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車で遊ぼう①

こんにちは。釘です。
今日は道具の話。大きな買い物となる車。大きなものを運んだり、気ままな旅をしたり、あれば便利なものです。
今ではその便利さを頼り楽しんでいる状態ですが、かく言う僕も普通自動車免許(AT限定)を取得した学生時代までは「交通機関も沢山あるからいらないや」と考えていた。
単なる身分証明書として10年近くも財布の中で汚れていく免許証は、驚いたような僕の顔がこちらを見ているだけで、どうしてマニュアル車があるのだろう。そもそもあんな高い物をわざわざ借金してまで買う理由が分からない。などと、それほど興味を持つことはなかった。

それから社会人になり、車がなければどうにもならない状況になって、仕方なく購入を決めた。最初の気持ちは仕方なくである。
その時、僕の中で「仕方ないけどせめて自分がいいな、面白いなと思うものにしよう」そうして色々なメーカーを調べ、悩んだ。予算、デザイン、性能、、、様々なものを考える。なんでドアが4つもあるのか、利便性と楽しさと、やっぱりいつも使うものなのだから、納得したい。と凝り性が顔を覗かせる。
話は変わるけれど、海辺のカフカに出て来た緑色のロードスターがずっと頭の中に残っていた。複雑さを体現したキャラクターが乗っていた。時期を考えれば恐らくリトラクタブルじゃない気がする。夜、緑色の車は見つけにくい、死ぬなら思い切り。そんな刹那的なことを言っていたので印象に残っていたのだ。素直な車と複雑に見えるキャラクター。つまり、機械と人間。そこまで分解すれば、僕の好きなテーマになる。
話を戻そう。だがそれは2人乗りで荷室が小さく僕の用途に合わない。(趣味だけれど、打楽器奏者の端くれ。太鼓はいつだって場所を取るんだ。)荷室が分かれるセダンやクーペもやっぱり何か違う。ハッチバックが良い。
うんざりするほど車を見たような気がする。まずは新車で。
試乗するときに僕が気にしていたのはとにかく真っ直ぐ進むということ。車なんだから真っ直ぐ進むだろうと思うけれど、実はそれほど真っ直ぐ進まない。怖いな、と思うものも結構ある。
そうしてみて回るうち、僕が決めたのは208Gti だった。86とアバルト595と迷ったのだが、それがなんとなくしっくり来たのだ。
外車、スポーツっぽい仕様、興味を持たないの極北にあるような選択をしている。僕は何を考えているのだろう。

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独特なカラーリングと加速が楽しい真っ直ぐ進む車の一例

どうしてこれを選んでしまったのかと、過去の僕から後ろ指を、呆れ果てた態度を取られてしまっている。マニュアル車で値段もそれなりにするものにしたのか、もっと手軽なのがあっただろう、と。
けれどもあの小径ハンドルと真っ直ぐ進む所はやっぱり面白い車だと思う。(2ドアハッチバック、1.6ℓターボに響くものがある人もいるんじゃないだろうか。)などど筆を進めれば後ろから「仕方なくはどこ行ったんだよ」と睨まれるので、面倒な凝り性はどんなものであってもそうすると決めたら自分の好きに正直になってしまうのだと言い訳しておく。

そんな僕も少し反省をして、先日車を買い替えました。
今日の主題はこの話です。
(上に載せている2CVがそうです。)

僕と同い年の旧車である。

車が楽しいと思った

というのは、会社員を始めてからだった。
紆余曲折あって地元から離れ、地方に来てから僕はやはり不便さを少なからず感じていた。電車もバスもあるけれど、それは中心部がほとんど。それに加えて仕事でも車を使う。マニュアル車は避けられない。
だからペーパードライバーの僕は危機感を抱いた。そもそも運転出来ないのではないか。ペダルが三つもあって、踏み込めば飛べそうな気がする。第三のペダルは飛ぶためにある。空飛ぶ車がどうして未来なのか、僕にはいまいち理解が出来なかった。せめて月まで行けないとなあ。
そんな妄想をしながら慌てて限定解除の講習を受けるも、まったく運転していなかったので僕は何度か実技試験を落とした。恐れていた通りである。手痛い出費と、ちょっとした虚しさ。あの免許合宿は一体何だったのか。またもS字で苦戦を強いられた。僕はコツを掴むのが遅い。
ともあれ前述の車を購入したのは限定解除から一年ほど過ぎた頃。少しずつ運転にも慣れ、車で少し遠出するのが楽しくなっていた。ダイヤに縛られず、好きな音楽を流し高速道路のパーキングで決して安くはないカップコーヒーを飲んだり、車の流れを見ているのが楽しい。深夜に人気のない道路を走らせて色々なことを考え、星を見たり、動くパーソナルスペースは僕のような人間にとってよい娯楽になっていた。
別にスポーツドライブをするでもないし、速さを競ったり滑ったりするのは求めていない。けれども、自分の行きたいところへ自分のペースで向かえるのが楽しい。疲れてくれば操作が徐々に大きくばらついてくる。ちょっと休もう。目についた店に入る。気にも留めなかったものが見えてくる。
色々な発見があるのが車に乗っていて楽しかった。

シンプルな骨董品

ただ運転するよりももう少し踏み込んでみよう。自分でも触れるくらい単純で変な車に乗ろう。ふとそんなことを思ったのは昨年のこと。
特に趣味もない僕が始めに考えたのは「今あるものがない」
沢山の情報と沢山の便利に囲まれている所から、少しだけ離れたくなる天邪鬼な気持ち。最初に作られた時から車も便利になって、性能にもかなり余裕がある。例えばコンシェルジュサービスに「こんなことがしたい、これが食べたい」と言えば良さそうな所を予約したり、案内してもらえる。
またはエンブレムを買う。それが何かのステータスになるかのように。
社会が違えば求める機能も違ってくる。アメリカではピックアップ、日本ではミニバン、台湾なら二輪。文化の違いが使われる道具にも差を生む。同じものを作っていても、全然違う。車でも、なんであっても。
その違いが色濃く出ているもの。考え方が面白いな、と思ったのが今回乗り換えたシトロエン社製の2CVという車になる。
これは1949年からほとんどその形が変わることなく1990年まで販売されていた。最初に考えられていた設計思想をWikipediaから引用すると、

50kgのジャガイモ又は樽を載せて走れること
60km/hで走行できること
ガソリン3リッターで100km以上走れること
荒れた農道を走破できるだけでなく、カゴ一杯の生卵を載せて荒れた農道を走行しても、1つの卵も割ることなく走れるほど快適で乗り心地がよいこと
車両重量300kg以下
もし必要とあれば、(自動車に詳しくない初心者の)主婦でも簡単に運転できること
スタイルは重要ではない
Wikipedia : https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%88%E3%83%AD%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%BB2CV

生活に必要な機能を入れる。それ以上でも以下でもない。
後は、シルクハットをかぶったまま乗れるように天井が高めにしている所も当時のフランスの社会というか、生活が垣間見える。
加えて、車の機能が最小限に実現されている。エアコンもなければパワステもない。エンジンもチョークを引くかアクセルを踏んでなければかからない。機械と人間の距離が近い。そういった所に僕は惹かれた。
そうして少し考えて、特に考えてはいなくて、もう少し苦労して車を使うのも面白いかなんて思って買い替えたのだ。

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走るかまぼこ(赤)

勿論、もう30年以上も前に作られた車なので、これから様々な不具合や問題が出て来るのは確実だ。(幸いなことに部品はまだ流通している。)むき出しの配線、ちゃちなビニールテープ補修、色が変わったギボシ、ボンネットを開ければ明らかに電気系統は大きな手直しが必要そうに見える。歳を取れば体は上手く動かなくなる。それと同じ様にこの車も大切に乗らなければと思える。
だから、自分である程度手を入れながらこの自分と同い年の2CVを長く乗っていきたい。つまり、車は遊び道具でもあるんだ。
加速もそれほどしないので、どこへ行っても後ろからどんどん追い抜かされる。窓を開けてのんびりと走るこの車はそんなに急いでどこへ行くのだろうと、船の様にゆったりと揺れる足回りと吹けば飛びそうな軽さで、他の車を見送っていく。

釘を打ち込み打ち込まれる。 そんなところです。