見出し画像

コンテンツのカンブリア紀は楽しい~クソゲーがなくなった理由~

ランキングが、コンテンツをつまらなくする?

ランキングがコンテンツをつまらなくするから、あえてランキング機能を付けない、というコンテンツプラットフォーマーがいます。確かnoteもそうだった記憶があります。
ランキングがコンテンツをつまらなくするのは、コンテンツが画一化するからです。コンテンツ作成者は、ランキング入りしたコンテンツの傾向を学んで、それを模倣します。すると、だいたいランキングに入ることの出来るコンテンツの型が出来てきて、それに習うようになるのです。
ランキングはコンテンツの多様性をある種失わせてしまうので、その多様性を担保するために、ランキングをあえて作らないという方法を取るプラットフォーマーもいます。

マーケティングが、コンテンツをつまらなくする?


しかし、ランキングがなかったとしても、今の時代においてはコンテンツの視聴数や反応率は容易に計測出来るので、どういったコンテンツがウケるのかという測定が可能です。反応率の良いコンテンツの傾向性を見極めて最適化すると、やはり一定のコンテンツの型にハマることになります。
YouTubeやインスタグラム、TikTokにも内容、コンテンツの作り方、タイトルの付け方などに一定の型があり、皆それに習っていますし、逆に言うと習わなければ伸びづらいのです。

経年するほど、コンテンツが先鋭化していく


このように既存の顧客に対してコンテンツを最適化する作業を繰り返すと、コンテンツはある種の型にハマった状態で先鋭化していきます。
例えば、コンソールゲーム市場においては、どんどんハードウェアが高機能化していき、対象顧客はコアなゲーマーに絞られていきました。新しいソフトが発売されるたびに、より映像が精密になっていったのです。

同様に、ソーシャルゲーム市場においても、ガチャというシステムと相性の良い美麗系カードという型が量産されていきました。課金のトリガーとして、大量の美麗系カードを絵師に発注するという時代があったのです。

コンテンツが先鋭化すると、初心者の障壁が高くなる


このように既存の顧客に合わせて、コンテンツが先鋭化すると、初心者がコンテンツを体験する障壁が高くなります。
ガラケー時代になんとなくソーシャルゲームを遊んでいたユーザーは、いかに課金して美麗系カードを集めるかというゲームにはついていけなくなります。
この傾向が続くといつか既存顧客のお財布の限界が来て、市場がシュリンクするタイミングが訪れますが、任天堂は定期的にこの対象顧客を広く持つ(ファミリー層に広げる)ように市場を定義しなおす作業を行っているように思います。
プレイステーションが家庭用ゲーム機のシェアを席巻し、ソフトウェアの内容やビジュアルが大人向けに振り切られていた時に、任天堂Wiiを発売してファミリー向けの家庭用ゲーム機として家族で楽しめる体感型のコンテンツを提供するなどです。

カンブリア紀のコンテンツは面白い


このように、特定のコンテンツの市場は年々先鋭化していく傾向にあります。それは、コンテンツにおいてマネタイズを図るためのマーケティング活動の一環であり、企業として正しい行為です。

しかし、そのコンテンツの市場が登場したばかりの時は、何が正解かが分からないため、有象無象のコンテンツが放出されることがあり、これを個人的にコンテンツのカンブリア紀と読んでいます。

例えば、ファミコンが登場したばかりの頃は、もちろんインターネットも存在せず、出してみなければ売れるか売れないか分からない状態だったと思います。

ちょっとの段差で死ぬ主人公として、ゲーム史上最弱主人公が登場する「スペランカー」であったり、攻略本がなければクリアは不可能と言われた「たけしの挑戦状」など、ファミコン時代のコンテンツは難易度がバグっていて、クリエイターの好き勝手に作られた雰囲気が漂っていた気がします。
そのころのコンテンツは「クソゲー」と愛着を持って呼ばれ、一部のコアなファンも獲得しました。

このように、誰のために作っているのかよくわからないカンブリア紀のコンテンツが好みなのですが、こういうコンテンツはマネタイズが難しいため、短期間で姿を消すことになります(「たけしの挑戦状」はセールス的には成功したようですが)。

さらに、データ解析が容易な現在では、コンテンツがすぐにプラットフォームに最適化されて成功パターンの型が出来てしまうため、こういったコンテンツは生まれづらくなっています。

蛇足ですが、フィーチャーフォン時代にソシャゲの先駆けとなった「怪盗ロワイヤル」の成功を受けて、各IT企業がソシャゲの開発合戦になりました。当時、某社が課長島耕作風の世界観で会社経営的なソシャゲを出していて、なんとなく面白くてやっていたのですが、短期間で終わった記憶があります。

さらに、並行していかに強いIPを獲得するかという競争も行われる中、調べてみたら島耕作のソシャゲも登場していたようですが、1年足らずでクローズしていました。横目でドラゴンボールのゲームが大成功を収めるのを見ていたわけで、IPといえどもこの方向じゃない、といったん気づくと、当たるIPのコンテンツしか出回らなくなります。

マーケティングされたコンテンツの功罪


ということで、現在ではカンブリア紀のコンテンツというのは、とても希少です。こういうったコンテンツが生まれないことへの負の面が1つあり、それは斬新なスキームが生まれづらいということです。
多種多様な種が生まれ、だいたいが淘汰され、生き残った種が最適化するというのが生命の流れですが、最初からその種の型がある程度最適化されてしまうと、斬新なスキーム=突然変異は生まれづらくなると思います。

たとえば、サウンドノベルというゲームジャンルは、1992年にスーパーファミコンから発売された「弟切草」が始まりとなっており、サウンドノベルはスパイク・チュンソフトの登録商標でもあります。
ゲーム全編を文字で読ませるという斬新なスキームを提供したからこそ、サウンドノベルという新しいジャンルが生まれたのですが、今の時代においては成功事例がないスキームのコンテンツは極めて提供しづらいのではないでしょうか。

ということで、カンブリア紀のコンテンツは、一部のファンから愛でられてきたのですが、今の時代においては、希少な存在になっているというお話でした。


ご覧くださって大変にありがとうございます。サポートいただけたら、大変に喜びます٩(•౪• ٩)サポートいただけましたらメディアの研究費や活力を出すためのおやつ代に当てて良い記事を書いていきたいと思いますm(_ _)m