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絡む蔦、覗く空

最近考えたことの羅列

インコってなぜ人間になつくのかって疑問を持った。調べてみたら、インコは飼い主のことを群れの仲間だとして認識しているらしい。だからインコにとっては飼い主もインコ。可愛い。
猛禽類等はなつくというよりは信頼。お互いの信頼により、猛禽類は人間に攻撃しなくなる。猛禽類と信頼関係を私も作りたい。これもまた可愛い。
推しインコはシロハラインコ。可愛い。


人間関係がきつい。人間関係を新たに築いて得られる楽しさよりも、その後に続く嫌われるかもしれない恐怖だとか、会話のすれ違いにおける価値観の擦り合わせなどの面倒くささだとかの総量の方が大きい気がする。
上記の状況に陥ったとき、当事者同士がしっかりと向き合い、互いを知っていく過程を得ることで人間関係は親密になっていくものだと思うが、そういう状況にはちあわせたくない。一人でいる方が寂しさはあるが気が楽だ。
世の中には人間関係をすぐ切れるタイプの人がいるが、私もおそらくそっちのタイプ。しかしながら、これってただ一人が楽だから相手のことを簡単に切ってしまっているだけで、本当は単純に私のコミュニケーション不全の側面もあるのではないかと考えていた。人と向き合うことを避けているのではないかって。でも面倒なものは面倒なのだ。怖いものは怖い。SNSもすべて消してしまいたいのだ。そんな感情を毎回受けてしまうのならば、誰ともつながらない方がまし。



誰かとお酒を飲んだあと、無性に虚しくなる時がある。それはやはり寂しさであるが、誰かと楽しい時間を過ごしたから1人になるのが寂しい、といった内容の寂しさではなくて、もうずっと一人で良いかもしれないといった寂しさだ。
なんだかんだ言って私も誰かと分かり合いたいのだろう。しかしながら現実は、酒なんか飲んで他人と話しても私のことなど誰も理解できない!といった絶望にも似たような虚無感が漂うばかりである。しかし、私は私を知ってほしいと声を挙げているのだろうか。私の何を知ってほしいのだろうか。
結局はいつも犬抱っこしたいな…などのような感情に帰結する。(まあこれは毎日思っていることだが)
ペットを飼うことの魅力は、愛情を与えてくれる存在を人間に頼らなくても良くなるところにあるなと思う。早く諦めたい。


香水の好みについて、知り合いと話した。その人がその時につけていた香水は、バニラの少しもったりするような甘さを中心に、奥深くにスパイシーで辛みのある匂いがする香水だった。
匂いの好みというのはどのように決まるのだろうか。
例えばミント系の匂い。私の中ではミント系の匂いというのは歯磨き粉を連想させるもので、実際ミントの香水をつけているであろう人にも同じような感想を持つ。しかしながら、そのミントの香水をつけている人は、それを歯磨き粉の匂いではなく、良い匂いがするものとして纏っているわけである。
私にはそれが不思議である。その人を取り囲む環境によって、好みが形成されるのはもちろんのことだが、どのような環境の差異がこのような変化を生むのだろうか。
私も香水をつけているときがある。私はケミカルな匂いがするものが苦手で、なおかつ香水が過度に主張しないものが好きだった。匂いはあっさりした匂いというものよりは少し重厚感がある匂い。森林の匂いというよりは、それを構成する樹木の匂い。香水を纏う者に品格を与えてくれるような匂いが好きだった。
私の香水は揮発が少ないので、匂いをあまり周りに飛ばさない。そういうものを選んだ。隠れている美意識こそが美しいという私の主張だった。
しかし、その友人は私は香水の匂いをガンガン振りまきたいと言っていた。
真っ向から真逆の意見が返ってきて面白かった。確かに、香水なんて他人が良い匂いと感じてなんぼのものであるという認識も存在していて、香水、そして自分がそれを選んだセンスを正面から提示するそのスタイルは友人の人柄を表しているようでもあった。甘さの中にあるスパイシーな香りにも、その人のこだわりというか、なにか芯の部分なのかもしれない。
香水の好みを聞いてみるのは面白いなと思った。世の中香水に興味を持っている人がどれほどいるか分からないが、トークによって下手にその人がどのような人を探るよりも早く、その人の深層に触れられる気がした。


牛丼を食べておなかを壊した。年齢も年齢、20代も半ばになってきたので、胃腸が弱ってきたのかなと思った。しかし、年齢による胃腸の不調というのは例えば胃もたれが主であって、おなかを壊すのはまた違う種類の悩みだよと友人から指摘された。
調べてみると、過敏性腸症候群といったものに当てはまるようだ。
確かに、例えば映画館で映画を観ている際、ドリンクを飲むと途中で急激に腹痛に襲われるようなことがある。
まあ生活習慣はあまりよくない自覚はあるのだけど、精神的なものだと言われても対処のしようがない。一回病院に行ってみるべきなのかもしれない。


Tohjiのライブに行った。
Tohjiは常に未来目線だから好きだなと思う。
私は今を生きるための音楽よりも未来を創るための音楽が好きだ。
なんというか、私はやっぱり今の世の中が良いとは思えない。
TohjiがMCで語っていた。2050年くらいになったとき、2020年を振り返ってみてあの時代良かったよなって思われるかどうかは俺たち次第だろと。時代を作るのは俺たちだろって。
私は生きてるだけで偉いなんて思ったことがない。今を生きている以上、少しでも未来に向けて何かを残せるようなことを成したい。
口だけの奴になっている自覚が正直ある。でも、やっぱり自分の力を信じているところは私にもある。
一級建築士の学科試験にやっと受かったらしい。独学3年目だった。少しは前に進んでいるのだろうか。まだ製図試験がある。
頑張りたいのだ。最近毎日気が落ちていて塞ぎ込んでいる。それでも、私だってTohjiのような時代を作っていく一人として頑張りたいのだ。


最近白髪をちょくちょく見るようになった。
泣き面に蜂。