2024.02.09 「詩」みたいだという散文

ZAZENBOYSのアルバムを特集したスペースシャワーTVのばんぐみを再び観る

観ながら喋りながら
この方々は、「詩」みたいだと思った

MV制作の風景も
つくられたMVも
音楽そのものも
彼がつくられるものが
彼自身もかな、それはわからないけれど
「詩」みたいだ、と思った

ただただかっこいい
そして「詩」のようだから好きなんだな


松重豊さんとのラジオも
それ自体が
世界が揺れたり戻って来たり
風が通るみたいなことがあったり
戯れているみたいで
握手していて
音楽と言葉とひととひとが
「詩」みたいであった

好きだ、となる理由に
心が動く理由に
「詩」が隠れているんだろうか

そして「詩」みたいってなんだ
くるりくるりん
くるくるりん


そう。
「知」に憧れる。
けれどもどうにもこの体や頭は知識や概念や構造を理解することがとても苦手みたいだ。単に勉強不足だったり怠っている部分だってあるんだけれども、用語ひとつを何度も何度も何度も聞いたり調べたりして、「あ!これ前も調べたやつだ」となったりする。そしてまた繰り返す。繰り返して覚えられることになる時もある。

どうにもこうにも自分には難しそうだなーというのを思いながら自転車をこぐ。
そんなことを考えたのは、多分、とても素敵だなと思う植物園で働く方の言葉をひさしぶりに読んだから。

知ろうとすることを、知りたいと思うことを、知っているふりをしないことを、知らせることを辞めない為に、植物園で生きたり、遊んだり、飛んだり跳ねたり、泣いたり笑ったり。

宮内元子 Xプロフィールより

知っているふりはしないようにしたいし、知りたい気持ちはぐんぐん湧く。
会話の中に見える知識たちは、すーっと耳の向こう側へ消えていく。

そんなことを思っていたのだけれど、はなしは戻って、
この「詩」みたいという気持ちが湧いてから、心が動いたものや体を動かしていたものに関しては覚えたりするところあるかも、なんて思う

確証はない

鍛える教える育てる
のはんたいごは
なんだろう

調べるとわかるんだろうけれど
じぶんで探してみる

アートとかものづくりのひとたちの言葉ってあってその中にいると、「あ、なんか思い出しそう」ってなる時がある

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?