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「正解」という呪い_1

こんにちは。
9,000人と只々話してきた36歳、meexおじさんです。

今回は、私たちの人生にまとわりつく
いくつかの呪いの中から、
「正解」という呪いについて書きたいと思います。

「正解」はうれしい


「正解」という言葉は、元来嬉しいもので
言葉としては「正」のエネルギーを持つ言葉として
みなさんは好意的に受け止めることが多いですよね。

私はクイズ番組や謎解きが大好きで、
ふとチャンネルを回したときに、そういった番組と出会うと、
ついつい見てしまいます。
なんなら出演者の皆さんと競って、テレビの前で我先に
解答を口走る模範的視聴者です。(笑)
私の方が先に「正解」を出せたときの、
誰にも言えない、言わない小さな優越感は、
私のような模範的視聴者の皆様には分かって頂けるのでは。

他の場面で言うならば、
「試験」や「検査」、「テスト」の類が正に、
私たちが「正解」を追い求める最たる例ですね。

この場面を一度も経験せずに
大人になった人間は、日本にほぼいません。
必ずどこかのタイミングで私たちは「試される」のです。
それが私たちの身体と心に「正解はうれしい」と、
これでもかと深く、刻み込むのです。

「正解」の裏側に潜むもの


その解答が「正解」であるかどうかを
決めている誰かの存在を皆さんは意識しているでしょうか。

そうです。世の中の正解の裏側には常に「出題者」がいます。
出題者は、殊その試験やクイズの中では
「全知全能の神」のような存在です。
彼らは何らかの意図と、持ちうる情報と思考をもって作題し、
事前に「正解」を設定します。

私は昔から本を読むことが大好きでしたし、
国語の試験が大得意でしたが、反面大嫌いでした。

「筆者の気持ちと最も近い選択肢を次から選べ」
皆さんもこの類の設問に何度も出会ってきたでしょう。
子供心に私は、「筆者でもない誰かが何を勝手に○×を判定するのか」
と憤慨しつつも、筆者ではなく設問に張り巡らされた出題者の気持ちを
読んで、「正解」を出してきました。

どんなテストの受け方もそれが「正解」でしょう?
テストでは点数がつき、高ければ高いほど良いとされている。
ならば、正解の裏側にいる全知全能の神にすり寄り、へつらい、
「ご所望の答えはこちらですか?」と全身全霊をもって
お伺いを立てるのが「正解」の振る舞いでしょう?

その幼少期からの習慣が私たちの大部分に
「とある呪い」をインストールするのです。

この世界に全知全能の神などいないのに・・・


私たちはこの呪いの効果で、
出題者などいないこの世界で空虚な「正解」を求め始めます。
「空虚な」と敢えて書きました。
そこに確かなものなど一つもないからです。

私は大学生たちと日々お話していますが、
彼らは最もこの呪いを受けた種類の人間であると言えます。
これは大学生を経験した私も同様です。
なぜ「最も」と言い切ったかというと、
「正解獲得レース」で何らかの「成功体験」を得た人間たちだからです。
多くの正解を出し、甘い甘い果実を得たことで、

「強烈な呪いのインストールが完了しました」


私は、就職活動に関するありとあらゆるお悩みを打ち明けてもらい、
その悩みを一緒に解決したり、あるいは解決できなくとも、
心を軽くしたり、足取りが軽やかになる為のお手伝いをしています。

その中で、彼らの心をもっとも冷たく、重たくし、
それでも依存し、頼ってしまうものの正体が、
「正解」であることに気付きました。

そして、更にそれに拍車をかけるのが、
入社試験における様々な選考を担当する
「むかし学生だった社会人たち」もまた、
「正解」という呪いをインストール済みであるということ。

これによって、社会人と学生は相互に、
正解という名の呪いを強化し合うのです。


・・・書けば書く程、書きたいことが膨らんできてしまいました。
悪い癖です。

次回のnoteはまた、この続きを書きたいと思います。
よい週末を。



m_oji






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