史上最大級の陰湿さの喧嘩 - 殴り書き

ケンカをすると嫌な気持ちになる。

子供の時のケンカはよかった。
感情を真っ向からぶつけ合って、取っ組み合って、大泣きして、「ごめんね」って仲直りする。
ケンカをするともっと仲良くなれることもある。純粋で美しい、懐かしい原風景が蘇る。
子供の頃のケンカはとても良いものだった。

成長して大人になると次第に、ケンカは陰湿になっていく。
利害関係が絡んで、嫌な相手を陥れる。
真正面からぶつかり合った子供の頃のケンカとは異なる。
ケンカの原因は解消されることなく、嫌な気持ちだけが残る。
大人になってからするケンカはケンカというよりも、醜い争いというのが当てはまる場合が多いように思う。
全く、ケンカをすると嫌な気持ちになる。


そんな私は先日とても陰湿なケンカをしてしまった。

本当に腹が立ってしょうがない。
そいつは本当に陰湿な仕打ちを私に仕掛けてきたのである。
理不尽極まりない。確かに私にも非はあったが、それでもあいつのしようとしたことは絶対に許されることではない。

これから皆さんに、本当に信じがたい理不尽なカラスについての愚痴をぶちまけたいと思う。
そいつは本当に嫌なカラスだった。

朝の通学の時、自宅から最寄り駅までの間の、
マンションに面した幅3メートルくらいのまっすぐに伸びた道でのことだった。

マンションのゴミ集積所で一羽のカラスが好き放題に遊んでいたので、
私はスレスレまで無関心を装ってカラスに近づき、
最もカラスに近づいたあたりで、両手をあげてカンフーのポーズを決めた。

それはもちろん、カラスに「ゴミを漁っていると人間がカンフーで勝負を仕掛けてくる」という認識と抑止力を与えることが目的で、
実際にカラスに危害を加えるつもりはなかった。

そいつは案の定、驚いた様子で飛び立ち、道の対岸に停まった。
真っ向から戦いを挑んでくる様子もなく。このまま事は済むかと思われた。
しかし、それでは終わらなかった。

私は何も無かったかのように、カラスに目を向けないようにしながら、無関心を装ってまっすぐ歩き続けた。
だが、そいつは道の対岸から、こちらをじーっと睨みつけ続けていた。
どうやら私はカラスの癪に障ってしまったようだ。

カラスは俄かに飛び上がり、私がまっすぐ歩いている進行方向10メートル程さきの電柱に停まった。
尻をこちらに向けながら、顔は振り返って私を見ている。

「これはまずい…」

何かはわからないが、そいつが何かとんでもないことを仕掛けてくる予感がした。

私の本能は大音量で危険信号を発していた。
しかし、ここで怯える素振りを見せれば、このカラスはさらに人間をナメくさってゴミをあさり続ける。
最悪の場合、人間を襲うようになってしまうかもしれない。それだけは避けたかった。

私は、このカラスが仕掛けてくるであろうとんでもない「何か」にどうすればいいか分からない焦りを抱えながら、
平然を装って歩き続けることしかできず、
いよいよそのカラスの尻の真下が目前に迫ってきた。

そのカラスの尻の真下を通る直前、
私は無意識に30センチ程、歩く軌道を右にずらした。

なぜ私はその時そのような反応をしたのか分からない。
もしかしたら、私の思考を超えた野生的な直感が私の体を突き動かしたのかもしれない。
結果的にそのわずかな反応が私の命を救った。

私の左肩のスレスレを、そいつのウ●コが落下していったのである。

ひどい。

ひどすぎる。

カラスは確実に私にウ●コをぶっかけにきた。
意識的に。

あの意地悪そうな顔は、電車で席に座れなかった時のオバさんの顔だった。

「席に座れなかった腹いせに、目の前で席に座りやがったこの若造に何か意地悪してやろう」
「ゴミを漁る邪魔をしやがった人間にウ●コをぶっかけてやろう」

あの顔ができるという事は
カラスは「人間はウ●コを嫌がる」ということを知っているということに他ならない。

カラスは人間が何を嫌がるか知っているのである。

カラスの知能は高度に発達しているとは聞いたことがあるけれども、
こんなにも高度だとは思いが及ばなかった。
きっとあいつらは、いつか鳥類を結託させて、哺乳類を滅ぼしにかかるだろう。

全く嫌な気分だ。

1on1で真っ向から戦いを挑んでも敵わないと知ったあいつは
陰湿な嫌がらせで、憂さ晴らしをしようとした。

あれから、カラスを見ると、あいつの意地悪な顔を思い出す。

でも、嫌な気分を持ち続けるのも嫌なので、できれば、面と向かって謝って仲直りしたい。
今度見かけたら、カンフーで威嚇したことを謝ろう。

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