創造的せっくす


一つ前の記事を読み返してみたら、あまりにもガチガチな文章で笑ってしまった。

文章に色気を纏わせるにはどうしたらいいのか。

ばかすか買って見事に積読されている本の中で、見事読了に辿り着いた一冊が壇蜜さんのエッセイ本だ。

中身はまーったく堅苦しくなく、日記形式のため、文量自体も多くない。小難しい表現を使っているわけでもない。

それでも、間違いなく文章には独特なエロスが仄かに香るかのように纏っている。

壇蜜さん自身もエロスを纏われてる方とはいえ、文章からも色気を漂わせられるなんて、才能なのか、経験からなのか。

兎に角、堅苦しい文章、きっちりした文章が人を惹きつけるわけではない。エロスとは曲線で、角張ったものとは相反しているのだから、まあ当たり前の話でもある。

うーん、色気なあ。

「攻めた記事を書かないんですか?」と言われても、じゃあ今までみたいにただ明け透けに自分の床事情を書き連ねたところでそれに需要があるとは思えない。

というか、自分にとってすごくつまらない。

だからと言って、ひねってひねってひねくり回した表現をするのも、またそれも違う。

そもそも、以前から発信していた“セックス”よりも、自分の創作意欲?を掻き立てられるような行為を出来ていないわけだ。

結局、今それについて書いても、過去の記憶を再解釈するだけの陳腐なものになる。

むむむ。困った。

特定の誰かと親密にならなければ、精神状態はとってもラク。フリーダム。

でも、感情の振れ幅がなくなるから、明らかに創作意欲が消える。見事なほど、消える。

発信する側ではなく、受け取る側としてだって、恋などしてたほうが映画や音楽も入ってきやすい。まあ、これは女性特有かもしれませんが。

…どーしよーねー。

超恋人欲しいでもない。セフレは基準が不明。

物を書きたいがために飲み会を組んで、わざわざお持ち帰りなんてことはしたくない。

どうせ同じ行為をするなら、お互いに同等の興味と恋愛感情でなくとも好意を抱き合っている仲のほうがいいじゃない。当たり前?そうね。

我が敬愛する石田衣良さんも、「セックスは好きな人とたくさん」と仰っていた。百万回頷いた。


あんなに簡単に出来て、そこそこライトに楽しんでいたセックスって、こんなに難しかったのでしょうか。私が難しく考えすぎなだけでしょうか。

ただ、発信や創作意欲のために〜なんて看板を掲げておきながらも、健全にドハマりするそれと出会ってしまったら、心身共に満たされて、書く気力が今度こそゼロになってしまうかもしれない。

そうなったらそうなったで、マドカ・ジャスミンの行き着く先だったというわけで。人生。


なんか、ただ欲求不満な話を膨らませただけになってしまって泣いた。


2021年10月13日 どう?みんな最近してる?


ご飯かお酒か、猫たちの何かを買います!