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現在を生きる(後書き)

昨日はなんとなく小説が書きたくなって
小説を書いてみました。

私の中でいつも男と女に友情は成立するのか?
というのが大きな疑問です。

生物学的に考えてしまえばノー!だとおもうのですが
自分自身、子供の頃から男だからとか女だからとかあんまりそんなことを考えずに人と接してきた人生だったので、大人になるにつれて自分の中で大きな疑問に膨れ上がっていったのでした。

さすがに今は大人なので、勘違いされるようなことをあえてするとかはありませんが
子供の時はそんなことも全く微塵もないほどの接しようだったので「あいつほんとぶりっ子だよな」とよく陰口を言われていました。

「ぶりっ子っていうか、しゃべりたいんだったらしゃべったらいいじゃん!!!私全くそんなの意識してる訳でもなんでもないのに、いい迷惑だわ!!!」
と当時子供ながらに思っていました。
まぁ、人の好きな人も勘付けないほどには疎かったので自分も自分で自業自得だよと今となっては思いますが...(とほほ)

性格は男っぽくて、グループとかも苦手なのに見た目は可愛いものが好きだったので余計そう思われたのかなと思います。
なのでぶりっ子と喚かれていたときは、ピンクなど女の子らしいと一般的に言われるようなものをあえて遠ざけていました。好きな色は緑とか、全然嘘なのにちょっとでもそういう印象を消したくてもっと男っぽくしようと思い、高校や大学生になるくらいまで自分の心に影を落としていたなと思います。自分はこんなキャラじゃない!とか思っていました。(もう今はピンクも大好きで堂々ときていますが)

大学になってからも友人に「ぽむははじめは警戒されるよね、時間が経つとそうじゃないって分かってもらえるんだけどね」と言われ、まぁわかる人はわかってくれるからいいか、と思えるようになりました。

女の子だけではなくて、男の子も然り。
自分は友達もと思っていたのに相手は性的な対象としかみてなかった...みたいなことももちろん起こりうるので。
大人になってからの「恋愛対象じゃない?なら仲良くなる価値も何もないね」みたいなあの態度や対応がとても苦手で、「どいつもこいつも恋愛にしないと気が済まないのか??恋愛ではなくて、もっと大きな関係で仲良くしようよ」と思うのですが、男女共に恋にしたい!と思うのはもう生物の本能とも言えるので仕方がないことだと思うし、むしろ私の方が圧倒的にイレギュラーなんじゃないかなと思います。

結局、大人になってわかったことは同性も異性もわかってくれる人はわかってくれる。
自分の本当の表の部分しか見ることができない人がほとんどの中で、自分の内側をじっと見てくれる人もいるということです。
関係の保ち方が違うだけで、根本は同じなんだなということ。

だからこそ、本当の自分自身を受け入れて大切にしてくれる友人の存在をこれからも大事にしていきたいなと思います。

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