ピラティス考案者のジョセフ・ピラティスさんについて




【1880年12月8日】


体操選手の父と自然療法師の母の元にジョセフ・ピラティスさん誕生


幼少期にくる病、喘息、リウマチ熱等に苦しむ。




【1894年】


病を克服するためにいくつものスポーツを行う


14歳になる頃には解剖図のモデルになる程の健康体となる。







【1914年】


第一次世界大戦時に一緒に捕虜となった仲間の体力作りとリハビリとしてコントロロジー(後のピラティスメソッド)の指導を始める




【1918年】


世界的インフルエンザの大流行。何百万人もの死者が出る中ピラティスさんと同じ捕虜チームは1人残らずインフルエンザへの感染を回避。




【1925年】


ドイツ政府がピラティスさんに新しい軍隊の訓練を依頼するが戦争に加担したくなく断りアメリカに移住




【1926年】


ニューヨークでスタジオを開く

多くの上流階級の人々や映画スターにクチコミで広まる。




【1930年~1940年】


多くのプロダンサーに支持されピラティスさんのスタジオに怪我をしたダンサーがリハビリの為にこぞって通う




【1945年】


医師に向けたピラティスメソッドの実演講習を積極的に行う。


教え子数人が優秀な外科医になる。




【1950年】

ピラティスメソッドを医療の主流にするべく奮闘するも医学界に理解されず深く絶望する




【1967年】

『私のメソッドは50年早かった』と悔しがりながら86歳でこの世を去る。




【現在】

ピラティスは世界中で教えられており、ピラティス人口は1200万人を超える。医療現場での採用もされるようになってきている。



【まとめ】


幼少期にピラティスさんは10歳まで生きられないと言われた程身体が弱かったそうです。


そんなピラティスさんだったからこそ、ありとあらゆる研究を行い現在のピラティスメソッドが誕生したと思うと感慨深いものがあります。


悔しがって亡くなったピラティスさんに現在もピラティスさんのメソッドで多くの人がより健康な日々を過ごせていることを感謝の言葉と共に報告したいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?