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重度身体障害者の私は「母の日アレルギー」なのかもしれない

母の日から1日が過ぎた。

今年の母の日は新型コロナウイルスでなかなか会えないということもあり、メディアでも例年以上に「お母さんに感謝しようキャンペーン」が大々的に展開され、メッセージとして伝えられていたように思う。

子どものころから、母の日・父の日が嫌いだった。特に小学校や中学校のうちは学校行事の一環として母の日や父の日が取り入れられ、両親への手紙を授業の中で書くという一コマがあった。

それはもちろん、「感謝」の手紙である。

毎年、母の日や父の日が近づくと、私の心はにわかにざわつきはじめる。今年はどうやってやり過ごし、何事もなく1日を終えようかとあれこれ策をめぐらせるような子どもだった。

そう、私にとって母の日は「無事にやり過ごすべき1日」だったのである。

こんな風に書くと私がまるで血も涙もないひねくれ者のようだが、おそらく、「母の日をじっとやり過ごすしかなかった子どもたち」は少なくないのではないか。

私のようなタイプの人間にとって、「母の日」という言葉が持つ響きは、想像以上に重い。

何しろ、大人たちからは「お母さんに感謝しなさい」という無言の圧力をかけられる。「ほとんどの子どもたちは両親の愛情を受けて無事に育ち、そのことに感謝している」と信じて疑わない呑気な教師たち……。

DVや児童虐待、ネグレクトは彼らにとって例外であり、「どこか遠くにある別の世界の出来事」であり、あるはずのないことなのだ。

いや、そこまで大きなことではなくても、複雑な関係から両親に素直に感謝できなかったり、疎んだりする子どもは多い。むしろ、そうした敏感な子どものほうが自然なはずなのに、大人たち(特に教師)はそんな心のさざ波さえもあっけなく無視し、両親への微妙な反発心を(従順な大人になるための通過儀礼)として位置づける。

両親への違和感や反発心は言ってみれば一時の成長痛のようなものであり、いずれはきれいさっぱりなくなるだろう……現に、ほとんどの従順な子どもはいずれ「成長痛」を乗り越え、反発心もどこかに置き去りにしていく。そして、母の日の度に両親にプレゼントを贈ったり、感謝の電話をかけたりする大人へと成長していくのだ。

重度身体障碍者にとって、「両親に育ててもらった」というのは、健常者以上に重く、大きな意味を持つ。

もしも、両親が私の介助を1日でも放棄すれば、私の命は絶たれてしまう。私にかぎらず、食事さえもままならない重度身体障碍者にとって両親は紛れもなく権力者であり、すべてを委ねなければならない存在である。

脳性麻痺者の当事者団体である「青い芝の会」は重度身体障害者を持つ両親を「乗り越えるべき最大の壁」と看破し、時として敵対視していたが、その現状は今でも変わっていないだろう。

今年の母の日も、実家の両親にメールひとつ送ることなく、何とかやり過ごすことができた。母の日が近づくたびに心がざわつく私は、まだまだ子どもなのだろうか。

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