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監視員しおりは座らない #02 眠る幼子イエス

監視員をしていると、美術館をデートに利用するお客様を見かける。付き合ってすぐのデート、喧嘩しているカップルのデート、 久しぶりの夫婦のデート。美術館は美術を鑑賞する場所なのに、どうして人はデートをしてしまうのか? そんな私も高校時代片思いしていた同級生と、初めて美術館に行った。しかし  

ー回想・史緒里の学生時代ー

史:ムンクの叫びって叫んでいるのは、あの真ん中の人じゃなくて、周りを取り囲んでる自然だって言われているんだよね。それに感情が共鳴している様子を描いているんだって、興味深いよね。颯太(そうた)君はどう思う?


と、一方的に語りまくった上、そのあとのカフェでも……

史:フェルメールの牛乳を注ぐ女って、白い点描でハイライトを表現するポワンティエっていう技法が用いられてるんだよ。自然のままではない表現で、自然に見えるように描くって興味深いよね。颯太君はどう思う?


と、続けざまに語りまくって猛烈に引かれた経験がある。案の定、恋は発展しなかった。



―国立新美術館・スタッフルーム―

ま:史緒里先輩

史:まどかちゃん

ま:先輩って、美術館でデートする派ですか?

史:まぁしなくもないかな?

ま:いいですよねぇ、美術館デート。私も結構好きです

史:ねぇ、まどかちゃんはデートで絵を見ている時、どうしてるの?

ま:どうしてるって……黙って見る以外の選択肢あります?

史:……え?

あの頃にタイムスリップすることが出来たら、美術館の前で口にガムテープを貼り付けてやりたい。

史:あ、そうだよね。



今日は、ルーブル美術館展の7日目。持ち場にはいつものように椅子が置いてある。けれど  

私は座らない。監視員として、お客様がいる限り。
今日もまた、私の座らない一日が始まる。



今日、私が担当しているエリアにあるのは【眠る幼子イエス】だ。作者は17世紀イタリアの画家・サッソフェラート。聖母マリアとキリストが描かれていて、ほのかに憂いを帯びたマリアの表情は、いずれ人類の罪を贖うために十字にかけられ、命を落とすことになる我が子の運命に思いを馳せているように見えると言われている。


―国立新美術館・展示場―

父:この絵、素晴らしいな。どれだけでも見てられる……

娘:お父さん、そろそろ次の絵行こう?

父:いや、もっとじっくり見たいなぁ

(父親は絵に引き寄せられるが如く、顔を絵に近づけている)


史:(心の声)あのお客様、絵からの距離が55センチ。50センチ、45センチ……警戒距離を突破!私独自の計算式によると、これはアラート発生!急いで声をかけねば!


父:はぁぁ……特にこのマリアの表情がいい。

史:お客様。絵からもう少しだけ離れて見ていただけますか?

父:あぁ! すみません。えっと……これぐらいなら大丈夫ですか?

史:はい。ありがとうございます。

娘:はぁ……もう恥ずかしい。

父:何が恥ずかしいんだよ。ちょっと注意されただけじゃないか。

娘:ちょっと注意されるのが恥ずかしいんだって

父:お前、ルーブル美術館の絵なんてな、なかなか見ることが出来ないんだぞ? せっかくだから、脳裏に焼き付けておかないと損だろう?

娘:はぁ……やっぱりお母さんと来ればよかった。

父:仕方ないだろう。お母さんのパート先で、急に人が足りなくなったって言うんだからさ。

娘:なんで今日に限って人が足りなくなるかなぁ……

父:お、これ……見ろ見ろ! マリアの首元、お母さんに似てないか?


史:おっと。お客様、今度はちょっと声が大きくなってきている。美術館内で出してもいい音の大きさは、私独自の計算式によると40デシベルが限界だが……この方の声は55、いや57デシベルぐらいになっている。これもアラート発生!


娘:似てないって

史:お客様。少々声のボリュームを下げていただけますか?

父:あぁ、すいません。あの……これぐらいのボリュームなら大丈夫ですかね?

(申し訳無さそうな表情で声をひそめる父親)


史:はい。ありがとうございます。今は閉館間近で他にお客様も少ないので問題ございません。

父:あぁ、わかりました。沙羅、これくらいなら大丈夫だって。

娘:監視員さん困らせないでよ。

(父親に対し、ウンザリした表情の娘)


父:ところで監視員さん。ここだけの話、この絵……いくらぐらいするんですかね?

娘:ちょっとちょっと!やめてよ

父:なにがだよ

史:誠に申し訳ございませんが、そのような質問にはお答え出来ないんです。

父:そっかぁ。まぁでも、俺の一生分の給料でも買えないんだろうなぁ。

娘:当然でしょ。てか変な質問しないでよ  

父:変な質問じゃないだろう?値段を聞いただけだろ。

娘:だからそれが、一般的には変な質問だって言ってんの。

父:一般的って言うけど、その一般ってのは何を差すんだよ。

娘:(ため息)

父:ため息つきたいのはこっちの方だよ!

娘:なんで?

父:お前今、俺に隠してることあるだろ?

娘:……なんの事?

父:気づいてるぞ。最近彼氏が出来ただろ? 母さんにははぐらかされたけどな、絶対に当たってる……男の勘だ。で、どうなんだ?

娘:いま聞くこと?


史:(心の声)同感です


父:仕方ないだろ、いま聞きたくなったんだよ。彼氏が出来たぐらいで目くじら立てないよ。実際どうなんだよ?

娘:来年……結婚するつもり。

父:はぁっ?


史:(心の声)これは急展開!私独自の計算式によると、これはもう完全にアラート発生5秒前!


娘:もう三年も付き合ってるの。その彼と来年、結婚する。この前、プロポーズされた。

父:なんだと?

史:お客様!

(父親の大声に、間髪入れず割って入る史緒里)


父:あ……すいません。なんで今そういうこと言うんだよ。

娘:お父さんが聞いてきたんでしょ?

父:そこまで聞いてないだろ!

娘:じゃあ  もう何も言わない

父:な……


史:(心の声)しまった。離れそびれて変な空気に巻き込まれてる……あぁっ何か喋れと2人が目で訴えかけてくる!


史:ゴホン……実は、私もこの絵についてお父様と同じ感想を持ったんです。

父:え?

史:このマリアの表情、素晴らしいと思うんです。親というのはきっと皆、こういう顔で子供を見つめるんだなぁって。お父様もお嬢様が生まれた時、同じような顔をしていたのではありませんか?

父:まぁ……はい

(照れくさそうに答える父親)


娘:え……そうなの?

父:そりゃあ、俺だって親だからな?

娘:ふぅん

父:で、どんな男なんだ? お前の彼氏は。

娘:すごく、真面目なひと。

父:そうなのか?

娘:早くお父さんに会いたいって。私がお父さんのこと彼に話したら、一度ちゃんとご挨拶したいって言ってたよ。

父:お前、俺のことどんな風に話してんだよ。

娘:面倒な性格だけど、頼りがいがあるって言ったよ。

父:……面倒は余計だな

(急に後ろを向く父親)


娘:え、待って。もしかして……泣いてるの?

父:泣いてるわけないだろ……目にゴミが入ったんだよ。

娘:へぇ〜


史:(心の声)へぇ〜


父:来月と言わず、来週連れてこい。

娘:いいの?

父:ちゃんとした男か、俺が見極めてやる。

娘:うわ。ふふ……やっぱ面倒だな。

父:ちょっとトイレな。

(そう告げ、一度も振り返らずトイレへ向かう父親)


娘:監視員さん、こんな所でこんな話してすみません。

史:いえ

娘:でも……こんな所でこんな話したからこそ、キチンと話せたのかも。

史:美術館には不思議な力がありますからね。マリアもキリストも、きっと2人の会話を楽しんでいたと思います。

娘:はは。あ、今度はお母さんと……彼氏、連れてきます。

史:はい、お待ちしています。

(その場を後にする娘)



マリアとキリストのような親子。そして、あの2人のような親子。時代が違えど、親から子に対する愛は変わらないのかも。

ルーブル美術館展は愛をテーマにしているのに、私はまだまだ愛を知らない。愛を知ることが出来れば、もっと絵のことを理解できるのに……

愛っていったい何なの?

ーつづくー



【次回予告】

『あの……人違いだったらすみません。史緒里ちゃん、だよね?』

やっぱり颯太君だった!ていうか、隣の女性は誰!!?

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