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no.17 コミュニティ内に新たな余白を作ること①

成熟しつつあるコミュニティに入っていくのは、新規メンバーからすると様々な心理的ハードルがある。勿論誰が悪いなんてことはない、自然な流れだ。
既存のメンバーの活動を妨げるものではなく、新規メンバーもコミュニティに溶け込み、既存のメンバーと新規メンバーが混ざり合い、よりそれぞれの交流が活性化される形が理想と考える。

そのようなハードルを越えて、新規メンバーがコミュニティ内でより交流を生む為の僕の案は、「コミュニティ内に余白をつくること」だ。


オンラインサロンのコミュニティタイプは様々だが、僕が所属しているMBラボでファッションを軸として重要だと考えるラボの要素は、

学び と 交流

共通認識が多いメンバーが集まるコミュニティでは交流によって、上記の要素はより相乗効果を生む。


しかし僕が参加してからコミュニティについて気になっていたこと、

コミュニティの成熟度が高くなるにつれて、メンバーの自発的な行動が活発になり、管理者が発信をせずとも自然とコミュニティは回り始めるが、新規メンバーは習熟度や繋がりがまだ薄い状態ではその輪の中には入りこみにくいと感じた。

繰り返すようだが、

それは誰が悪いなんてことはない、自然な流れである。

イベントの参加、スレッドへのコメント、自らの発信についても、その属性にもよるが新規メンバーからすれば心理的ハードルは高い。「いいな」と思っても、いいねを押すのすら躊躇してしまう事だってあるのだ。

過去の積み重ねも含め、既存の今までにコミュニティをつくりあげてきたメンバーと新規メンバーとのコミュニティに対する参加度合いの差が、それを引き起こすポイントだと考える。

参加度合いとは交流の数値でもある。

そして交流を0→1にするハードルは高いが、1→100へは意外と加速的に拡がったりする。

まずは小さくてもコミュニティ内で交流を始める事が必要だ。
その為に「コミュニティ内に余白を作る」

「コミュニティ内に余白を作ること」の前に、前提の話として心理的ハードルについて具体例を出してみる。

例えばスレッドにてアイディアなどをコメントで募集されていた場合、コメントするハードルは非常に高い。勿論、どんなにはじめましての関係性でもそのような場面でコメントをできる人はいる。しかし、大多数はコメントができない。

アイディアなんてものは大なり小なり湧き出てくるものだと思う。僕自身イベントの企画案を募集していたスレッドを見た時、コメントをしたかったができなかった。参加したばかりのコミュニティ内で、的外れな事を言ってしまったらと思うと怖かった。今はそのように思わなくなったが。

コミュニティに対しての理解度、発信者への関係性、ファッションというテーマならその習熟度、あらゆる要素で優れた人がいる中でコメントをすることは様々な事を危惧してしまう。

的外れな事を言ってしまったら、反感を買うような事を言ってしまったら、実際はそのように受け取られる事はほとんどないのだが、最悪を想像してしまったりもするのだ。それをクリアするべく企画を以前行ったこともある。考え方としては限りなくコメントをする事自体のハードルを下げるものだった。以下参照記事。



オフラインのイベントはさらにハードルが高い。

誰しもが経験したことがあるかと思うが、まだ交流があまりない状態で一つの輪の中に飛び込むのは勇気がいる。

友達がいない学校の初登校日、知り合いのいないコミュニティのイベント、上手く馴染めるだろうか、浮いてしまわないだろうか。

正直に言うと本人の努力も多少は必要だが、ずっと馴染めずにいてしまったら、その人は疎外感を感じてしまう。

緊張をしても割と平気で突っ込むタイプの僕も、イベントに参加したい気持ちがある上で見送ってしまう事があった。


以上の心理的ハードルを感じてしまう事に関しては、コミュニティ内でも共感してくださることが多かったように感じる。多くの人はこの問題をどうにかしたくて、コミュニティ内で活発に交流されているほとんどの人も、今までにマイノリティのポジションを通過している。

最初に企画したイベントの反応はそれを物語っていた。以下参照記事。

この時に行った企画は、交流そのもののハードルを下げることがテーマだった。

試験的な要素は強かったが、イベントの仕組みとして参加者全員に交流が何度も発生するもので、この企画自体には可能性を感じ、貴重なデータとなった。

このようなイベントの仕組みとして、自然に交流が発生するタイプのものは以前から多く考えられていると思う。


近年では人狼ゲームを使った交流も該当するだろう。以下参考リンク。


最近僕が参加しているもので言えば、皇居ランもその一つになった。

元々は学生時代の先輩に誘われて断れないお誘い、苦手な朝一、気が進まないまま参加したのだが、これが意外と良い。先輩の他に一緒に走っているというメンバーの方が2人いるのだが、終わるころには自然と打ち解けていた。

皇居ランといういつのまにか有名になった皇居の周りを走るという行為は、若干のミーハー感があるなと引いた目で見ていた事もあったが、ただ走っていれば自然と会話が生まれる。他にできることがないことも重要だ。以下皇居ランについてのリンク。

さらに、もう一つポイントだと感じたのは共通の境遇があることだ。

僕達は仕事の前に走っているため、皆頑張って早起きをして、わざわざ集まっているのだ。言うなれば同じ苦難を越えて、これから仕事に向かうという共通点がある。初めて会った方々もなぜか一種の連帯感のような、安心感を得る事もできた。

それらによって交流の心理的ハードルは低く、よりスムーズな交流が生まれたように思う。


オンラインサロンコミュニティでは、5期生として参加した新入生歓迎会でも近い感覚を得ている。

内容で言えば、新入生の為のイベントテーマなので、参加者がフォローされる事への安心感が、参加への心理的ハードルを越えやすくしてくれた。

また、5期生として右も左もわからずに、恐る恐る参加している同じ境遇を持っているメンバーが沢山いることが大きい。

わからない時は共にわからない、不安に思っているのは自分だけではない、同じ気持ちを共有している。

それらを逆に言えば、既存のメンバーと新規メンバーはその時点では異なる境遇にいて(その時の気持ちに寄り添ってくれる既存メンバーも多い前提で)既存メンバー達こ話にはなかなかついていけない。

以上の点を踏まえて、介在余地の少ない空間には入り込みずらいので意識的に余白を作ってみる事にした。

コミュニティ内に新たな余白を作る事で、新規メンバーの介在余地を生み出し、0→1の交流から始め、既存のメンバーとの交流に拡げていく。

新たな余白を作り介在余地を生み出す具体案については、次回の記事に書いていきます。



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