寂しいと幸せと死にたいの話。


この頃、食べたり、暖かいものを飲んだりすると、身体が熱って、汗がふき出す現象に見舞われている。

体温も平熱が37度にいかないぐらいがデフォルトになり、健康なのか不健康なのかよく分からない状態だ。

通院してから、かれこれ三年近く経つ、かかりつけの心療内科の先生(雰囲気が堤真一みのあるイケメン)に月一の通院日に相談したところ、「自律神経の乱れですね」と言われた。ぐうの音も出なかった。

そう言われたのに、私は昨日は朝7時ごろに寝て、何度寝かを繰り広げ、ベッドから出たのはおよそ22時ごろ。見事なまでの昼夜逆転。

体力も無く、気圧の変化にも弱い。引きこもりなくせに太陽を浴びないと、目に見えて元気が無くなる。

本来ならば、誰よりも規則正しい生活を送る必要があるのにも関わらず、側から見たら、自堕落な生活の代表例でしかない。

仕事もしてないので、特に用事がなければ、極論を言えば起きてなくていい。猫のごはんとトイレのアレコレ以外、ずっと夢の中で過ごしていても問題ない。(厳密に言えば、そんなことはない)

一ヶ月ぐらい前までは、異常なほどの酒を欲し、少々の量とはいえ、毎日のように飲酒していたが、その衝動もどっかへと消えてしまった。

私自身、別に酔っ払いたいから飲酒をしているわけでもなく、ただお酒の味が好きなのと、「今日は飲みたくないなあ」と思っていても、冷えたグラスに満ち満ちた濃密な泡が乗った黄金の液体を一口飲めば、最後。そこからスイッチが入ってしまい、空くグラスと比例して、お財布の中の人口が減ってしまうなんてよくあること。

しかし、それよりも懸念しているのは、ふつふつと湧く寂しさの存在だ。

前の記事でも書いたかもしれないが、起きていて、シラフの時は寂しさの存在なんて、これっぽっちも気に留めていない。

たまーに(今日あった)考え込みすぎて、やたらと孤独感を具現化させてしまう時もあれど、基本は寂しくない。

寂しくない、のに、ある程度のアルコールを摂取すると、寂しさが「大将、今日もやってんね!」なテンションで顔を出すのだ。夜更け間際でやってくる迷惑な常連客のように。

そうなると、どうなるか。

恥ずかしいのでぼかして書くと、起きた時、LINEのチャット欄の上段がダダダダっと異性で埋め尽くされている。さらには、お互い何も感情がなく、でも、思春期の頃からの私を知っている元彼に「結婚して」なんで送っているのだ。返ってきた言葉は「疲れているのね」だった。

(この元彼、私と同じくバツイチで、遠方に住んでいるので、万が一にも本当の意味で縋れないという点が一つの安心感でもある)

それもまた、私の中にある残されたカワイイ要素の一つかもしれない。寝て起きたら、寂しさは眠りについている。なので、寝たら私の勝ちなのだ。

ただ、寂しさより、厄介なものもある。

涙が出るほどの幸福感ほど、恐ろしいものはない。少なくとも、私にとっては。

普通、幸福感を抱いている状態は、とても健やかなものだと考えられる。私も例外ではない、と言いたいところだが、私の幸福感なのか、私が幸福感を抱いている状態は、少しばかり違った。

幸せすぎると、死にたくなる。

過去、希死念慮と戦ってきたが、それのどれもがネガティヴな感情故のものだった。けれど、ここ最近の希死念慮はその真逆にいる。幸せなのだ。めちゃくちゃ。今の自分はすごく幸せ。そう感じれば感じるほど、「この満ち足りている状態で死んでしまいたい」と思ってしまっている自分がいる。

もしかすると、満足感の果てにあるものは、色んな意味での“終わり”なのかと感じた。

少しベクトルをズラす。私は今、好きな人がいる、らしい。なぜ他人事なのかというと、今までの恋愛感情とは、様子が違うからだ。

過去の恋愛は、ずっと「相手に好かれなきゃ」「価値ある女にならなきゃ」「付き合いたい。特別になりたい」が強かったし、むしろそれでしかなかった。

それが今や、「好きなのは私の感情であり、それを相手に押し付けるものではない」「付き合いたいと好意を抱くことは似て非なるまの」「好きだからこそ、今後の人生に私が関わらなくとも、幸せであってほしい」へと変わってしまった。

そうは言っても、自分の傍に好きな人がいてくれたら嬉しいだろうし、体験を共有できたなら、きっとそれは幸せなのだろう。でも、それはあくまでも、私の主観に過ぎない。相手に対して、それを強制してしまうのは、全く以って別の話なのだ。

あと、いくら自分の価値観が変化したところで、特定の相手が出来れば、多かれ少なかれ執着が芽生える。相手の幸せを願っていた筈なのに、嫉妬で心が燃やされてしまう可能性だってある。他人の幸せと比べて、勝手に落ち込むことだって、今までの経験からして、ゼロとは限らない。

何よりも、生死のどちらにも執着してしまいそうなこと。それが一番怖い。

人並み以上の物欲はあれば、派手な物事が好き。悟りとは程遠い俗物的嗜好も息している。でも、生きることにも、死ぬことにも、何もかもに執着したくない。153cmの小さな身体にこんな矛盾を抱えて生きている。これこそが業と言えよう。

まあ、こうして綴っていようが、本音は「傷つくのが怖い」と「傷つけるのが怖い」の二つに要約できてしまうお話ぐらいに思っておいてもらえたらいい。

実年齢を重ねようが、思考を無駄に複雑化させること、やたらと言葉が多いことなどは、何ら変わりない私の面倒くささだ。でも、これだって、私のカワイイ要素なのだから、死ぬまで愛すしかない。その一択に尽きる。


2021年10月3日 夜明けに向かう風で寒い。

ご飯かお酒か、猫たちの何かを買います!