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中年になっても両親から教えてもらうことは「まだある」んだからねっ!

あなたは両親から教わりたい内容、あるだろうか?

両親は僕よりも長く生きているし、僕の知らない体験をしているし、技術も持っている。高い確率で子より先にあの世へ旅立つ

親が生きているうちだからこそ技術を教わりたい。
親がなくなっても引き継ぎできるように、子へと伝えていくように(子が望めばの話)。

両親が家庭菜園を始める。僕は参加した。

彼らは毎年家庭菜園を営み、じゃがいもや豆、ねぎをとっている。両親の指導の下、土をおこした。

「土おこし」は知っているものの、具体的なやり方など知らぬ。父が先に実例を示し、僕が続いた。

腰が痛かった。みみずがうようよ出てきた。土は堅かった。草は強かった。

メチャクチャ汗をかいた。土がふっかふかになり、気持ちよかった。

さらに母から土おこしの狙いを教えてもらった。
地中除菌(掘り起こした部分を日光に充てて消毒)だと。

人生あらかたの体験をしたつもりだが、井の中の蛙大海を知らずだった。気づかされた。

自分には"まだ初心者領域"がある

幼稚園から大学(そして就職)まで次の指令は誰かが示してくれた。仕事も慣れてくると、自分の脳内に余裕ができる。

余裕はプロへの入り口であり、人生再構築の始まりでもある。

国も神も会社も親も示してくれない「次の道」

自分が向かいたい道は「どこ」なのか、誰も教え……教えるという言葉でないな。示すがいいのかな?

自分が向かいたい道は心の奥底のみがわかっているが、なかなか気づかない(言葉で表現できない)。

挫折や失敗、そして初心に帰って少しずつ「どこ」を言葉で表現できる。

どこ=自分の妄想/脳内世界を具現化

「どこ」は強烈な魅力がある一方、あらゆる負(恐れ/不安など)の要素もつまっている。くわえて答えがなく、身をもって挑むしかない。

負の要素をすべて受け入れると覚悟した時、いろんな障害/邪魔があろうとも勝手に進む。

一方で負の要素はあらゆるシミュレーションを使って己を脅す。確実に負の要素を得てしまうから。脅す一つとして錯覚が生じる。

本当はその分野「素人」なのに

特定の分野ばかりこなしていくと、その分野ではプロになるが、別分野ではただの素人×初心者だ。別の分野でも「プロ」思い込んでしまい、自業自得の悲劇が始まる。

例:投資家は投資においてプロだが、商売では素人。野球選手は野球だとプロだがサッカーは素人。コピーライターは人の心を動かす方面でプロだが、小説や写真では素人

年を取るほど「ある分野ではプロだが、別分野ではただの素人」を認めたくない自分が何もできない無価値で無能、相手に負けている苛立ちが頭に浮かんでくるからだ。

自尊心と劣等感が別な視点をふさぐ。

ある分野はプロでも、別分野は素人について、何も恥ではない。バカにする人は出てくるが、相手に教えてもらう行為は敗北でも劣等感でも無価値でもない。

むしろ勝利・人生再構築という価値ある行為だ。

「敗北だ・無能だ・情けない」思い込んでる自分がいるのみ。

挫折から立ち直るには

「敗北/無能/情けない」思い込みを受け入れなければならぬ。

受け入れるとは「別に負けていい、情けなくていい、無能で結構。だから何だ?それがどうした?」認める行為だ。他人が思っているのでなく、自分が自分に思い込ませているだけだ。

だから認めてやる。認めたら「だめだ」でなく「だからどうした?」反発が働く。

反発の先に今までの自分はいない。初心者分野が見つかり、新しい自分に出会える。

改めて両親を観てみよう。

自分にはないプロの領域があり、新たな特技を手に入れられる。若い時は気づかなかった。いや、見下しすらしてた。あまりにも身近にいて、いろんな姿を見ているから。

生きている両親に、自分には「なかった」特技を持つ両親に感謝しかない。

支援していただきありがとうございます。支援は僕の作品作りを含め、子供へのお小遣いや楽しいことに貢献します。ありがとうございます