにしました。

転職活動を始めて4か月後の2020年8月、無事に東京のとある不動産会社から内定をいただき26歳で東京のOL生活をはじめることとなります。
前職が客室乗務員という一般企業には不向きな経歴な私を快く迎えてくださった大変理解のある会社でした。

(余談なのですが夢だった丸の内OLにはあと一歩届かず新橋・有楽町OLになったのでした。笑)

やっぱり諦められない中東への未練

当時2社目の職場となった不動産会社には前職が客室乗務員の方が多くいらっしゃいました。さらに同年代の女性の方も多く、仕事中のスモールトークは結婚・出産・子育て・育休、、

そんな中いまだにクルーネット(航空業界専門の就活サイト)の通知をONにして、だんだんとコロナ禍が落ち着いてからの航空会社のCA募集のお知らせを心待ちにする私。

実はコロナでなくなったけど本当は中東の航空会社へいきたかったんですよね、と日系大手航空会社から転職されてきた先輩にある日ふと本心をもらしました。

そうすると先輩は「え!いいじゃないですか。私はもうお腹いっぱいになるまでフライトしたし今は旦那さんと休日を合わせたいから土日休みのこの会社に転職してきたけど、もし英語が喋れたら私も外資系の航空会社で働いてみたかったですよ」

えー。
先輩はお腹いっぱいになるまでCAをされてたんだ。
お腹いっぱいになるまでフライトをするってどんな感覚なんだろう。

いいなあ、私もお腹いっぱいになるまでCAしてましたって言ってみたいなあ。

2022年、28歳。周りの友人は結婚や出産を経験し、ライフステージを大きく変えていたころ。28歳というそろそろ将来のことを考えて女性ならではの選択をしなければいけないころ。

いや、まあ、私国内のLCCだけどCAを経験したし。
制服姿をインスタグラムにアップしてたくさんいいねもらったし。
もう28歳だし。
今から海外に出たところでどうするのって感じだし。
日本で結婚して子どもを産むなら今がちょうどいい年齢だし。

いろんな「CAにならない理由」をたくさん見つけては自分を押さえてつけていたころ。

カタール航空のアセスメント東京で開催されました。

ふーん、まあいってみるか、暇だし。
自分の英語力がどんなもんか試してみたいし、お遊び程度に参加してみるか。

こう思って勢いで参加したアセスメントでなぜかぽんぽんぽんと最終面接まで進むことができました。

カタール航空のアセスメントは最終面接まで進むと生まれつきの傷やあざ、その他ワクチン接種歴の身体に関する申請書類を書かなければいけません。その中の項目に黄熱病のワクチンを打っているかのありました。これはおそらくアフリカ地域へのフライトがあるためだと思います。

最終面接の前日夜、母に電話して母子手帳に黄熱病のワクチン接種歴の有無の記載があるかを問いました。
「最終面接までいったんや、すごいなあ。受かるとええなあ」
旅行好きな母は私がCAになることを陰ながらいつも応援してくれていた存在でした。

しかし最終面接を終えた2日後、私の手元に届いたのは残念ながら不合格通知のメールでした。

もう一度母に電話し、不合格だったことを伝えました。「お母さんごめん、また受からんかった。私、なんでいっつも最終で落ちちゃうんやろう」もういい歳になる大人が大声でわんわん電話越しで泣いていました。

カタール航空へのアセスメントへは4回目の参加、2回目の最終面接での不合格でした。

"暇だから""タイミングがあったから"
"お遊び程度に"参加したアセスメントに落ちて、こんなに泣くほど悔しいんだ。

私、大声で泣くくらい中東のCAになりたかったんだ。

心の底から溢れる見て見ぬ振りをしていた本心に、100%気がついた瞬間でした。

年齢なんて関係ない

カタール航空の面接に落ち、やはり中東の航空会社で働きたいと自分の気持ちに気づいた2022年、誕生日を迎えた私は29歳になっていました。

もしかしたらもうこれがラストチャンスかもしれない。

今まで我慢してたことを全部やり切って出し切って、自分が満足するまで納得するまでやってみよう。

周りは結婚、出産、昇進とライフステージを変えていってるけど。
私のやりたいことはそれじゃない。

私のやりたいことは、世界中から集まったクルーと、世界中にいくことだ。

どちらかというと自暴自棄、やけくそといったほうが正しいかもしれない心情でした。

この頃からCA受験の情報収集のためにtwitterアカウントを作成したのでご存知の方もちらほらいらっしゃるのかもしれないですが、2022年12月、29歳と3か月の時に現在の勤め先であるクウェート航空に内定をいただきそちらを承諾しました。

中東の航空会社のCAになりたい、そう思ったときから実に8年もの月日が流れていました。

渡航手続きのために外務省へ。自分にこの日がくるなんて


おわりに

こうして自分の軌跡を綴ってみましたがいかがでしたでしょうか。

もちろんすんなりと夢を叶える人もいらっしゃるかもしれませんが、私のように大きな大きなまわり道をしてきた人間もいるということを知っていただきたくてこのnoteを執筆しました。

ワーキングホリデーだって学生時代に休学していけばよかったかもしれない。
歯列矯正だってもっと早くから始めておけばよかったかもしれない。
学生のころからもっと真面目に勉強をしておけば今こんなに苦労することはなかったかもしれない。

自分の人生を振り返ってもっとああすればよかった、こうすればよかったというのは山ほどありますが、私は私の歩んできた道こそが今の自分自身そのものを形成しているのだと最近思うようにしています。

その時の最良の選択をして、自分が今ここにいるのだから。だから自分のしてきた選択は決して間違いではなかったなと思います。

この記事を読んでくださっている読者の方へなにか支えになりましたら幸いです。

ここまでお読みただきありがとうございました。

mizuho

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