亡くなった友達のこと

もう半年以上も経ってるんだって。早いね。
知り合ったのが10年近く前かな、同じヴィジュアル系バンドのファン界隈ってことでツイッターで繋がって、仲良くなった。
物怖じしないというかよく喋る子だったから俺でも仲良くなれたんだと思う。
異常なくらい音楽と本の趣味が合って、ヴィジュアル系を離れても下北系インディーロックやシューゲイザーの話をしたり、江國香織や小川洋子の本を貸し借りしておすすめの本を交換したりした。
シーシャも好きだったから月一くらいで吸いに行って、色んな話をした。
ギャルみたいなテンションで喋るわりにすごく冷めたところも持っていて、生きる話、死ぬ話をたくさんしたし、普段人には話さないようなこともたくさん喋って相談したり。
俺は他人に自分のことを否定されると人一倍気にしてしまって落ち込むのだけれど、その子のことはとても信頼していたので否定的な言葉も意見として受け止めることができた。
3年くらい前に1度些細なことで大喧嘩をした事があって、その時は4000字くらいの超長文のLINEが来た。その後和解するまでに1年くらいかかったんだけど、あとから聞いたら書くのに5時間くらいかかって、送ったあと彼氏に電話して大泣きしてたらしい。なんか、そのくらい強い感情をぶつけてくる友人なんて他にいなくて、大喧嘩ではあったけれどありがたいなと思った。

今でも良い音楽や本と出会った時は、真っ先にその子に教えたいなと思ってしまうし、私生活でも仕事でも何か面白いことがあったら報告したいなとふと思ってしまう。
ネットのつながりなんて儚いもので、共通の知人ももうほとんど連絡を取らなくなってしまった人ばかりで、最近のその子の友人は知らない界隈の人がほとんどだったから亡くなったことを知ったのも1ヶ月近く経ってからだった。いつ葬儀をしてどこにお墓があるのかも知らない。一人っ子で親とも疎遠になっていたから誰がどう葬儀をあげたかもわからない。だから近況報告に行きたくても行けなくてとてももどかしい。

渋谷の道玄坂にあるノースヴィレッジがお気に入りの場所でよくそこに一緒に吸いに行っていたから渋谷に行くと頭に浮かんできてしまうし、新宿のしょこぷらもそう。テレビで宇都宮が映ると、あ、あの子の出身地だなと思う。駒澤大学近くでアイリストとして働いていてサロンにもお客さんとして遊びに行っていたし近くの三軒茶屋にもよく行った。都内のあらゆるところに思い出がある。

前ツイッターでも書いたけど、故人のことを思い出すと天国にいるその人の頭の上に花が降ってくるという話。その子が天国にいるかはわからないけれどもしそうなら俺からの花がしょっちゅう降ってきて、あの小さい体は埋もれてしまってるんじゃないだろうか。いい加減にしろと思ってるかもしれないな。俺もいい加減にしたいのよ、何かにつけてこの話したいなって思うこと。こんなに精神的に頼ってるとは思ってもいなかったよ。

最後のブログで、自分が愛したものをみんなも好きでいてくれたら嬉しいって言い残していた。俺はあの子が好きだったバンドを今もよく聞いているし、おそらくずっと俺も好きでいると思う。
あの子いわく、この世は愛で溢れているらしい。俺にはその言葉はピンと来ないし悪意の方が目に付いてしまうのだけれど、あの子に対する親愛の情も愛の一つだとしたら俺の中にもちゃんと存在しているんだろう。あと、あの子が好きだった音楽や文章に対する愛も。その言葉は形見のようなものだと思っているし、これからも忘れたくはない。今日はその子と仲良くなるきっかけだったバンドとその時代のバンドをたくさん聞いていたから色々思い出してしまった。

その子がこの世界の中で見えていた愛ってなんだったんだろう。俺にも見える時が来るんだろうか。それが見えれば俺ももっと世界が素晴らしいものに思えるのかな。怒りや不満だらけの毎日だけれど、愛を持って人と接することができるのかな。愛こそすべて、なんだってさ。

彼女は愛を見出しながらも生きることをやめてしまって、愛というものをあまり理解していない俺がこうやってぼんやりと生き続けているのは不思議なものだと思う。まぁ、もう少し生き続けて愛がどんなものかを探してみるよ。わかったらそのうち向こうで報告するからまた話を聞いてね。

今日は、もうおやすみ。

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