見出し画像

海の中では見つからない

蠢いている、と感じる時がある。

日々を生きる中で、さまざまな情報や人々が抱いている感情とか、そんなものたちは休むことなく漂い続けている。
特にあらゆる情報が手に入りやすい世の中になった。この情報というのは、自分の興味があることの詳細とか、人々が求めている欲の部分とか、あの子が今見ている世界のこととか。本当にたくさんのことを指す。

ネット上では何かを表現できたり、何かを得たり、何かを発信することができるため、瑞々しい海のように広くて、自由で、そして暗さを秘めていると思う。その中では、きれいな魚や見たことのない美しさに出逢えると思うし、踏み入れない方が良い領域もあったりするだろう。どちらにせよ、多くの人を魅了し、生活になくてはならない存在である。

ただ、そこに自分の意思がないと、自分を大切にできている状態にいないと、ふらふらと彷徨うことになってしまう。
それって本当に好きでやっているの?
自分の違和感に反応してあげられてるの?
これをしないと、という衝動に駆られてない?

なんとなく、直感的にそう思うことがある。

自分の中の深いところに押し殺してきた気持ちをわかるということが、何よりも大切なんだなあ、と思いながら、私はタルトの上の果実を口に入れた。すっぱい、まだ生きている物にしかない濃い味がした。【吉本ばなな/本心】

あらゆる情報を意味もなく受け入れ続けてしまうと、いつしか自分が分からなくなってしまう。

そんなときは、陸に上がって水面がキラキラ光る様を、夕陽が少しづつ落ちて夜が深まっていく様を、ゆっくり眺めるのが良いのだと思う。
そんな風にして、自分のための時間、純粋でいて許される時間を大切にしたいものだ。
海に身を任せて流れてみることも必要だけど、人の価値観に揺られて、大事な自分を置いて泳ぎ続けるのはだめよ。

泳ぎ疲れたときは陸に戻ってきて、自分の好きな場所に帰ればいい。自分自身はきっと、陸で見つかるはずだから。自分の内面と静かに向き合える場所やシーンに身を置いて、自分を取り戻すんだ。この先も好きなものに囲まれて生きていく。
日常がそんなものばかりで溢れますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?