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日本学術会議「会員任命拒否」問題とはなにか ― 第1回 憲法と法律から考える

菅義偉内閣総理大臣が就任した直後から注目を集めた「日本学術会議会員任命拒否」の是非をめぐる問題については、未だ決着を見ないまま、マスメディアや世間の注目は次の話題に移りつつあります。
いざ政治問題となると、内実を問わずに「責任」の有無や進退を問う論調ばかりが目立ちますが、NPO法人メディアージとしては、政府や菅総理に対し単純な否定ないしは擁護を図るという視点ではなく、今回の「任命拒否」という判断・行為の法的な妥当性、また今回の菅総理による政治判断が生じさせるその他の領域への政治過程上の影響に純粋に焦点を当てて検証を行います。

そこで今回、NPO法人メディアージ顧問・池亨氏による検証記事を連載します。皆様にとって、行政手続について理解を深める機会、判断材料となれば幸いです。
以下、本文記事は池亨氏によります。

1 議論の本位を定める

内閣府におかれた日本学術会議という機関に会員として推薦された105名の学者のうち、6名が内閣の任命を拒否されたことが現在問題となっています。国会でも追及が行われています。日本学術会議、またこれを支える多くの学会などは「日本学術会議法」という法律にしたがって、すべての推薦者の任命を求めています。これに対して菅内閣は推薦者の任命を拒否できる権限があり、この拒否は正当だと主張し真っ向から対立しています。

なぜ、こうした主張の対立が起きているのか。またそれが政治行政を運用するルールである憲法や法律のなかでどのように位置づけられるのか。一般向けの読みものとしてマスメディアや専門家から、まとまったかたちで、焦点を絞ってわかりやすく解説されているとは必ずしも言い難い状況です。
まずは、この任命拒否問題の論点である「日本学術会議法」という法律がどのようなものかを見ていかないと、この対立がなぜ生じているのか、いずれの主張が妥当なのかを評価することができません。

法律の読み方に慣れていない人は、日本学術会議法第7条2項にある、「会員は、第十七条の規定〔池註: 日本学術会議は……優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考する〕による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」という一文の、「推薦に基づいて」のほうが重要だとみるか、「内閣総理大臣が任命する」のだから拒否もできるのではないかとどちらかにあせって結論しがちです。現在の菅内閣は、なかでも日本国憲法15条1項を根拠にあげて任命拒否の正当性を主張しています。

この日本学術会議法をはじめとして行政に関わる法律を「行政法」と言います。行政法は、内閣や地方公共団体が行政をする際にそれらができることを縛るルールで、このルールは国民の代表である国会が定めたものです。
法律を読み解くには、個別の法律の、条文の一部の文言だけを取り上げるのではなく、目的や趣旨をさまざまな仕組みで表現している個別の法律全体の枠組みから、そこで使われている文言が意味しているルールを把握しなければいけません。こういう法律解釈のあり方を「仕組み解釈」と呼びます。最終的に法律上の紛争に決着をつける裁判官や、検察官・弁護士などの法曹になるための司法試験にも出てくる考え方です。
具体的にはこのような法律の読み解き方です。ある行政法の専門家はこのように説きます(以下、引用文中の太字は池による)。

個別条文は、それぞれの法律〔中略:例えば道路交通法などの法律〕の目的実現のための道具の一部を形成している。したがって、条文の解釈に当たっては、単にその条文の字句に沿った解釈を心掛けるだけでは不十分で、その法律全体の仕組みを十分に理解し、その仕組みの一部として当該条文を解釈していくことが必要である。これを『仕組み解釈』と呼ぶことができるが〔中略〕、いずれにせよ、そのためには、ときには、関連の他の法律にまで視野を広げて考察をしなければならない
〔出典:塩野宏『行政法Ⅰ[第六版]』有斐閣、2015年、66頁〕

つまり、単に事案に該当する法律そのものだけではなく、場合によっては、他の類似の法律、政令、省令、規則やガイドラインなども関係し、そうした規定が問題とするさまざまな法的仕組みを加味して解釈するということになります。個別の行政法律全体のみならず、それに類似・関連した様々種類の法が全体として行政の立場に課しているルールとは何かを探る考え方といえるでしょう。
そして、もうひとつ、大切な指摘がなされています。

個別行政法律〔この記事の日本学術会議法がこれにあたる:池による補足〕の仕組みは、条文相互の技術的操作だけでは十分に理解できない。当該法律が奉仕する目的ないし価値との関連にも注意しなければならない。その際にはもちろん、憲法的価値も考慮にいれられなければならない
〔出典:塩野、2015年、同上〕

日本国憲法は――その歴史的成立経緯には様々な考え方があるにせよ――国民の基本的人権を定め、国民がその人権と統治機構の在り方を守るよう政府に課している根本の規範です。当然行政権はこの憲法に従うわけですから、その憲法が掲げている《価値》を無視することもできないということです。この考え方に立って、もう一度、日本学術会議法の持つ「仕組み」と、そこにおいての「任命」の位置づけについて、みなさんといっしょに考えていきましょう。

2 日本学術会議法を読む

では日本学術会議法(以下、「日学法」と略記します)を実際に読み進めていきましょう。

【リンク】
日本学術会議関連法規集 http://www.scj.go.jp/ja/scj/kisoku/
日本学術会議法 http://www.scj.go.jp/ja/scj/kisoku/01.pdf

条文をひとつひとつ頭からじっくり読み解いていきたいところですが、冗長に過ぎます。今回の任命拒否の論点に絞り、要点を追って考察していきましょう。

2-1 検討対象となる事実

法律解釈を展開するまえに、単純な抽象論に陥らないよう解釈の対象となる事実をシンプルにまず確定しておきましょう。

⚫︎日本学術会議が105名を会員に推薦し、そのうちの6名を任命権者である内閣総理大臣が任命しなかった。

⚫︎任命されなかった6名それぞれの個別具体の任命拒否理由は任命権者の内閣総理大臣によっていまだに明らかにされていない。

以上の事実関係については、2020年12月19日現在議論の余地がないものとします。

2-2 法律解釈のすじみち

2-2-1 任命に先立つ選考の権限と、法律の求める基準

改めて、任命に関する条文を確認します。そのまえに「任命」とは法律においてはどういう意味でしょうか。各種の法律に関する辞典によれば以下の通り(以下、すべて引用文中の太字は池による)。

主として公務員に用いられる用語で、ある人を一定の地位又は職に就けること。職員を任用する場合のその権限行為を捉えていうのが通例。
〔出典:法令用語研究会編『法律用語辞典(第4版)』有斐閣、2012年、917頁〕
人をある地位又は職に就けることを一般に「任命」という(憲法6・68Ⅰ等).選挙によって人をある地位又は職に就けることも一種の選任行為ではあるが,通常,これを任命とは言わない.この語は公務員のみならず,公法人の理事機関等についても用いられる(国際協力銀行法11等).……〔中略〕「任用」と「任命」の区別は,必ずしも明らかではないが,国家公務員法においては,33条1項で「職員の任用は……」といい,第35条で採用,昇任,降任,又は転任のいずれか一の方法により,職員を任命する」と定め,また,任命権者といい,任用権者とは言っていないので,「任命」は職員を任用する場合のその権限行為を指しているもののように解される.
〔出典:角田禮二郎ほか編『法令用語辞典(第10次改訂版)』学陽書房、2016年、625頁〕

「任用」に関しては、ここで詳しく述べませんが、「任命」とは人をある地位または職に就ける権限(職権)であると一般に理解しておきましょう。ここで重要なのは、「任命」とは通常、権限を持つ一つの機関(を体現する「長」)の意思によるもので、複数の人々から相対多数の支持指名を受ける「選挙」とは違って直接の「選任」(選考+任命)ではないということです。

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*日本学術会議発足当初、会員は選挙制でしたが、1983年に現在の推薦制に改正されています。

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日学法を参照します。

【日学法】
第七条 日本学術会議は、二百十人の日本学術会議会員(以下「会員」という。) をもつて、これを組織する。
2 会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。
3 会員の任期は、六年とし、三年ごとに、その半数を任命する。

ポイント① 法律で決まった定員を満たしていない

法定で会員は210名とされています。第3項の規定で3年ごとに半数任命なので、1期ごとの任命の定数は105名。定数通り推薦されましたが、うち6名が任命されず、法定定員を満たしていません。(→現状、違法状態。)

ポイント② 「第十七条の規定による推薦に基づいて」

【日学法】
第十七条 日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものとする。
【日本学術会議会員候補者の内閣総理大臣への推薦手続を定める内閣府令】(平成十七年九月一日 内閣府令第九十三号)
日本学術会議法(昭和二十三年法律第百二十一号)第十七条の規定に基づき、日本学術会議会員候補者の内閣総理大臣への推薦手続を定める内閣府令を次のように定める。〔署名日付省略〕

日本学術会議会員候補者の内閣総理大臣への推薦手続を定める内閣府令
日本学術会議会員候補者の内閣総理大臣への推薦は、任命を要する期日の三十日前までに、当該候補者の氏名及び当該候補者が補欠の会員候補者である場合にはその任期を記載した書類を提出することにより行うものとする。

ここでは「優れた研究又は業績がある科学者」であることが法律の求めている基準で、この基準に沿って「選考する権限があるのは日本学術会議ですよ」と言っています。

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*なお、他の公務員には、任命してはならない基準である欠格条項(一般職の公務員は、国家公務員法第38条、地方公務員法第28条4項。特別職としては裁判官ほか、検察官や国会職員・裁判所職員・自衛隊員等々)が定められていますが、日学法にこの定めはありません。

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ここでもう一度確認します。

【論点】
(1) 法律の求める会員の基準(資格要件)は「優れた研究又は業績がある科学者
(2) (1)の基準を満たしていると判断し人選を行う(推薦する)権限は日本学術会議にある。
(3) 今期の法定定数105名と同数の推薦が行われた。

こうなると、(1)の条件に反している、と明らかに認められる会員推薦者以外、内閣総理大臣は任命を拒む理由がない、と一般的には考えられます。また、105名のなかに資格要件を欠く会員がいないのであれば、そのまま105名を規定に従い任命するしか選択の余地がないと考えられます。推薦者の人数の扱いについては後ほど再び触れます。
また当たり前のようですが、この日学法第17条および第7条2項の規定に従えば、「日本学術会議会員に推薦されなかった人」を任命することはできません(この点は政府当局も2018年の見解で認めていることです)。

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*平成30(2018)年11月13日 内閣府日本学術会議事務局発出文書「日本学術会議法第17条による推薦と内閣総理大臣による会員の任命との関係について」

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2-2-2 内閣総理大臣による任命の裁量権の有無とその範囲

日学法第7条2項の条文には、「推薦に《基づいて》」とあります。これが内閣総理大臣の任命における裁量権を一切否定するものであるといえるかどうか。
法律用語では「基づいて=基づく」には以下のような意味があります。

基因する、基礎とする、根拠とするという意味に用いられる。例、「労働者の過半数を代表する者の推薦に基づき指名…」(労安衛一七④)。なお、行政機関が一定の行為をするに当たって、審議会の意見を聞かなければならない場合に「議(決)に基づき」という表現が用いられるが、これは、「議により」よりは拘束力が弱く、「議に付し」よりも拘束力が強いとされている
〔出典:法令用語研究会編『法律用語辞典(第4版)』有斐閣、2012年、1114頁〕
普通,根拠とする, 基礎とする,原因とするの意味に用いられる.「天皇は日本国の象徴であり……この地位は,主権の存する日本国民の総意に基づく(憲法1)〔中略〕等,多数の用例がある.
〔中略〕
なお、行政機関が,一定の行為をするに当たり,審議会,調査会等の意見を聴いてしなければならないという場合に用いられる用語例として,「議決に基づき」,「議に基づき」というのがある.この用語と「議により」,「議を経て」,「議に付し」などの用語との差については一概には言えない点もあるが,「議(決)に基づき」というのは,「議により」よりは拘束性が弱く,「議に付し」よりは拘束性が強いといってよいであろう
〔出典:角田禮二郎ほか編『法令用語辞典(第10次改訂版)』学陽書房、2016年、625頁〕

この文言をもってしては任命に関して裁量権が全くないとは断定できません。「推薦により任命する」よりは拘束力が弱いとも考えられます。

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*事実、推薦制となる1983年の日学法改正のとき、当初は任命について「第十九条 内閣総理大臣は、〔中略、池註:日本学術会議内に置かれた〕会員推薦者管理会が〔中略〕推薦した者を会員に任命する」という条文案として内閣法制局において審議されていました。その過程で別案として出てきたのが現行の日学法の規定です(「法律案審議録(日本学術会議法の一部改正 その一 昭和五九年第九八国会 総理府関係4)」)。国立公文書館に残されていたこの資料によって、現行のようになったのは、「基づいて」が入らない「推薦した者を任命する」という前例がない案文が理由と考えられること、また立法意思としては学術会議が推薦した者をそのまま任命するつもりだったことが、2020年11月5日の参議院予算委員会で、この資料を発見した小西洋之参議院議員により指摘されています。

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では、内閣総理大臣に日本学術会議会員の任命に対する裁量権はどれぐらいあると考えられるのか。別の方面からも探ってみましょう。
通常、内閣総理大臣が公務員への就任を認める/認めないについての自由で拘束されない任意の権限を持つならば、会員の辞職を承認したり、退職させたりする権限も同等にあると考えてよいと思います。
それについても日学法に規定があります。

【日学法】
第二十五条 内閣総理大臣は、会員から病気その他やむを得ない事由による辞職の申出があつたときは、日本学術会議の同意を得て、その辞職を承認することができる。
第二十六条 内閣総理大臣は、会員に会員として不適当な行為があるときは、日本学術会議の申出に基づき、当該会員を退職させることができる。

病気で会員本人から辞職の申し出があった際も辞職を承認する際に「日本学術会議の同意を得」ることが必要で、会員として不適当な行為があるときも「日本学術会議の申出に基づ」くことが必要となると、退職に関しても日本学術会議の意向を踏まえなければならないことが明確に規定されており、内閣総理大臣の判断のみをもってしては特別職の公務員(国家公務員法第2条第3項)である会員の職を解くことはできないわけです。
ここから考えてみても、学術会議の同意や申出がなく、内閣総理大臣が一方的に職を解けないなら、定数通り推薦されたにもかかわらず、法の趣旨に反することの明白な理由を挙げずに任命しないということもできないものと解釈することができます。

【判例から】
なお、「辞職を承認する」「退職をさせる」《ことができる》 とあるので、病気で公務を行えず、学術会議の同意があっても内閣総理大臣が辞職を承認しない、あるいは 、会員として不適当な行為で学術会議の申出があっても退職させないケース(権限不行使の裁量権)も文言解釈上は考えられることになりますが、何でも自由にできるわけではありません。この場合は日学法の目的・趣旨に反しない限り、直ちに違法ではありませんが、明らかに目的・趣旨に反して著しく不合理と認められる裁量権の不行使は違法となるという判例があります 。
〈裁量権の消極的濫用論〉(京都誠和住建事件、最高裁判所 平成元(1989)年11月24日 判決)

したがって、この任命行為は日学法第17条1項ほかの趣旨に基づいて、学術会議の同意のもとに行わなければなりません。別の事由を挙げて、この判断基準を十分に踏まえなかった場合は、裁量権行使における「他事考慮」(法律で求められている判断基準を満たさなかったり、別の事由を持ち出したりすること)として、違法性を帯びるとする指摘が行政法の専門家からもなされています〔大浜啓吉「市民社会と法(第54回)――学術会議問題の考え方」)岩波書店『科学』2020年12月号、1159頁〕。

【判例から】
「他事考慮」とは、行政処分の裁量・判断にあたって「本来最も重視すべき諸要素、諸価値を不当、安易に軽視し、その結果当然つくすべき考慮をつくさず、または本来考慮にいれるべきでない事項を考慮にいれ、もしくは本来過大に評価すべきでない事項を過重に評価する」ことを指します。こうした場合に裁量権者の行政処分は「裁量判断の方法ないしその過程に誤りがあるものとして違法」となるという判例が確立しています。
〈行政裁量における他事考慮〉(日光太郎杉事件、東京高等裁判所昭和48(1973)年7月13日判決)。

2-3 日本学術会議の独立性

2-3-1 「所轄」の下にある日本学術会議

つづいて、もう少し視野を広げ、内閣総理大臣(が行政権限を持つ内閣府)と日本学術会議という審議機関の関係についても位置付けておきましょう。
再び日学法条文を引用します。

【日学法】
第一条 2 日本学術会議は、内閣総理大臣の所轄とする。
【内閣府設置法】
第五款 特別の機関
(設置)
第四十条 3 第一項に定めるもののほか、別に法律の定めるところにより内閣府に置かれる特別の機関で本府に置かれるものは、次の表の上欄に掲げるものとし、それぞれ同表の下欄の法律(これらに基づく命令を含む。)の定めるところによる。
〔表は省略。ここでは上欄に当たるのが日本学術会議、下欄に当たるのが日本学術会議法(昭和二十三年法律第百二十一号)。池による補足。〕
【総理府設置法】 *日学法と同日施行。内閣府設置法制定により廃止
第三節 機関
 (機関)
第十六条 内閣総理大臣の所轄の下に、日本学術会議を置く。
2 日本学術会議は、わが国の科学者の内外に対する代表機関として、科学の向上発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させるための機関とする。
3 日本学術会議は、東京都に置く。
4 日本学術会議の組織及び所掌事務については、日本学術会議法(昭和二十三年法律第百二十一号)の定めるところによる。

これをみると内閣総理大臣の所轄だから何でもできる権限もあるのではないかと早合点しそうになりますが、この「所轄」という法律用語には明確な意味があります。再び辞典類を参照すると、

❷内閣総理大臣及び各省大臣がそれぞれ行政事務を分担管理するについて、統轄と区別し、その管轄下にあるが独立性が強い行政機関との間の関係を表すのに用いられる。例、「内閣の所轄の下に人事院を置く」(国公三①)。
〔出典:法令用語研究会編『法律用語辞典(第4版)』有斐閣、2012年、613頁〕
2) 次に、「所轄」という語は,内閣総理大臣及び各省大臣がそれぞれ行政事務を分担管理するについて,その管轄下にある行政機関との間の関係を表すのに用いられる.〔中略〕所轄という用語は,当該機関の独立性が強くて主任の大臣との関係が最も薄いものにつき,行政機構の配分図としては一応その大臣の下に属するという程度の意味を表すのに用いられる.この種の機関の具体的な例は,合議制の官庁に多く見られ,人事院(国家公務員法3Ⅰ),国家公安委員会(警察法4Ⅰ),公正取引委員会(私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律27Ⅱ)等がある〔中略〕.所轄の具体的内容,すなわち主任の大臣がこれらの所轄機関に対し、どの程度の権限を持つかは,各々基本となる法律に具体的に規定されているが,多くの場合は任命権,一定の場合における罷免権,定期的に報告を受ける等の権限等にとどまる〔中略〕.
〔出典:角田禮二郎ほか編『法令用語辞典(第10次改訂版)』学陽書房、2016年、625頁〕

「所轄」という用語に対しては、「統轄」が法律用語として対照し区別され用いられます。「統轄」の意味も確認しておきましょう。

統(す)べおさめること。特に上級行政機関が、複数の下級機関に対して、総合調整しつつ、指揮監督するような場合に用いられる(行組二②)。
〔出典:法令用語研究会編『法律用語辞典(第4版)』有斐閣、2012年、841-842頁〕
1)上級の行政機関等が,その管轄の下にある,他の下級の行政機関等を包括的に総合調整しつつすべること(例1参照),又は 2)行政機関の長等が、その所掌の下にある行政事務を総合的に統べつつ,締めくくること(例2参照)を表すのに用いられる.〔池註:以下略.例示は省略する〕
〔出典:角田禮二郎ほか編『法令用語辞典(第10次改訂版)』学陽書房、2016年、582頁〕

日本学術会議第1条2項に関していえば、ここでは「所轄」という用語で、組織として行政機構の配分図上は、内閣府とその主任大臣である内閣総理大臣の下に所属はしているものの、高い独立性のある機関であることを指しているといえます。いいかえれば、所轄の下にある機関は内閣府の「《統》轄」の下にある他の行政機関と違い、行政の上部機関が下部をその一部として直接指揮監督を受けるという、《「統(す)」べおさめるという行為の下にない》ということ、単に、内閣総理大臣(=内閣府)と一定のつながりを持つという程度にすぎないということなのです。

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*なお、独立性の強い機関でありながらも、あとで述べるように日本学術会議は科学者の代表・審議機関として、個々の国民の利害に直接関わる強い準立法的または準司法的な公権力を行使する行政機関ではないので、同じ独立機関でも、任免に国会や裁判所が関与する、独立行政委員会であるところの人事院や公正取引委員会などとはかなり性格が異なる「個性的な」機関だということができるでしょう。先に挙げた内閣府設置法では、外局や審議会などとは区別される「特別の機関として本府に置かれる」とのみシンプルに規定しています。しかし、日学法と同日施行の総理府設置法では、わざわざ同じ内容を、日本学術会議のためだけに、特別の節(第2章3節)「機関」の規定として、他の組織から区別して置いているところが注目されます。

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2-3-2 「独立して」職務を行う

さらに、この独立性を裏付けるものとして、再び日学法を参照します。

【日学法】
第二章 職務及び権限
第三条 日本学術会議は、独立して左の職務を行う。
科学に関する重要事項を審議し、その実現を図ること。
科学に関する研究の連絡を図り、その能率を向上させること。
第四条 政府は、左の事項について、日本学術会議に諮問することができる。
一 科学に関する研究、試験等の助成、その他科学の振興を図るために政府の支出する交付金、補助金等の予算及びその配分
二 政府所管の研究所、試験所及び委託研究費等に関する予算編成の方針
三 特に専門科学者の検討を要する重要施策
四 その他日本学術会議に諮問することを適当と認める事項
第五条 日本学術会議は、左の事項について、政府に勧告することができる。
一 科学の振興及び技術の発達に関する方策
二 科学に関する研究成果の活用に関する方策
三 科学研究者の養成に関する方策
四 科学を行政に反映させる方策
五 科学を産業及び国民生活に浸透させる方策
六 その他日本学術会議の目的の遂行に適当な事項

第3条に注目してください。はっきりと独立して、政府からの諮問について答えること(第4条)、または勧告する(第5条)ことが職務とされています。また科学者が自立・自律して、人文社会科学・生命科学・理工学などの各学問のあいだにつながりをつくることも職務です。
あくまで、日本学術会議は「独立」して、その職務を行うことと規定されており、その職務は政府に対して意見を述べることに限られます。国民の権利を制限する強い公権力の行使や利害調整を図る行政機関ではありません。

2-3-3 内部的な自律=規則制定権

くわえて、日本学術会議には大きな特徴として、

【日学法】
第二十八条 会長は、総会の議決を経て、この法律に定める事項その他日本学術会議の運営に関する事項につき、規則を定めることができる。

上記のような自らの機関内部の運営ルールを、自ら独立して決める権限であるところの「規則制定権」(準立法的な機能)を持っています。この点は裁判所、国会両議院、各独立行政委員会、地方公共団体(いわゆる地方自治体)の長や委員会に並びます。学術会議はこれらと同等の独立性、中立性を与えられていると解釈すべきでしょう〔前出、大浜2020年、1166頁〕。

どうしてこういう機関を置くのか。ここでその目的に立ち返ってみましょう。

【日学法】
(前文)
日本学術会議は、科学が文化国家の基礎であるという確信に立つて、科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命とし、ここに設立される
第一章 設立及び目的
第一条 この法律により日本学術会議を設立し、この法律を日本学術会議法と称する。
2 〔省略〕
3 日本学術会議に関する経費は、国庫の負担とする。
第二条 日本学術会議は、わが国の科学者の内外に対する代表機関として、科学の向上発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させることを目的とする。

ここまで見てきたように、この目的を果たすためにこうした法律=制度設計がなされているのです。

2-4 内閣総理大臣による任命権とその裁量の限界――国民主権と「法律による行政」の原理

では、なぜ内閣総理大臣に任命権があるのでしょうか。

【日本国憲法】
第十五条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。

第六十五条 行政権は、内閣に属する。

第七十二条 内閣総理大臣は、内閣を代表して議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告し、並びに行政各部を指揮監督する。

現在、菅内閣はこの憲法第15条1項を筆頭にこの3条を、任命拒否を正当化する論点として挙げています。
2018年に内閣府日本学術会議事務局がまとめた見解によればこうです。

① 日本学術会議が内閣総理大臣の所轄の下の国の機関であるところから、憲法第65条及び第72条の規定の趣旨に照らし、内閣総理大臣は、会員の任命権者として、日本学術会議について一定の監督権を行使しうるものと考えられる。
② 憲法第15条第1項の規定に明らかにされているところの公務員の終局的任命権が国民にあるという国民主権の原理からすれば、任命権者たる内閣総理大臣が、会員の任命について国民及び国会に対して責任を負えるものでなければならないこと。

上記にくわえて、憲法に「司法の独立」の規定のある下級裁判官任命や、憲法第23条の「学問の自由」を根拠とする国立大学学長の任命の件を日本学術会議における任命と類似の例として挙げています。
筆者は、この憲法に関する2018年における政府の「一般的見解」には反論しません。
しかし、菅内閣総理大臣による今回の任命拒否の正当化理由とするには重大な論理の欠落ないしは飛躍があると考えられます。
この憲法上の根拠は、当然人事院や公正取引委員会、中央労働委員会など他の独立行政委員会にも及ぶはずです。それでも、「所轄」の下での独立性が憲法上の規定なくしても法律の規定上、尊重されているように日本学術会議もまたその法律の目的と趣旨の範囲で独立性が尊重されねばなりませんし、内閣総理大臣の裁量権も限定されるといえるでしょうこの憲法の条文から法律の趣旨を超えるような、拒否を含む任命についての内閣総理大臣による自由な裁量権限が直ちに引き出せるわけではないのです。

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*ちなみに「監督権」という言葉の中身がこの政府見解では必ずしも明確ではありません。「監督」という用語は少なくとも1999(平成11)年の国家行政組織法改正までは「所轄」という言葉に近く、この所轄に対応させる意味で、主任大臣と多少離れた対立的・諮問的機関に使われていました。(前出引用の角田ほか編『法令用語辞典』の「所轄」の項を参照)。完全に主任大臣の傘下に立つ場合は「管理」という言葉が使われてきました。ここで政府は「管理権」とは言っていないのです。

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そもそも、憲法第15条1項の条文は、上記のとおり、国民主権の理念を規定していると理解されています。そしてそれが直接的に現れるのは政治家(特別職の公務員)を選ぶ選挙や最高裁裁判官の罷免などです。ただし、「すべて公務員」を選挙で選ぶことはできませんから、国民の代表である国会の立法に従った選出方法をとることになります〔国会による勤務条件法定主義:藤田宙靖『行政組織法』2005年、265-266頁。ここではあくまで旧大日本帝国憲法下における天皇の「任官大権」に対照されるものと位置づけられる〕。その立法に従って、行政権者が任命するというかたちで、国民主権であることを担保しているわけです。
日本学術会議会員は、現在選挙で選ばれる仕組みではないため、国会の定めた法律に従い行政を司ること(「法律による行政の原理」)で、国民の選定権が及んでいると解されます。
まとめます。内閣総理大臣に任命権・監督権が全くないとは言うことはできないでしょう。ただし、法律の趣旨から見て、明らかに法律の趣旨や手続きに反するケースのみ任命が拒否できるということです。
むしろ、憲法第15条第1項により内閣総理大臣は人事に関し国民に責任を負うのですから、推薦された会員候補者を任命しない個々の理由について、法の趣旨や手続きにかなっていないかどうかを説明する責任があると言えます。
ここでは詳細を取り上げませんが、現行の推薦制を導入した法改正案で、これがあくまで「形式的な任命権である」とした当時の政府説明員による国会答弁はこのような法解釈や理解が背景においてなされたものと考えてよいでしょう。

以下は、昭和58年5月12日の参議院文教委員会議事録を、小西洋之参議院議員がTwitterに投稿したもの。マークは小西議員による。

〜〔https://twitter.com/konishihiroyuki/status/1311561522397683712 2020年12月12日閲覧〕

このような法律=制度設計になっていることには、立法当時の中曽根元首相の答弁にあるように、〈憲法23条「学問の自由」〉の趣旨が明らかに関連しているのですが、ここでは立ち入らず改めて「第2回 続・憲法と法律から考える」において論じます。

2-5 想定される任命拒否のレアケース

さて、今回は推薦者の人数が法定通りでした。それら推薦者のなかに日学法の趣旨に明白に反する推薦者が含まれていた場合、法の趣旨に反する重大な瑕疵(欠点、キズ)があるとして、内閣総理大臣が任命しないケースは理屈の上ではありえるかもしれません。
強いて考えれば、こういうケースです。

A) 著作や論文がひとつもない。
B) 主要業績を覆すような重大な捏造、剽窃、盗用(研究不正)があったと認定された。
C) 研究費の不正受給のような不祥事があった。

A)は現実的に考えづらく、およそ推薦されるとは思えません。したがってB)またはC)のケースがありうることになります。
B)、C)のような事件は文系理系問わず起こり得ます。
(先に引用の内閣府文書では日本学術会議の連携会員の例があがっています。またSTAP細胞事件や史料捏造事件なども記憶に新しいところです。

任命の30日前に名簿を提出することが内閣府令で決まっていますから、推薦後に研究不正や不正受給等の認定を受けることはあり得ることです。推薦の事前に認定されているのであれば推薦されないでしょうし、疑いだけでも推薦から予め排除される可能性が高いと思われます。
疑いレベルでは任命を拒否できないと思われますが、大学や学会などで明確な認定を受け、万が一、学術会議側からの推薦が取り下げられないときには、内閣総理大臣の任命の拒否あるいは留保が起こり得る可能性は否定できません。しかし内閣総理大臣が科学的知見を持つ専門家の見解をなんら参照せずに、独自に研究不正について判断するというのは困難でしょう。しかし、これも実際には前例がなく、今後起こりうるとしても、研究不正や不正受給の告発から調査、認定に至るまでに一定の時間がかかることから、この事由での任命拒否が現実化することは考えにくいと思われます。

2-5-1 推薦者が定数を上回るケース

最後の論点になります。推薦者が定数を上回っていた場合はどうでしょうか。
これは、法律の趣旨にかなう範囲で内閣総理大臣に推薦者のなかから定数分の会員を任命する裁量権はある、と解されるでしょう。例えば、中央労働委員会や地方労働委員会の各種代表者委員の任命手続〈労働組合法第19条の3、労働組合法施行令第20条ほか〉がこれに近くなります。多数の各団体・組合から推薦されますから当然定数より多くの推薦者が出されます。
しかし、各労働委員会と異なるのは、単体の日本学術会議のみが推薦者を選考する権限を本来持っているわけですから、定数を上回る推薦者を出した場合にのみ、その選択の権限を一部内閣総理大臣に委任しているということに過ぎません。委任された部分は「監督権」の一部として選択をする余地は残されているといえましょう。先に触れた2018年内閣府文書もこの推薦人数の法定定数以上出された場合の任命時の実質的選択を正当化しようとしたものといえます。
定数通りであれば法の趣旨に反していない限り任命拒否ができないことはこれまでに述べました。また推薦者の数については定めがなく、先に挙げた内閣府令にも任命手続に推薦者数の定めがないことから、定数以上の推薦者を出すよう内閣府が日本学術会議に求めることも《法的には強制できません》
この2018年の推薦を除いて、従来、日本学術会議が定数通りの推薦をしてきたのは、むしろ内閣総理大臣による任命時の選別によって会員に政治的な党派色あるいは利益代表色をつけることになるのを避ける配慮があったとみるべきです(「選ばれなかった」だけでなく、「選ばれた」ことも中立性を損なうことになります)。法定定数と同じ推薦者数というのは、独立した学術的評価にのみ基づく、あくまで科学的専門性に基づく党派色や利益代表色のない中立的機関という位置づけによる慣習であったと考えられます。こうした慣習が今後変更されることはないと必ずしもいえませんが、定数通りの推薦者をそのまま任命する形式に法的な意味があったことは否定できないのではないでしょうか。ローマ法諺にこうあります。

Inveterata consuetude pro lege custoditur.
旧い慣習は、法律と同様である。
Vetustas semper pro lege habetur.              
年を重ねた慣習は、常に法的効力を持つ。
〔出典:宮崎繁樹「ローマの法・格言・法諺抄」明治大学『法律論叢』81号、1-58頁〕

3 ここまでのまとめ

以上の点から、

1) 法の「優れた研究又は業績のある科学者」という趣旨に適うとされる会員の選考と推薦とは、内閣総理大臣の指揮命令を受けない独立性ある学術会議の権限であり、
2) 首相はその推薦者のなかから定数の任命をしなければならない。つまり、推薦者と定数が同じであれば、推薦された会員候補に法的な瑕疵がない限り内閣総理大臣に任命を拒否する実質的な裁量権はなく
3) 法定定数を満たせないかたちで、かりに例外的に任命を拒否することができるとしたら、「優れた研究又は業績のある科学者」という法の基準を明らかに満たさない重大な瑕疵ある推薦者というレアケースだが、制度上それも想定しにくい

と考えられます。よって今回の任命拒否のケースは非常に違法性が高いと考えられるという結論になるわけです。

またその違法性をクリアするためには、拒否された会員候補者が「優れた研究及び実績のある科学者」でないことを十分な根拠を持って内閣総理大臣は憲法上国民に責任ある立場として説明しなければいけません(政府は憲法第15条1項を根拠に任命拒否に及んだとすれば、まさしく、その憲法第15条1項が求める国民に対する責任として、法の趣旨に基づき、その理由について答える必要がある、ということになりましょう)。

(以下、次回記事につづく。引用・参考文献および謝辞はシリーズ最後に挙げます。)

文責・NPO法人メディアージ顧問 池 亨





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