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「お金」についてダラダラ考える。

今日たまたま、お金配りおじさんの👇この記事を読みました。

前澤さんのNoteを読む前は、ただのお金持ちで派手なことを色々している人だと思ってて、どちらかというと好きではなかったなぁ。

でも今回Noteを読んで、自分がモヤモヤと考えていたことが書かれていて、なんかすごく嬉しくなって、泣きました。

2020年、ワーホリでフランスに居た私は、ロックダウンを機にオンラインサロンに入ってみて、そこで知り合った人と色々話したり、オンラインで語学レッスンしてみたり、TABICAっていうオンライン体験のホストをやってみたり。

そんな中、「お金」が大きな引っ掛かりで。

今まで、雇われてずっと働いてきた私は、サービスの価格を自分で決めることは無くて。

オンラインでのレッスンや体験を提供する上で、知り合いの意見や相場を参考にして価格を決めるわけです。

価格が高いよりは低い方が、多くの人に提供できるとは分かっていても、「お金を稼がなくちゃいけない」ので、ある程度の価格を設定したり。

でもレッスンや体験を実施するにつれて、「お金」が発生する場合と、発生させずに友達に提供する場合で、自分の感情が違うなぁと気付いてくる。

「お金」が発生した方が、レッスンを受ける人が本気になる、とか。

提供する側も、サービスの質にちゃんとこだわる、とか。

社会貢献も、ボランティアじゃ続けられないから、とか。

確かになぁと思う理由もあるんだけど。

結局「お金」が人の「やる気」とか「責任感」とか「幸福感」とかを大きく左右してて、そこがなんか、どうしようもなく悔しい。


お金が発生しないレッスンだと、支払わなきゃいけない金額の心配が頭をよぎったりする。(すごく嫌)

お金が発生するレッスンだと、どうしても「お金を頂いているんだからしっかりやらなきゃ」っていう感情が、純粋にレッスンを楽しむことを邪魔する。「お金を払った意義があったな」と思ってもらえる内容にしなきゃ、と考えたり。純粋に「楽しんでもらいたい」っていう感情100%でやりたいのに。

そうして世の中を見てると、「売れるため」にサービスを考えるっていう形が見えてきて、なんかそれが悲しくなってきた。

Youtubeを始める人が急激に増えて、再生回数が増えるように内容を考えたり、サムネをデザインしたり。

その先に「お金」が発生しなくても「これをやりたい」と思ってやっている人は、どのくらいいるのか。

「お金の心配」がなかったら、他のことやりたいって思ってる人がどのくらいいるのか。

自分がやってきたことは、その先に「お金」があるからやってるのか、ただ楽しいから、やりたいからやってるのか。

「需要があるかどうかは大事」とか

「やりたくなくてもやらなきゃいけない仕事がある」とか

そういうのは勿論そうなんですけどね。

前澤さんのNoteを読んで、自分がなんとなく思ってたのは「お金がなくなった世界」だったんだなぁと気付いた。

『「お金がなくなった世界」をテーマに映画をつくりたい』と最後に書いてあって、めっちゃ協力したいと思った。自分も観たいし、他の人にも観てもらいたい。

何の知識も技術もないから無理か~という気持ちもある。

でも、たとえ無給でも協力したいくらい、「お金がなくなった世界」の映画にワクワクを感じる。

けど、やっぱり自分には支払わなきゃいけない債務や、将来かかる出費への不安があって、無給で何かをやるくらいなら、やりたくない仕事をしなきゃだよな、という感情もある。

結局、お金に支配されてるーーーー。

実際思うのは、お金がないと生きていけないし、お金のためなら何でもする人がいる。お金は力。

お金がなかったら、きっと存在してない素敵な食べ物とか、洋服とか、サービスが沢山あると思う。それが豊かさってやつなのか?

同じように、お金がなかったら、きっと存在してない悪とか無駄が沢山あると思うんだよ。

ふう。

この件については、いくら考えても終わりはないと思うので、このくらいにしようと思います。

おわり。

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