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「アラベスク」~ブルグミュラー『25の練習曲』より

 ※対象をピアノのレスナーに絞って、詳細に書いてみました。

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 アラベスクとは、アラビア風の意で、イスラム美術の装飾文様を指す。植物の蔓(つる)・葉・花や星形など、対称性に富む。音楽でアラベスク風と言えば、その文様を思わせるような装飾的で技巧的な器楽曲。
 ブルグミュラーが生きていた19世紀前半のヨーロッパ人にとって、アラビアとはどんな意味を持っていたのか・・・。 
 その昔、医学も数学も薔薇もすべてアラビアからヨーロッパへ伝わったという歴史があり、18世紀になると、ヨーロッパで東方趣味(オリエンタリズム)の流行が興り、フランスの東洋学者ガランが、シリア系写本から翻訳したアラビアンナイトは、大ベストセラーとなった。そんなところから、ブルグミュラーにとって、「アラベスク」とはそういった異文化に対する「憧れ」の込められたタイトルであることが想像できる。

 200近い物語がある『アラビアン・ナイト』の中には、『アラジンと魔法のランプ』や『シンドバッドの冒険』、「開けゴマ」の呪文で知られる『アリ・ババと40人の盗賊』など、子供たちに馴染みのある話もあり、その不思議なオリエンタリズムを「アラビア風」への興味の糸口とするのも良いかも知れない。

 曲は、下記のような三部形式から成る。
 ①序奏(1~2小節)
 ②A楽節(3~10小節)
 ③B楽節(11~18小節)
 ④A楽節(19~26小節)
 ⑤コーダ(27~31小節)

①序奏(1~2小節)
 (ACE)からなるスタッカートの3和音を4回鳴らすという、シンプルな伴奏型から始まる。この伴奏がA楽節、コーダのほとんどで鳴らされ、そのことが躍動的なイメージを生み出している。まず、この和音を生き生きとした表情で弾くことが、最初の課題になる。
 手首を柔らかく使って、音を短く切って弾むように弾く。2拍子の強拍・弱拍の表現が目標になり、手先の器用な子供には、3つの音の中でバスを強めに弾くこと、などが技術的な課題になる。
 イメージをより具体的に描くには「わくわく、どきどきする感じ」「馬に乗って、物語の中を進んでゆく感じ」「盗賊の住家を見つけに行くのだろうか?」「シンドバッドの冒険が始まるのだろうか?」など、アラビアン・ナイトからイメージを借りてくるのが、僕は好きである。

 序奏の2小節は、3小節目頭のメイン・モチーフの登場への瞬間に向かって、期待感を漂わせることを目標にする。3小節目にむかってややクレッシェンドさせるとか、その逆にするなど、工夫させてみるのも良い。

②A楽節
(3~6小節)
 ひそひそとささやくような、胸騒ぎのようなテーマが聞こえてくる。16分音符の切れ切れのモチーフが、弾む和音奏に乗って、上へ上へと向かって昇ってゆく。この方向性を意識し、次第に鼓動が高鳴ってゆくような感じを表現する。

(7~10小節)
 緊張感の高まりの後、突然ハ長調へと転調する。どきどきしていたら、ほっと一安心といった感じ。その一安心も束の間。8小節目の1カッコでは、2拍目で意表をついたスフォルツァンドで「ドキ!」。8小節目のシンコペーションも、漫然とではなく、緊張感をたたえて弾くように!

③B楽節(11~18小節)
 B楽節は、いくつかの点でA楽節とは違う個性を持っている。それぞれの特徴をしっかりと把握すること。

*リズミックなA楽節に対して、メロディアスなB楽節。
*バスが安定しているA楽節に対して、小節ごとにバスが移ろうB楽節。
*弱奏中心のA楽節に対して、常に強奏されるB楽節。

 A楽節10小節目第2カッコ、右手CからCへのオクターヴの跳躍で最初の場面をしめくくる。馬からピョンと飛び降りるような、茶目っ気のある「動き」を感じさせる。
 その後の8分休符は、流れの上で大切な役目を担っている。単なる「休み」ではなく、次のB楽節への場面転換のための決心をする大事な瞬間。

 そして、B楽節へと場面は変わる。左手の和音奏が、B楽節では姿を消し、両手ともにメロディーを奏でる。A楽節の主旋律を構成していた切れ切れのモチーフが、そのまま左手の副旋律に回り、右手では切れ目の無いたっぷりとした主旋律が奏でられる。弾むようなA楽節に比べて、波のように揺れ動くB楽節という対比が成り立つ。
 乗っていた馬から降りて、船に乗り込み、揺れる波の上を進むかのよう。ここは、ごつごつとした音にならないように、レガート奏を心がける。特に左手を滑らかに弾くのは初心者にとっては難しい課題になる。黒鍵を第3指から弾き始めるモチーフと、白鍵を第5指から弾き始めるモチーフでは、鍵盤に対する手首の角度が違ってくるのが自然で弾きやすいが、初心者にとっては、それも課題の1つになるかも知れない。

 15小節目の頭で、旋律が前の小節からオクターヴ跳躍し、属和音からニ短調へと転調する。メロディー現れるアクセント記号付きのA音で、クライマックスが訪れる。特にそのAは特に大切に心を込めて。

 アクセントという楽語は、「その音を強く」と訳されるが、単に強く弾いただけでは「アクセント」としての効果を生まないのである。パソコンやシーケンサーを使って、ジャストタイミングで打ち込んでみると分かるが、とくに縦ノリのビートとは無縁のクラシックのソロ・ピアノで、「その音を強く」するだけでは「アクセント」の効果は生まれず、ぶっきらぼうに強くなったようにしか感じられない。アクセントとは、実はその1音だけでは効果として成立せず、微妙なタメとテンポの揺れが必要になってくる。単に物理的に「その音を強く」ことではなく「強調する」「際立たせる」ということ。そのことによって、音楽的な効果が生まれなければ意味が無い。月並みな言い方になるが、その音に気持ちを込めるということが大切。
 ここでは、旋律線のオクターヴという幅の広い旋律の跳躍と共に、突然下属調ニ短調の属和音が鳴らされることによって、他の部分に比べ、強い感情の動きを生んでいる。そういった幾つかの要素から生まれる効果をAの音に乗せて響かせる・・・、といった感じだろうか。

④A楽節(19~26小節)
 19小節目からは、テーマが再現される。4小節は冒頭と同じだが、それに続く23小節目からは、7小節目以降との性格の違いを意識して弾きたい。
 7小節目では、バスが2度下行し、ハ長調に転調している。その分だけ気分が穏やかになりより広い場面に出たような効果があるが、23小節目では、転調が行われず、バスも下行しない。右手の旋律の音域が伴奏に近づき、キュッと場面が狭まり、少し背をかがめて声をひそめたような効果が生まれる。ここには発想記号 dolceが添えられている。
 この dolce というイタリア語の発想記号は、楽典や音楽辞典では「優しく、柔らかく、あまく」という日本語に置き換えられているが、この部分は、右手も左手もスタッカートから始まっている。「優しく、柔らかく、あまい」スタッカートというのは、イメージするのが難しいのではないだろうか? 1音1音にこだわった「演奏表現」に意欲的に向かわせる良い機会となる。
 
⑤コーダ(27~31小節)
 曲中の最高音にまで上り詰めた直後、最後に突然、まるで聴き手を驚かすような低音域のユニゾンが現れるのが面白い。そこには risoluto(きっぱりと、断固として、決然と)というイタリア語が書き込んである。このrisolute の1小節。取り払ってしまっても、曲としては成り立つ。その部分があった場合と無かった場合の効果の違いを比較してみると良い。


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