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非日常が日常になった日

ウガンダに来て8か月。
世間ではもう年度末、ウガンダでは雨期に入る頃。
でも雨はいったいどこへやら、季節外れの猛暑日が最近続いている。

自分が赴任してからディレクター陣を除くすべての人が辞め、ここ数か月間、誰も来ずに閉まっていたオフィスは、3月になってようやく"時々"開くようになった。
8か月目にして、ようやく初めてとなる「同僚」と呼べる人が来てくれたおかげで、
久しぶりに「協働する(誰かと一緒に働く)」という感覚を取り戻した気がする。
1人でいることが多かったからか、協力してくれる人がいるなんて、なんて素晴らしいのだろうと、
しばらくはフィールドに一緒に来てくれるだけで
気持ち悪いほど彼らに感謝していた。

生活は相変わらず、停電はほぼ毎日、断水は数日家の水道が出るようになったと思えば、2週間ほど断水することをここ最近繰り返している。

つい先日のこと。
朝起きて朝食を済ませ、いつものようにジェリ缶(水汲みタンク)を持って井戸に水を汲みに行った。

帰宅してふと思い出した、

「あれ、家の水道出るようになったんだった」と。

気づけば「毎朝の水汲み」は私の朝のルーティンの一部になっていて、もはやその不便ささえ最近あまり感じなくなっていた。
最初はジェリ缶1つ(20L)で1日生活できなかったのに、最近は20L以下で済むことも。

ちなみに、うちは人間1人と複数の虫や動物が一緒に暮らしている。
つまり、日常的にゴキブリやネズミが出るのだが(ときどきカエルやヤモリ)最初はあんなに怖がっていた"やつら"も、無心で退治できるようになった。深夜や早朝に"やつら"のガサゴソ音で睡眠が妨害されたり、食糧が勝手に食べられてそこら中糞だらけにされるのは今だに慣れないし嫌だが、怖い対象というより、むかつく対象になった。

ウガンダに来る前まで「非日常」であったことが、きっと今はそれが「日常」になっている。

井戸で水汲みなんてしたことない、ゴキブリを数十匹も退治したことない、ネズミなんか日本の家で見たことない。
でも慣れは怖いもので、そこに住んでしばらく経てば、それが「日常」になるんだなと。
何だかちょっとだけ、現地の人の生活が、そこで暮らす人の気持ちが、分かったような気がした。

そう思ったのは、家族や友達と話をしていたとき。
自分の生活について話をすると「大変な生活だね…!」と同情される。
だけど、その生活に慣れた自分からしたら、そこまで辛いものではない。
むしろ「『今の』日常」を脅かされるような何かが起きたとき、もとの状態に戻れないことがあったら、きっとそれは重大なダメージだろう、と。
例えば、マラリアに罹患したけど病院に行けず治せない、
毎日仕事(活動)で使う自転車が壊れたけど直す場所やお金がない、
いつも電話で話す家族や友人、恋人と連絡を取る手段がなくなった、等。

家に毎日水道や電気がある、お湯シャワーもある、虫や動物が一切出ない、
それは誰が聞いてもきっと喜ばしい生活(というか日本人からしたら当たり前の生活)だけど、ウガンダの人からしたら、別にそれらがなくても憐れまれることではないだろうし、エッセンシャルなものでもないだろう。

Had betterなことはたくさんあるけれど、
「日本の日常」ではなく「『今の』日常」で
Must haveは何かを考えてみると、
案外現地の人たちのニーズは見えてくるんじゃなかろうか


と安直だけど、そう思った。

とはいえ、完全に現地の人と同じ生活は出来ない(自分の家には水道、電気、シャワー室があるが、そもそもそれらが備え付けられていない家もザラにある)から、見えてない部分もたくさんあると思う。
けれど、少なくとも、今この環境下で生きて、
暮らしてみないと分からないことも、きっと多くある。
上手くいかないことなんてデフォルトだけど、
こういう小さな気づきがあるだけでも、
自分がウガンダに来た理由があるんじゃないかと思う。
(いや、そう思いたい(笑))


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