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自分をアップグレードさせるために必要な事

日本の飲食店では入社4年目で副料理長のポジションに就きました。とはいえ、これはただ料理長の補佐(雑用係)のための肩書で、季節がわりの新メニューの試作考案から商品化までの流れを全てサポートするのが僕の仕事でした。まず料理長が使用する食材を前に何を作るかを決めます。試作段階に密着しながら、仕入れ業者と卸値の変動や歩留りを調べます。試作の調理工程、調理ポイントを精査し、幹部を集めた試食会の日程を調整し、この日までに原価率、推定粗利益率、レシピを出しておきます。試食では概ね改善点や変更事項が発生します。あるいはまるっきりボツということもあり得ます。その変更事項に合わせて再度レシピやマニュアル、粗利益率を修正します。再度試食日は間髪を入れずに行うので、料理長のその場の判断や思いつきによるアイデアを一つとして漏らさないようにメモに取っていました。季節毎の4回と年末のスペシャルメニューで、年5回はこの業務のおかげで、毎回1ヶ月間は現場と並行してこの事務作業に追われることになります。また既存メニューのアップグレードや、仕入れ食材の変更に伴うレシピの変更も随時行われていました。店舗は市内に8店舗あったので、レシピを作ってからも各店舗を回って調理履修の確認も行いました。しかし店舗による味のばらつきは常に起こりうることで、そのために各調理担当者のための社内調理免許を発行することになり、その試験のためのガイドや免許交付のための試験監査役も務めるようになりました。このためにほぼ休日返上で、1日16時間くらい働いていました。それでもその日常が濃密で、使命感を持って取り組んでいたので苦痛ではなかったのです。いわゆるワーカーホリックですね。その渦中にいる時は気がつきませんでした。

そして勤続10年目で僕は上行結腸継室炎という病気にかかって緊急入院することになってしまいます。約2週間水分も取ることが許されず、点滴で過ごしました。体重は中学1年以来の痩せ細った体になり、階段を上ることすらできなくなりました。結局この経験から、僕は自分のこれからについて考えることができるようになったと思います。

その出来事が不幸だったとは思っていなくて、新しいことへのシフトチェンジのタイミングが来たんだ、と捉えていました。その翌年に僕は海外移住という人生の舵取りを選択するのですが、料理長に密着していた時間は、今の僕の料理人人生に大きな糧となっていますし、その頃のヒントが今でも沸き起こったりしているのでとても感謝しています。

そんな働き方が常軌を逸していたと気づいたのはドイツに渡ってからです。しかしその頃の経験が間違っていたとは思えなくて、中途採用でこの業界に入った僕にとっては、少しでも経験値とスキルを身に付けるためにはどうしても必要だった。いうなれば必要「悪」であったと言えるかもしれません。僕にとっては必要だったけれど、これからの人に同様に求めるわけにはいかない経験だと思っています。

「俺がそうやってきたからお前らだってそうするべきだし、できないはずないだろう」と言う考え方は、自分の物差ししかない人の考え方です。自分の物差しだけで成功する人はほんの一握りです。いわゆる天才肌の人ですね。僕のように至極凡人たる一介の料理人は、そしてほとんど全ての多くの料理人は、徹底的に相手の物差しをイメージする必要があると思います。それは家族のことや、従業員のこと、顧客のことについても同等に必要であると思います。その想像力を養うことで、ほんの少し自分をアップグレードできるはずです。

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