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今日の私は、風紀と自由のあいだで

11,672日目

タイトルは仰々しくなってしまったけれど、実は多くの人にとって身近なことではないか、と思う。

実家に帰ってきて、久しぶりに図書館に行った。この分野のことが知りたいけれど、どの本がよさそうか探してみたいという目的だった。

お目当ての分野の本をいくつか取って、1人用のテーブル席に向かう。

充電環境の整った窓際の眺めのいい席がいくつか空いていたので座り、時々スマホにメモをしつつ集中して読んでいた。

しばらくしてスタッフが来た。私ではなく、隣の人目的だった。20代だろう彼もいくつか本を読みながらノートパソコンでメモをしているようだった。

「ここは、本を読むスペースなので、パソコンの利用はお控えくださいますか。必要でしたら、パソコンを使える自習室にご移動ください。」

とても丁寧な言葉遣いで申し訳なさそうに。

「図書カードを持ってないので、自習室は使えないんです」

と彼は言った。スタッフはやはり

「ここはパソコンのためではなく、本を読む方の席なので、申し訳ありませんが…」と重ねて言った。

彼は、「じゃあなんのためのコンセントですか?」と聞くとスタッフはいくつか理由を述べつつ、やはり主張は変えなかった。

結局、彼は不服そうにして出て行った。


私も、後でパソコンも使えそう、と思った席だったので、どちらかというと彼の気持ちの方に近い感覚だった。

そこまで混み合っているわけではなく空き席もある、本を読まずに他のこと(仕事や勉強)に取り組んでいるわけでもない、のに、どうして頑なにパソコンはNGで、スマホはOKなのか。

確かに読書以外で長時間使う人が増えると、そもそも本が読みたい人に席がなくなるリスクはある。パソコンを許すと、境界が曖昧になることもわかる。それに、図書館側はパソコンが使える部屋もあると言っている。

でもなんだか釈然としなかった。

たとえば、スタッフが「混み合ってきましたらパソコンの利用は控えていただくようお願いするかもしれません」だったら納得できたように思うのだ。

スタッフがルールが破られるという風紀的な理由で話し合う余地がなかったのが、私として残念だった、という感じか…

ルールに縛られて不自由だなって思ってしまった。

過去に友人が、誰もいないジムのプールでバタフライを泳いでいて、監視員に止められたという話を思い出した。

ルールってなんのためにあるのだろう?たぶん、多くの人に快適に過ごしてもらうためだろう。誰にも迷惑をかけているように見えなかったが、スタッフの言動は長期的には目的に沿った対応だったのだろうか。

ルールがもう少し柔軟になってほしいと願うのは私のエゴなのかなぁ、って考えながら。風紀と自由のあいだ。


空と海のあいだにある太陽さん@紀伊田辺





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