【日記】会話ってなんだろう?

最近、思考することが増えた。
というより、余計なことを思考する余裕が出てきたというべきなんだろうか。
とにかく、ここ数日の私は日々様々なものに思考を巡らせながら生活している。

先日、反出生主義について知った。存在そのものは知っていたんだけど、別に興味なかったし、「つーか今ウチらが生きてるっていう事実が大事じゃね?」って思ってた。ていうかまだ思ってるんだけど。
でも、「ただしい人類滅亡計画 反出生主義をめぐる物語」を読んで、面白い考え方だなって思った。そんで読んでみるまで知らなかったんだけど、この話は様々な「主義者」が登場して対話という形式でお話が進んでいく。それが良かった。各々の主張がすんなり入ってくるし。人は生まれてくるべきではなかったのか、その答えは私には壮大すぎてわからないけれど、答えを考えている時間は楽しかった。
そして厳密にいうと、私は読んだわけではなくてAudibleで聴いたので、プロの方が朗読してくださったのだが、オレンジ(登場人物のひとり)が声も相まって可愛くて好きです。思想も似ているっちゃ似ているし。

ただ滅を読んで私はふと思いました。
「なんで人は対話をするんだろう?」
対話形式のお話だからか、そんな疑問が湧いて出た。ほろ酔いの勢いで、少し考えてみることにすふ。

まず頭に浮かんだのは、以前に読んだ本の一説。

対話には、情報や気持ちを共有して安全感を高めるという働きと、異なる視点を利用して、考えを深め対立を解消していくという、統合的、弁証法的な働きがあると言えるだろう。

岡田尊司(2011)『人を動かす対話術 心の奇跡はなぜ起こるのか』PHP新書

要するに、「共感(安全感を高める)」と「議論」の2つの意味を持つってことなんじゃないかな、と私は解釈しました。
よく言うじゃない、「彼氏に仕事の相談したら全然共感してくれなくてえ、むしろ『ここが出来てないから怒られるんだよ』みたいな説教が始まって最悪〜」みたいなやつ。
いや、決して悪い例で取り上げているわけじゃないんだ。気持ちはめちゃめちゃわかるし(共感)、私も共感を求めたコミュニケーションをすることがある。ただ、この例の彼氏の返事は、具体的な対策を提案しコミュニケーションを「議論」に持っていこうとしているようにみえる。彼女の方は「共感」を求めているにも関わらず、だ。
そんな感じ。対話は、こうして2つの役割を持っており、そのために行われるのだそう。
余談だが、所謂「女性脳のコミュニケーション」と「男性脳のコミュニケーション」というのはこういったすれ違いによるもので、ただ単にお互いのコミュニケーションの求めている側面を違って捉えてしまっただけで、当たり前だが別に性別は関係のないものなのだなと思う。(男女でその捉え方に偏りがあるのでは?という話はしないでおこうね。だって知らんし)

そう考えたら、ただ滅で行われていた対話は「議論」の方にフォーカスを当てたものだったように思う。「考えを深め、対立を解消する」という、まさに統合的かつ弁証法的な対話が繰り広げられていたわけだ。
じゃあ、「共感」のコミュニケーションは?私としては、ここが一番気になるところなのだ。

というのも、私は対人援助職を生業としている。それを仕事とするまでの過程で、幾度となく「共感的理解」の重要性を教わってきた。これは彼の有名な心理学者ロジャーズの教えである。彼は「クライエント中心療法」という、(おそらく)最もメジャーな心理療法の心構えを作った人物で、カウンセリングの中の「対話」を大事にしていたそうだ。
じゃあ、そうはいうけど「共感」のコミュニケーションってどうしたらいいのさ?って、今更ながらに思う。ここでひとつ、共感の仕組みを一緒におさらいしてみよう!

まず、心理学的な観点ではなく神経心理学的な視点で考えましょ。
ここでは、共感という行動を「相手の心情や感情を推察してそれをまるで自身の感情のように感じること」としよう。するとなんと!実は脳にそうするためのシステムが存在しているのだ。それを「ミラーニューロン」と言います。しっかりメモしておくこと、ここテストに出るぞ〜。
ミラーニューロン、有名だから聞いたことあるって人も多いと思うんだけど、ちょっとだけ説明をさせてね。ミラーニューロンっていうのは、「他人と自分を区別なく扱うシステム」で、例えば友人とご飯に行くでしょ。友人がコップに手を伸ばしました……って時に、友人の脳内ではある神経細胞群が活動している。そして、それを見ている私達の脳の同じ細胞群の一部も、同じように活動するんだって。
要は、無意識下で相手の行動の模倣を脳内で行っている、ということ。すごいよね。それがミラーニューロンの機能らしいです。
それがどう共感に関係するかというと、

「こういう行動をするときには、どういう気持ちがするものなのか」「この行動は、どういう意図でするものなのか」というように、一度頭の中で他人の行動を自分でやってみるからこそ、私たちは、他人の気持ちや意図を推論することができるのだとも言われている。

恩蔵絢子(2021)『脳科学者の母が、認知症になる 記憶を失うとその人は“その人”でなくなるのか?』河出文庫

っていうことらしい。
以上、共感のメカニズムについてでした。

ここまでつらつらと言っておいて、結論としては
「共感って無意識のものだから意識的にできるものじゃなくね」
ってことなんですけど。逆に言えば、わざわざ共感しよう!!ってしなくても、自然と他人に共感できる機能が備わっていることが多いってことなんだよね、人間って。誰だって(能力に差はあれど)共感的理解をしながら会話しているはず。

じゃ、逆に考えよう。少し前に私が書いた
「私も共感を求めたコミュニケーションをすることがある」
これ!!
これね、皆あるでしょ。無いの?無かったらすごいよたぶん。
これさ、相手の反応や感情をこちらの意のままに操ろうとする会話の仕方なんだよね。極端な言い方をすれば、だけど。でもこういう会話って結構あると思うんです。例えば、
「○○さんってさ、趣味がお菓子作りなんだって!あれだけ顔が良くて仕事も出来て、その上料理まで出来るってやばくない!?」
っていう会話。これ、○○さんのいい所ばかりを挙げて、相手にも○○さんを「いい人」と認識させようとしていますよね。悪いことじゃないけど、無意識的に○○さんの印象をこっちで操作しようとしてる。それを、コミュニケーションを専門とする哲学者の三木那由多さんは「マニピュレーション」と呼んでいます。

相手の心理や行動を、自分の望む方向へと変化させようとしている訳です。会話におけるこうした側面を、私は「マニピュレーション」と呼んでいます。(中略)会話を通じて、人は誰かの心理や行動を操作しようとすることがしばしばありますが、それを「マニピュレーション」と称している訳です。

三木那由多(2022)『会話を哲学する コミュニケーションとマニピュレーション』光文社

さらには、会話には「コミュニケーション」と「マニピュレーション」の2つの側面がある、とも同書にて述べられている。これね、私もしっかり理解できたわけじゃないし書くと長くなっちゃうんだけれども、三木那由多さんはこれをフィクションのさまざまな作品の例から非常にわかりやすく解説してくれてます。めちゃめちゃ面白いし読んでて勉強になりますのでぜひ。

じゃあ、上で述べた会話の持つ2つの役割「共感(安全感を高める)」と「議論」はコミュニケーションだけでなく、マニピュレーションにも当てはまるのか。
答えは否……じゃない?
「共感」は多少当てはまると思う。しかし「議論」はそうか?引用した文章には「弁証法的な働き」という文言が入っていた。弁証法っていうのはある命題(テーゼ)と対立する別の命題(アンチテーゼ)をいい感じ(アウフヘーベン)にしてより良いもの(ジンテーゼ)にしようぜっていう考え方なんだけど。「誰かの心理や行動を操作しようとする会話」ってアウフヘーベンしてないよね、と私は思う。故に、マニピュレーションの持つ役割とはあくまでも「共感などを通して自身の安全感を高めるため」に限られるのではないだろうか。

さて、少し話を戻そう。私はマニピュレーションの一例として、「共感を求める会話」を挙げた。でも、こういう会話って上手くいかないことも多くない?と思う。上であげた「彼ピが共感してくれない構文」も然り。彼氏に対してのマニピュレーションは明らかに失敗している。
でも、逆にこのエピソードを友人に話したらどうなるだろうか?友達は似たような経験があったりして、すんなり「わかる〜」と共感してくれるパターン、あるよね。じゃあ、友人に対してのマニピュレーションは成功していると言っていい。
ここに「共感」のコツが潜んでいるような気がする。

なぜ彼氏は「共感」が出来なくて、友人は「共感」が出来たのか?これを掘り下げてみる。いや、そんなことは神のみぞ知るのだが、推測するだけタダだからね。
話し手の言い方にもよるだろうが、彼氏が「共感」出来なかったのは上でも述べたようにお互いの求めているコミュニケーションの側面を違って捉えてしまったからだろう。それは、話し手の誘導があるが故に心の推論が困難だったからかもしれないね。では、友人が「共感」出来たのはなぜか。友人はおそらく、同じマニピュレーションを行なったことがあるのではないだろうか?しかもきっと意識的に。だからこそ、「仕事の愚痴をいう」→「そういった困難や不都合があったことを相手に伝えることで、その困難を理解、共感して欲しい」という半ば推測が困難な思考回路が理解できるわけだ。

では、彼氏はどうやって「共感」を示せばいいのだろうか。ここで出てくるのが、ミラーニューロンです。
友人はもう神経細胞レベルで話し手が共感を求めていることがわかっている(相手がどういったマニピュレーションを行っているかを理解している)のだから、もうそれでいい。それだけで共感できちゃう。でも彼氏はそうじゃなかった。だから、そういう時は質問をしてみてはどうだろうか。
「どんな言い方で怒られちゃったの?」
「自分の中では、結構大きな失敗だった?」
質問は、話し手の状況をより具体的に鮮明に見せてくれるかもしれない。そうすると、その現場や話し手の感情は伝わりやすくなるんじゃないだろうか。脳内で相手の行動を模倣することで、人は共感をしているのだから、模倣するための材料を集めるのだ。話し相手とその周りの環境をできるだけ鮮明にイメージして、脳内で行動を模倣する。この「模倣」がどれだけ功を奏すかは不明だが、共感をしないコミュニケーションをする人はまずこの一歩が無いように思う。
あと、普段からよく相手を見ておくことも重要じゃないかなって思う。相手の普段の行動や言動、果てには視線の動きまでよく見ておくこと。結局、共感というのは「相手の心の推測」に過ぎないのだから、推測の材料は多ければ多いほど、的中しやすくなるはず。

ここまでして、初めて「共感的理解」をしようとしているって言えるんじゃないか。私はそんな風に思う。

ここまでのお話をまとめてみる。

  • 会話(対話)には2種類あり、①コミュニケーション、②マニピュレーションだ。

  • そして、①コミュニケーションの役割として「共感」と「議論」があり、②マニピュレーションの役割には「共感(安全感を高める)」しかない。※マニピュレーションには「他人を操る」という心理がある場合も存在するのだが、これは「共感(安全感を高める)」とも「議論」とも違う心理がはたらいているような印象を受ける(強いて言うなら「安全感を高める」ため?と言えなくはないような気がしないでもないが……)ので、ここでは一旦考えないことにする。わかんないもん。

  • 人間には基本的に無意識下で「共感」をする能力があるはずなのに、上手く共感できないことがある。その原因のひとつとして、マニピュレーションによる対話が上手くいかず、誘導を行おうとするが故に相手の行動の模倣、心の推論が困難となり「共感」しにくい状況が出来上がってしまう、というのが考えられる。

  • そういった対話の際に「共感」を行うためには、相手をよく知ること。相手が自分に何を求めているのか(どういったマニピュレーションを行っているのか)を把握する必要がある。

こうやってみると、中々に人間というものはめんどくさいことをしている。
まあ全て私の憶測に過ぎないのだけれど。
こんなことを悶々と考えず、腹割って話せる人が身近にいるといいな、と思う。

だって私が人と会話するのは、単に寂しいからだから。


※今回私が書いた内容は心理学的、神経心理学的、哲学的な様々な観点から無理矢理物事をひとつとして捉えようとしたものです。本来物事とはそう捉えるものではないし、そもそも私の想像に過ぎないので!!信じないでくれよな!!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?