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「音楽の遺産」ナタリー・コール:家族の影響、苦境を乗り越えた不滅の音楽

2月6日は、アメリカのシンガーソングライター、ナタリー・コールが生まれた日。ナット・キング・コールの次女。(1950年2月6日 - 2015年12月31日)享年65歳。

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グリーンビューティ®研究家の青木恵と申します。

ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。

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ナタリーは、カリフォルニア州ロサンゼルスで、ジャズ・ミュージック界の巨人、ナットとその妻オーケストラシンガーのマリアホーキンスエリントンという音楽一家に生まれる。

15歳の誕生日の後に父、ナットが45歳という若さで逝去。父親の早すぎる死から立ち直るきっかけは音楽だった。

その後、マサチューセッツ大学で児童心理学を専攻後、1975年歌手としての輝かしい活動をスタートさせる。

デビュー曲「ジス・ウィル・ビー」がいきなり全米ビルボード6位のヒットを記録。同年の【グラミー賞】で<最優秀R&B女性ボーカル賞>、<最優秀新人賞>に輝いた。

その後、薬物依存やセールスの低迷といった不遇の時を乗り越え、1991年に発表した父へのトリビュート作『アンフォゲッタブル』はジャズ作品としては異例の全米ビルボードNo.1ヒットを記録し、【グラミー賞】の<最優秀アルバム賞>を受賞。キャリアを通じて【グラミー賞】に21回ノミネートされ、そのうち9度の受賞を果たしている。

彼女は2008年にC型肝炎を公表。その後数年で急速に悪化。にも関わらず、歌うことを決して止めようとはせず、昨年11月からの公演は体調を崩しキャンセルとなったものの最後まで音楽と向き合った。

2015年12月31日、うっ血性心不全に死亡。

彼女と親交のあるアレサ・フランクリンは“涙をこらえなくては。ナタリーがどれだけ辛い闘いを強いられてきたかを知っているから。長い、長い闘いでした。”と、その闘病が苦しい日々であったことを語っています。

“‘父を失っていてもお互いがより近づいたことで、心からの安らぎになり、私たちは死を深刻に考え過ぎているのではないかと思うようになりました。魂は死なないのです。音楽も死にません。そして魂を音楽と結び付ける愛に、死は無縁です。その魂、音楽、愛は永遠なのです。”


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