見出し画像

いつかきっと離れるということ

こんなにも時が経っていた、と感じた秋の始まりの夜のこと。
約1年半、一緒にサービスをつくってきたあるメンバーがついに居なくなることになった。

当時新規事業だったこともあり、とにかく走るしかなかった日々。
私が振り落とされそうになると、いつも当たり前のように助けてくれた人。
いつかこの人が去る日が来るだろうと予感していたけれど、その日は気付かぬうちに隣にきていたんだね。

この人は、他者に影響を与えたい、他者からこう見られたいという他者ありきで自分の欲を満たすという一面があまり無く、ただ純粋な向上心と追求心があって、他者にはとても良い意味で興味がなかった。
自分が向き合いたいテーマだけを追いたくて、だからこそ、その間に他者は存在していなかった。

それを理解できないと珍しがる人もいたが、
声を出さずとも私はそういう部分に密かに共鳴していた。同じなのだ。

私はその人の対して、能力が圧倒的に自分より上で、この仕事で出逢ってなければ到底関われなかった人だと思っている。
ただ、物事や他者へのスタンスが実は根底では合っている気がしていた。これまでの生き方を聞いてそう思ったのだ。
そういう「ずっと一緒にいるわけじゃないけど、お互いスタンスが理解できる」存在がいることって、何か乗り越えなきゃいけない時の支えになりますよね。

そして、気付いた頃には私も仕事に慣れて、目標達成できるまでになっていた。
どうやら、その人に何でも相談してしまう期間は遠くに過ぎてしまったようだった。

だから、今回お互いのいる場所が変わってしまうことは寂しいけど、私がその人から何かをもらう時期は終わったんだろうね。

秋風が吹く夜道、その人と飲んだ帰りに相談した。

こうやっていろいろな人と関わったとしても、いつか離れてしまうことを想像すると寂しくなる。
いつか離れてしまうから、離れても大丈夫なように絶妙な距離を作ってしまい仲良くなりきれない。

その人はちょっと考えてから、ほろ酔い気分ながらも、この言葉はいつもの感じで当たり前のように言った。

確かにそうかもしれないですが、
少なからずあなたと話して楽しい時間を過ごせたと思った人もいるはず。
そういう今後も関係が続いていきそうな人の事を大事に思っていったら、良いんじゃないですか?

無理して励まそうとしている訳ではなく、これはその人にとっての本心なのだ。
ただその中に確かに透明な優しさがある。

本当に、この人に出逢えてよかった。
その人の助けが何よりも必要だったタイミングに、一緒にいれたと思う。必然的だった。

もう近くにはいられなくて、真剣な話や、その中で冗談を言ってもらうことはできないけれど、仕方ない。
そんなことよりも、あの時間のことをずっと大事にしていきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?