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くまのプーさんは息子の遊び相手だった

1月18日は、クマのプーさんの原作者、アラン・アレクサンダー・ミルンが生まれた日。

イギリスの児童文学作家、ファンタジー作家、推理作家、詩人、劇作家。

(1882年1月18日 - 1956年1月31日)

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グリーンビューティ®研究家の青木恵と申します。

ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。

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父親はパブリックスクールを経営していた。ミルンは学生時代から学内誌に詩や随筆を寄稿し、ケンブリッジ大学の在学中には英国を代表する風刺雑誌「パンチ」にも投稿。類まれな筆力が認められ、同誌の編集助手などを務めた後、作家として独立した。

軍隊にいる時、兵営の娯楽用に昔話風の劇を書いた。戦後は劇作で身を立てる決心をする。そのころ息子クリストファー・ロビンも生まれた。息子の生活を観察したり、自己の幼年時代を思い出したりして書いた詩集が「クリストファーロビンのうた」であり、大ベストセラーになる。その後の「クマのプーさんシリーズ」で全盛期を迎える。

『クマのプーさん』は、息子クリストファー・ロビンとそのぬいぐるみがお話のモデル。

クリストファー・ロビンは子どもの頃、誕生日にロンドンの百貨店、ハロッズで買い与えられたくまのぬいぐるみを遊び友達にしていた。ミルンは、クリストファー・ロビンの友達であるこのくまが登場する物語を作ろうと考え、当時ロンドンの動物園にいたメスの熊「ウィニー」と、クリストファー・ロビンがよく訪れていた公園にいた白鳥「プー」に着想を得て、「ウィニー・ザ・プー」という名前を思いついたそう。

子ども部屋には、ほかにもプーの仲間がいて――最初がイーヨー、それからコブタ、カンガとルー、トラーが加わりました。遊んでいるクリストファーをみながら、父親は彼らの冒険を記録していった。

『クマのプーさん』の冒頭で、クリストファー・ロビンは、クマをつれて2階からおりてきて、おとうさんにお話をせがむ。そこでミルンは、森で経験したいくつもの冒険のひとつを話しする。お話が終わると、階段は、お風呂とベッド、つまり現実の世界へもどる、象徴的な存在だった。

Any day spent with you is my favorite day. So today is my new favorite day.

"きみと過ごす日は、どんな日でもぼくの大好きな日。だから、今日はぼくの新たなお気に入りの日だ。"


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