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繊細とは切なさを持ち歩くこと

感受性が強い、と人から初めて言われたのは、私がまだ自分の人生を12年しか生きていない頃だった。

25歳の今となっては穏やかで柔らかさがあると言ってもらえるようになって嬉しいが、特に小学校〜中学校の頃は針山を覆って生きていた。それはきっと、感受性が強いが故に本心を話せなかったからのように思う。
これはもう生まれ持ったものなので変えられないのだが、些細なことに自分だけが気付いて共有できない、そんな感覚があった。

例えば、小学校時代に所属していたミニバス。
正直そこまで上手くないが、子ども心として純粋に活躍したいと思っている6年生。身体能力が高くて人数が多く勢いがあり、どんどん試合に出たい、けどその中でも小さな嫉妬も生まれていた5年生。口では6年生を応援しているけれど、本音としては5年生を育てていきたい監督。それぞれの保護者の気持ち。頑張り方が分からなくて、本心に背いて本気で練習しない6年生。
当時キャプテンだった私は、勝つんだったらもちろん5年生を試合に出した方が良いけど、出来るなら6年生と同じ気持ちで頑張りたいし見捨てられないと思っていた。しかしそれと同時に、いい加減に練習する姿に腹が立っていた。ただそもそも監督の心のまなざしなんて、こちらを向いていなくて…。

そんな風に言葉として表現されていなくても、空気感や表情や言葉を跨いで訴えてくる様々な感情をひとり静かに感じ取っていた。
そのうえ、これらを伝えたところで何も変わらない、だって相手はきっと今こう感じているから…と、その先まで察知をしていたので、感じ取ることは簡単なのに伝えることはこんなにも難しく、幼いながらにいつも歯がゆさを抱いていた。

繊細であるということは、孤独を知ることであり、人よりも多くの切なさを持っていることなのだ。
でも繊細じゃないと成し得ないことって、いっぱいあるからね。

私の過敏さは、弱さとイコールではない。
つまらない人生を送らないために決して妥協しないための、立派なセンサーなのである。このセンサーは厳しい水準を妥協なく要求してくるので苦しいが、逆らうときっとこんなになまけものの自分はすぐだらけてそこそこの人生を選んで、なんでも人のせいにして、おいしいものを食べたり飲んだりばかりしているが満たされず、てきぱき動きもせず、あまり人のためになることもせず最低限のことをいやいや要領よくやるだけで、つらいときも笑顔でいるような人をまぶしくねたましく思うだけで、いつもぶっちょうづらをしてぶつぶつ文句ばっかり言って、そのまま死んでしまうことになるのが見えているので「それだけはいやだ!」とすごい葛藤をしながらもかなり忠実にやってきた。
このセンサーのおかげでぎりぎりのラインでいつも生き残ってしかもひとりでも熱く燃えていられるのである。そして悔いない人生の時間を生きることができている。
【吉本ばなな】

繊細だと人との距離感や違和感などあらゆるものを感じ取り生きにくいけれど、その中で自分の生き方が研ぎ澄まされていくことで、自分が自分として生きるしかないのだ。

ある夜、一人で昔のことを思い出していた。
よく遊びに行っていた広島のおじいちゃんおばあちゃんのことだった。家の間取りや古びたソファとか、おばあちゃんちで食べるのが好きだったくるみパンとか、工作教室で作ったプレゼントをずっと大事にとっておいてくれたこととか。
私は昔からその場面を映像で記憶しているのだが、それをふと思い出して懐かしんでいた。自分が大切にしたい記憶が、確かにここにあった。ただおじいちゃんは7年前に亡くなっていて、おばあちゃんはいとこの家にいるので、もう戻れない空間なのだ、と。

その夜の次の日、おばあちゃんが亡くなった知らせが届いた。
おばあちゃんが、私の記憶を繋いでくれたのかな?と思わざるを得ない不思議で温かい出来事だった。

どんなに遠い記憶だったとしても、決して色は褪せない。誰にも気付かれない自分だけの感覚を持つことは切ないけれど、この出来事はそんな切なさに小さな明かりを灯してくれたみたいだった。

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