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【個として生きるか、組織の中の個として生きるか】もしも100億円でこの国を救うとしたら[ペアMTG ヨツバ×ガチャ]

本記事は「もしも100億円でこの国を救うとしたら」というテーマに対して
ヨツバとガチャがペアMTGを行い、それで得た発見や感想をまとめたものです。

ヨツバ
初期研修医2年次。人の価値観や考え方を知り、周りの人と共生し、そんな中でも個性を発揮する、『丸く尖る』ことを目標に生きています。
具体例をあげて、話を広げていく、深めていくことが得意です。

テーマ設定の背景や目的を先に読んでいただけるとより楽しめると思います。


100億円という金額

宝くじの当選金額は多くても10億円とか。10億あれば自分と自分の家族の人生は全て完璧に過ごせる気がする。
でも、国を救う方法もなにも思いつかないけど、100億円あっても全然足りない...って感じる。
ガチャ君と話して出てきたけど、
「国民全員に配っても1人あたり100円」

100円もらっても、ちょっと嬉しいくらい。これからの未来が変わる未来は見えない。

そうすると、少し見えてくるのが、国家規模で物を考えるときには、“連鎖”や“増幅”を生まなければいけないのかなって。

小さい地方の取り組みでもYahooニュースで取り上げられればYahooコメ民が多くの意見を言う。Twitter(現X)で数百人しかみていない配信の内容が切り取られてバズれば賛否両論が生まれる。

例も下手で上手く言い表せないけど、多くの人が意見を言うことで、もともとの伝えたい物事に“加速度”が加わって進んでいく。その仕組み作りは、国家を救うためには必要なのかもしれない。

今の日本では、国家の発表や方針を一人一人にただ伝えようとしている形(もちろんニュースになって意見を言っている人もいるのだけども)で、国民全員がなんとなくのイメージに対して意見を言っているだけで本質的ではない気がする。それこそめちゃくちゃいいねを押したくなる意見は少ない。

一億総活躍社会

安倍首相が第3次安倍内閣において、アベノミクスの第2ステージとして打ち出されたスローガン。
みんな聞いたことはあると思うけど、内容を言える人は数%にも満たないのではないか。

「少子高齢化という日本の構造的な問題について、正面から取り組むことで歯止めをかけ、50年後も人口1億人を維持」
「一人ひとりの日本人、誰もが、家庭で、職場で、地域で、生きがいを持って、充実した生活を送ることができること」
(出典) 平成27年10月29日 第1回一億総活躍国民会議 事務局提出資料
https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12301000-Roukenkyoku-Soumuka/0000115342_1.pdf

ガチャ君と、「そもそも日本が変わらなければいけないことはなんなのか」について話していた中で、僕が発したのが『一億総活躍社会』の実現であった。

ただ、そこまで高尚なことを言いたいのではなく、現代の日本人は、誰かの方針に頼りっきりな人が多く、一人一人がしっかりと根を張って自分の意見を持って生きている人が少ないのではないかということを考えたことが背景だ。

国民と国家という視点だと、
「国が何とかしてくれる」
「最終的なセーフティーネットがある」

僕らが働く病院の中だと、
「それは経営の仕事」みたいなセリフがよく出る。

確かに分業という視点で、彼らが自分の仕事を全うしていたら問題ないのかもしれない。

しかし、個として生きていて、組織を大切にしないのはよくないのではないかと僕は考えてしまう。

じゃあ具体的にどうする...?

解決したい問題は、「国民が個として生きていくうえで、無責任であるのに、権利を主張すること」「やりがいを持っていないこと」
このあたりだろうか。。。正直なところ、国を救うというテーマが大きすぎて話を進めても問題を捉え切れなかった。

案として最初にでたのは、『地方創生』

日本が貧しくなっていく原因の1つが、東京一極集中型であることを考えた。

地方から若者が東京に憧れてやってくる。でも実際の東京は物価が高く、相対的に若者は貧しいのではないか。大学生活を経て、都会への生活を手放せず、大企業に入る。
地方は若者がいなくなって、人口が減っていき、補助金などお金をかけないと成り立たない状態となっていく。
そこへ大企業がやってくる。商店街が大規模ショッピングモールに移り変わる。地方だけで経済は回らず、都会が地方から吸い上げる。

そんな中、若者は大企業から地方支店へと派遣される。結局、大企業の幹部だけが肥大化していく。
若者の熱量を大企業が奪っているだけなのではないだろうか。

地方を盛り上げれば、規模の経済に巻き込まれずに個々が生き生きとする。

そんな仮定の下、100億円で進めたいのは、首都分割ということになった。

また、ガチャ君との話の中ではでてこなかったが、責任感ややりがいを持たせるという観点では、幼いうちからリーダーになる経験をみんながするという『リーダー教育』も面白いのかもしれないと後から考えた。

相手と話しての感想

大きなテーマに対する課題解決を行うにあたっていろんなタイプがいると感じた。

トップダウンとボトムアップ、具体的な問題解決と抽象的な意識改革の2×2の4タイプに分かれるのか。
トップダウンは制度化など上から下へと行くイメージ。いわゆる覇道タイプか。
ボトムアップは民衆を率いて下から上へと行くイメージ。ジャンプマンガで言う王道のイメージ。

ガチャ君の「少子化問題を小さな地域で改善する」というのは“トップダウン×具体的な問題解決”に相当し、僕の「国民全員がやりがいと責任感をもつ」というのは “トップダウン×抽象的な意識改革”に分類されるだろう。

実際には100億円もないし、権力もない。

もし僕が国を救うとしたら、ボトムアップに尽きる。

周りの人と一緒に、良い未来を目指して生きていく。
その取り組みがどんどん拡大して、
日本という大きな組織の将来の一助になることを切に願う。


相手の記事を読んでみての感想

個(=1人1人)と組織(=日本)として考えたときに、1人1人が日本を考えることの難しさを思うと、実際、組織の中でも個から組織を捉えることが難しいことも納得できるなと感じました。組織を捉える重要性をわかっていながらも、個で留まらないためには、「ノブレスオブリージュ」(作中より)や「吾唯足知」(http://www.ryoanji.jp/smph/guide/grounds.html)といった「個の充足感の認知」から始まるのかなと感じました。

覇道でも王道でもありたい欲張りな自分としては、トップダウン×ボトムアップの実現ができないか模索したいところです。


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