それは「グレイト・エスケープ」だね

大脱走のテーマ/FoZZtone より

かつてスピッツが唄っていたみたいに、趣味という幸せもまた途切れながら続くのだと思う。大人の資本は時間と体力だ。大人は資本を費やして自在に幸せを手に入れる。だけど目的や体力の伴わない時間は味のしない食べ物のようで、それだけ費やしても心は満たせない。惰性でプロテインを飲んでいる。粉をといた無味の液体、としか思わないんだけど口当たりが癖になってしまった。遠くにほのかな大豆のうまみ。無意味なものや時間に慣れ始めている。

特に心は苦しくないのに、好きなことや熱意や興味がどんどん希釈されていく。業務外で人に会わない生活を続けている。風土が苦手だ。一見生活に困ることはないんだけれど、文化との接点や日照時間や興味や欲望やそういった心の豊かさにまつわる何もかもを、私から気づかないうちに抜き取っていく。なにもかもだ。ふと気づくとき、人や物や場との物理的な距離にどんな意味があるのかを教えてくれる。大阪にいたときには気づかなかった。離れていること、アクセスが容易でないというだけのことがこんなにも苦しいなんて。すぐにできることと、多少頑張ればできることの間には果てしない距離がある。

だけど、そんなの全部ていの良い言い訳だ。たとえどこにいったとしても、そこがここになるだけだ。ここにいても、物理的にできないことなんか何一つないのに。

決定的に想像力がなくなってしまった。フィクションだとか、あり得るかもしれない未来といったものを想像できなくなってしまった。希望を思い起こすこともできない。今はできないことができる自分を想像し、それに近づけるよう歩みを進めることがとても難しい。

自分にできることを早く思い出したい。

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