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愛を取り戻した話

父と彼と私の関係を通して、再び愛を取り戻した話をしたい。
自分の中にも大事な人の中にも愛があることに気付いたとき、何か満たされた気持ちが涙となってどんどん溢れてきた出来事を、ようやく誰かに話せる気がする。

私の父親は厳しい人だった。
普段は家族5人を養うために働いてくれてたが、何かに怒ると自分を曲げない合理的な厳しさを持っていた。そこに妥協はなくだめなものはだめという姿勢は、私にも強さを与えてくれたと思う。
そして父は私が大学2年生の頃に、脱サラして牧師になった。家族は全員洗礼を受けてクリスチャンだったが私だけ洗礼を受けていなかった。
何故受けなかったのか?私も分からない。きっと小さい頃から内省する癖がついていたので、自分のことを自分の外側に委ねるのは違うと感じていたのだと思う。

昨年12月頃父を小さな事で怒らせてしまい、洗礼を受けないなら絶縁すると言われる大事件が起きた。いくら厳しい父だったとは言え、子どもの頃私をいろいろな場所へ連れて行ってくれて、ずっと当たり前のように続いていた関係を絶縁するだなんて私の人生で起きるわけがないという衝撃的な出来事だった。
そして私の彼との結婚も認めないと言われていた。結婚すると一言も言ってないけどね。

それなら彼と駆け落ちすれば?という考えもあるが、そうはいかない。
当時私は彼との関係もいまいち悪かったのだ。

具体的には、彼がいつもデートに1時間は遅刻してくるのだった。笑
それに対して自分の考えを伝えても鈍い反応しか返ってこず、関係を続けるのは無理かなあと少しずつ諦めの気持ちが混じるようになっていた。

そういうモヤモヤして晴れない日々を過ごしていたある日、片岡先生と藤沢でサシ忘年会をした。片岡先生とは小6の時の担任の先生だが、出逢い方が先生と児童だっただけで、先生というより本音を話せて理解し合える人の方が近いかもしれない。

あれから10年以上経っても私の子どもの部分を大事にしてくれる先生は、隠れた愛を気付かせてくれたのだった。

まず彼に関しては、確かに遅刻はしてくるけれど、そもそも平日にほぼ毎日タクシー帰りで疲労してる中で1度も嫌がらず会う時間を作ろうとしてくれてるじゃないか、ということ。
そして私が感情的に伝えた事に対して、論破する事もできるはずなのに言い返さず聞いてくれているじゃないか、ということ。

それを聞いた時、私の心の中にはじわじわと「もっと彼が無言の優しさでしてくれていたことに目を向けるべきだった」という申し訳なさが込み上げてきた。
彼が分かりやすく言葉にしなかっただけで、私を大事に思ってくれてた事に気付くことができて嬉しかったのと、もっと大事にしなくてはという気持ちになった。
そして次の日そのことを電話で謝りながらなんだか泣けてきてぐずぐずだったが、彼は「そんなんで泣かんくてええやろ〜」と優しく笑い当たり前のように許してくれた。人に対して不器用だけど実は相手を想い優先してくれている人だと思う。ありがとう。

そうした際に、なんだか父も同じような気がしてきたのだ。
父と彼は、賢くて根性があり弱音を全く吐かないところや、自分の感情を表現することが苦手で不器用な点が似ていると気付いた。

きっと私は父に怒られることを恐れていて、父の思いやりをまっすぐ受け取れていなかった。
でも父が自分にしてくれたことを振り返ると、やはりそれは愛が無ければできないことばかりだったなと思ったのです。

そして時間をかけて自分の感じていることを手紙に書き、全てを伝えてみた。
父から愛情をしっかりと感じていたこと、でも怒られるのは嫌だったこと、そして洗礼を受けないことは父を否定してる訳ではないことなど…。
私も父が大切であり、ただ洗礼は自分の判断で決めたいという本心を、自分の意見だけ押し通したいという感情ではなくお互いの愛のために伝えられた気がした。じんわりと何かが溶けていくような時間は、私にとってこの上ない幸福だった。

今回の彼と父との関係を通して、私は自分自身含め「人の完璧ではない部分を受け入れること」や「不器用な人の愛にしっかり気付くこと」を学んだ気がした。
愛こそが幸福へ向かう唯一の道だということを、いつまでも忘れないようにしたい。

ちなみに、私の前世はヨーロッパの戦争時代に教会で怪我した人を看護する人だったらしく、もう人に奉公するのが嫌らしい。笑

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