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いつから、勉強は「娯楽」になったのだろう?

今日もギャラリーからトップ画像を使ってみた。

zenpakuさんという方の写真だ。いい大仏さんだw


さて本題。

「勉強」という言葉を聞いて、あなたは何を思い浮かべるだろうか。

勉強といえば基本、大学や高校といった受験に合格するための手段、
資格といった技術向上のための手段だ。

僕もイラストや文章においていろんな本を読み、
自分の技能向上に役立てている。

技能向上において僕はふっと気づかされた。
きっかけはR-18系の写真(恥)を模写していた時だ。

もちろんnoteの規約に引っかかるので画像は絶対に乗せない。

僕にとって人体を描くのにR-18系は最高の素材だ。
時折強欲し、男ならわかる生理反応もするw

さて受験勉強と大人の勉強においては一つ違いがある。


◇大人の勉強は「しなくてもいい」んだよ

学校時代の勉強は義務だけど、
社会に出てからの勉強は自由であり、ほぼ義務でなくなる。

してもいいし、しなくてもいい。

そして僕は技術向上のために勉強をしている。
勉強科目によってはのめりこんで、疲れてもやろうとする。

技術向上という視点だと「辛い」と思う時もあるが、
それでも僕は勉強をしている……なぜだろう。


◇勉強って「娯楽」じゃないか?

娯楽とは基本、自分が楽しむ。
自分から体を動かし頭を使い、生理反応も招き、
とにかく積極的に楽しんでいく。

勉強においてもいろんな模写をしていたり、
新しい言葉を覚えていくとき、僕は積極的にやっている。

この姿勢を振り返ったとき、気づいた。

「そうか、積極的にやる時点で、勉強=娯楽だったのか」


◇技術向上は歩合給の考え方

技術向上、大学入試合格という考え方は歩合給の考え方だ。
勉強を通して「報酬を得る」という思考だ。

歩合給は働く代わりに対価を得る状態だ。

勉強は技術向上であり娯楽でもあるという考えと、
勉強は技術向上でしかないという考え方では、
心の在り方に大きな違いをもたらす。

技術向上しかないという考え方は歩合給思考だ。

働いたらお金を得られるという考えで、
だから我慢してでもやるという生き方だ。

技術向上はもちろん暇つぶしや新しい遊びという、
娯楽側面を取り入れると、勉強は遊びへと変わる


◇勉強や辛いと思う時に必要な「定義の拡張」

今、あいつが猛威を振るっているからこそ、
自分が今していることについて「娯楽」という側面を取り入れたら、
面白くなるのではないか
と考えるようになった。

反対に創造作業において「娯楽」というよりは、
「自分の名誉を上げる、利益を得る」といった、
歩合給的側面を大きく取り入れてしまったら……

創造しなければ報酬を得られない=歩合給

考えが変わってしまい、嫌気を刺すのではないかと捉えた。

自分にとって「辛いな」と思うことに対し、
「娯楽」という側面を取り入れたら、積極的に挑む姿勢を得る。

技術を得るばかりでなく、エンターテインメントを味わっているのだ。
反対もしかり。

「定義の拡張」は今後の人生を分ける考えじゃないかと思っている。

わかりにくかったらすまない。
うまく言葉に出てこないからこそ、僕にとってチャンスだ。


支援していただきありがとうございます。支援は僕の作品作りを含め、子供へのお小遣いや楽しいことに貢献します。ありがとうございます