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ヒーローから変貌したスターーグレゴリー・ペックー

4月5日は、アメリカの俳優、グレゴリー・ペックが生まれた日。(1916年4月5日 - 2003年6月12日)

1962年アカデミー賞主演男優賞『アラバマ物語』

2003年のアメリカン・フィルム・インスティチュートが選んだ「映画の登場人物ヒーローベスト50」の第1位に『アラバマ物語』のフィンチ弁護士が選ばれた。誠実で正義感にあふれる彼のキャラクターは現在でも人々に愛されている。

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グリーンビューティ®研究家の青木恵と申します。

ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。

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【生い立ち】

カリフォルニア州サンディエゴ出身。

アイルランドおよびイングランド系の薬剤師だった父とイングランド系の母のもとに生まれる。

ボート競技の選手としてオリンピックを目指しカリフォルニア大学バークレー校に進学。

ボート部に在籍し活躍するも、第二次世界大戦で開催中止となり不参加に終わるが、同時にボート練習で負った脊椎損傷のために兵役免除となる。

医学を勉強していたが演劇に興味を覚え、卒業後ニューヨークに移って俳優養成学校のネイバーフッド・プレイハウスで演技を学ぶ。

【映画デビュー】

ブロードウェイの劇場でデビューの後、1944年に映画デビュー。1946年の『子鹿物語』でアカデミー主演男優賞に初ノミネートされると、翌年にはユダヤ人問題を扱った社会派ドラマ『紳士協定』に出演し、2年連続で主演男優賞ノミネート、更に作品がアカデミー作品賞を受賞したことから一気にハリウッドでも指折りのスターとなる。

【ローマの休日】

ウィリアム・ワイラー監督による『ローマの休日』の新聞記者役を演じた際にはオードリー・ヘプバーンの才能をいち早く見抜き、ヘプバーン本人を含めスタッフに様々な助言をし、映画を大成功に導き、ヘプバーンにとって最高の共演者となった。また共同製作者として同監督と組みチャールトン・ヘストンを招いた西部劇の名作『大いなる西部』では身長190cmという大男同士の格闘を演じた。

1962年には自主製作『アラバマ物語』で念願のアカデミー主演男優賞を受賞した。

【性格俳優として】

が、1976年のオカルト大作『オーメン』以降は打って変わって性格俳優的な雰囲気が漂うようになり、1978年『ブラジルから来た少年』では、マッドサイエンティストを演じるなど変貌を遂げ、カルト映画ファンからも一目置かれる存在になった。

【俳優としての生涯を貫く】

人格者として知られ、その人望を買われて政界進出の噂が周囲から出たが、本人は「すでに自分は大統領役や歴史上の偉人をもう何人も演じている。もうこれだけで充分ではないか?」と公言し、あくまで俳優として職を全うした。

2003年、ロサンゼルスの自宅で妻ベロニクに見守られながら、眠るように息を引き取った。享年87歳。


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