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ヴェルディと自立生活と25番

なぜ、このnoteでともっちさんや脳性麻痺のことを綴っているかは、下記のnoteをお読みいだたけたら嬉しいです。
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ヴェルディの練習を観に行った、初めての日。
帰り道、大人になったら、この近くに住むと決意した。

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20歳になって物件を探しに不動産屋へ行ったら、当時は車いす利用者だからという理由で門前払いされた。仕方なく住みたい街をブラブラ歩いていたら、空き部屋らしい部屋を見つけた。

「いまから内覧できますか?」
すぐさまその場で電話をかけた。

結局その物件には決まらなかったけれど、別の物件を見つけて、20歳で親元を離れて自立生活を始めた。
本当は、練習場の近くがよかった。
でも練習場のあるよみうりランドは東京と神奈川の県境。
神奈川に住むと福祉手当は東京の半分以下になる。
福祉制度は、地域によって大きく異なる。

自立生活をはじめてから、週3~4回は練習を観に行った。
週末はもちろん試合観戦。

そうこうするうちに、選手の北澤さんと仲良くなり、練習場でも話すことが多くなった。当時はユースにいた平本一樹がトップチームの練習にも参加していて、試合にも時々出場していた。

ボールを持ったら、全力でゴールに向かう彼のプレーは、将来への期待を感じさせてくれた。

北澤さんに一樹のことを話すと「よく見てるね」と、一樹を連れて来てくれて、私のことや一樹に対する想いを伝えてくれた。北澤さんと私の関係性をほかの選手も見ていたし、とりわけ一樹は初対面のときから障害がある私に対して自然体で関わってくれた。

その一樹が長年にわたり付けていた背番号が「25」。

調子がいいときも悪いときもどんなときも、一樹のことを応援し続けて、一緒に過ごした現役生活17年間。
たくさんの思い出が詰まった25という数字は、私にとっても大切な番号だ。

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