taro/megumi taneoi

忘れちゃうから表現をする 「よむラジオ」onair

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    タイミングとか きもちとか そういったものの周波数が合うときに届くそんなラジオ

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「よ」よむラジオ

こんにちは こんばんは おはようございます よむラジオの時間です はじめましての方も おひさしぶりの方も よく会うよという方も ね、聞いていってもらえたら うれしいです まず「よむラジオ」ってなんだ?というところからだとおもうので説明をすると ラジオがすごく好きなんだけども 喋るのはそんなに得意じゃないわたしが 4年前くらいに書いていたもので それを改めてやってみようと ここではじめてみることにしたものなんです タイミングとか きもちとか そういったものの周波数が合う

    • 2024.02.09 「詩」みたいだという散文

      ZAZENBOYSのアルバムを特集したスペースシャワーTVのばんぐみを再び観る 観ながら喋りながら この方々は、「詩」みたいだと思った MV制作の風景も つくられたMVも 音楽そのものも 彼がつくられるものが 彼自身もかな、それはわからないけれど 「詩」みたいだ、と思った ただただかっこいい そして「詩」のようだから好きなんだな 松重豊さんとのラジオも それ自体が 世界が揺れたり戻って来たり 風が通るみたいなことがあったり 戯れているみたいで 握手していて 音楽と言葉

      • 2024.02.08 採血士

        健康診断を受ける じぶんが健康診断をする側としてどれかの役割を担わなきゃいけなくなるとしたら一番避けたいのは、採血する方だなー と昨年思っていたなーと同じ会場に行って思います ほかも難しい部分があるのだろうけれど、ライブ感とプレッシャーがものすごいような気がしてしまう だから採血の方には特に頭を深々下げたくなる 今日会ったのは、プロの採血士 採血士という言葉があるのかもわからないけれど、あの方はまさにこれがプロの採血士っていうんだな〜と感動した 血管が浮かび上が

        • 2024.02.05 もぐもぐころりんとワニ

          また、眠る前に娘にした、思いつき話。 もぐもぐころりんは コロッケを食べていました ほくほくしてかりかりして さいこうにおいしいです ひとつペロリと食べ終わって もうひとついただきました 食べ終わると もぐもぐころりんは 色も形もコロッケと同じになって 湯気まで出ました 鏡を見て おいしそうだな〜と思いました ピンポーン 玄関を開けると ともだちのワニさんです 遊ぶ約束をしていたのです ワニさんは もぐもぐころりんを見つけて立ち止まりました たらーっとよだ

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        記事

          2024.02.03 のりまきをたのしんでやる

          たのしんでやる、である。 生活をたのしんでやるという抗い、たたかい。 そんな気持ちが湧いた一月。 「のりまき、たのしむ」とふざけているような、ほんとうのような、これを二月三日に行なった。 巻きたいものを募集 ・キムチ ・にんじんしりしり ・納豆 ・何にも入れない ・焼いた豚肉→焼豚になった ・小松菜 ・あなご ・まぐろ(紫蘇付き) 追加で ・きゅうり ・しらす あとは好きに組み合わせて巻いていく。 マグロと紫蘇だけのシンプルな鉄火巻きもあったり、真ん中で具材が変

          2024.02.03 のりまきをたのしんでやる

          2024.02.04

          職場に中学生が社会科見学で来ていた 地域のお店を知ってもらう機会にと リサーチをしてからイベントの黒板看板を書いてもらった 二年生の男の子三人、楽しそうに描いているのがなによりよかった 自分は型にはまっちゃってるんだなーと 彼らののびのびした表現をみて思う 同じものでも、こんなにも変わる それはとっても面白い 柔らかい表現で、楽しそうで、後先もなくて、どれも素敵 一枚一枚写真を撮る 影が入るからとずらしたりして、2つドアに立てかけた 彼らが帰るとき、ドアに立て

          2024.01.28

          9月に挟んでまっくろになった爪 上へ上へ 痛みは移動して 痛いという感覚は消えて 色も抜けて めくれはじめた1月のある日 そこからすぐには剥がれない 2月を目前にしている どこかに当たれば ひっかかれば ずきんと また痛みがそこにいた 絆創膏をして ともに過ごす 数日過ごして眺めると 小さな小さな一箇所がつなぎとめている まだちゃんと痛い わたしとつながり痛みを伝える さいごのさいごのさいごまで 生きるはあきらめないんだろう 命はこうして諦めないで生きるんだろう

          2024.01.27 もぐもぐころりんのお話

          こどもに眠る前話した、思いつきばなし。 もぐもぐころりんのお話を久々話したので、思い出しながら喋りながら出来たおはなしを書く。 もぐもぐころりんは トマトをたべました トマトを食べたから もぐもぐころりんは トマトの色になりました おいしいなあ〜と お庭で食べ終わって 家の外へ お散歩に出かけました 向かいからマンモスが 歩いてきます マンモスは はらぺこです 向こうになにか見えてきました なんだか あれはピザまんみたいだな〜 と思いました ピザまんのおいしさを思い出して

          2024.01.27 もぐもぐころりんのお話

          2024.01.27

          もやもやは続く。 一方で、落ち込んだり、具合が悪いとかそういうこともない。けっこうさっぱりとした気持ち。 振り返ると、もやもやをもやもやと認識出来てなかったり、辛いが透明に隠れていて気付けていなかったりするとき、ぐったりしたり、起き上がれなくなったりしてきた。 もやもやが浮かび上がってくれて、居ることを認識出来たというのは、大きい。これはこれとして持っていて、より良くを考えていけばいいということがわかるから。 この頃読んでいる『モヤ対談』は、なかなかキーな一冊になりそう

          2024.01.26

          花田菜々子さんの『モヤ対談』。 永井玲衣さんとの対談を読みながら、わたしの中のもやもやが浮かび上がってくる。いろんなものとくっついて、はたまた、透明だったり、同化して、なんかもやもやが居そうだというくらいにしか認識が出来ていなかった。 わたしは、だいたいいつももやもやがいることを認識するまでだって時間がかかる。だから、その正体まで辿り着くのはなかなかとってもハードになる。 この対談の本によって、対談たちとわたしが対談していて、透明に色がついたり触ると居たり、分かってくる。

          2024.01.22

          布団で寝転がりながら見たときは青空だった 今日はあったかい、あったかいって洗濯物を干しながら言っているのをぼけーっと聞いて起き上がる 遅い朝ごはんを食べて外をみるとすっかり曇り、気温が下がる 喋るのは上手じゃないけれど、書きはじめるとあたまのお喋りがどばーーーっと溢れて追いつかなくなる かと言って、喋れば済むかというとそういうことでもない 書くから溢れる これを書きはじめたのも、綴りたくなったことがあったから それを書こうと開いたら、天気のことも記録しておこうなんて書き

          2024.1.10

          立ち話だから話せる話があるかもしれない 立ち話ができる間柄ってうれしい 立ち話が久々で、仕事のことではなくて家族の心配をして誕生日を教えてもらったりそういうことがうれしかった 仕事だけではない関係性を感じられるのが、魅力のひとつなのかもしれない 会えたら、安心して元気出た 元気で居てもらいたいと思った もうひとつ立ち話をして 訊ねたら話してくれたひとがいた 話しながら涙が見えた 流さないけれど溢れるものがあると分かった 助ける側へ、自分たちが力になることを考えてい

          2024.1.9

          後ろめたさは、正面突破 というのか直接会うのがいちばん気持ちがだいじょうぶかもしれない そーして、やらなくてはと思いながらも一歩が重かったものひとつ、会いに行って解決した。 ここで会ってもらったパワーで自転車漕いでもうひとつも終わらせたら電話をする助走も出来ていた。 会いに行った方は、教育者だ。 話すことが教えになり得るところがある。 ・大衆を相手にしなさい ・なにかをはじめる時は反対があるもの。それが会話のきっかけ。失敗がコミュニケーション、みたいな話 ・楽しくやらな

          2023.1.4

          『Dr.コトー診療所』の映画が、テレビから流れて最後まで観た 12月の体調を崩す少し前、気に留まりメモをしていたこと それから1月1日の地震 じぶんを守ることは大切、と思う 守らなくては砕けて壊れてしまう場面もあるからそんなときには「守る」をするでいいと思う 自分自身はそうやって守るをしてきた ただ、と思う じぶんと向き合うこととともに、今も争いが止まなくて時に爆撃が起きていたり怯えて過ごされている方々がいることや余震が続いている場所があること、挙げたらキリのない問

          2023.1.2

          年が明けた 居た場所は、長野 年越しはこのままにしておきたくない仕事を終わらせた 午前0時を過ぎて、いろんな立ち位置や場面にいるひとを意識出来るようになりたいと、それがまず思ったことかもしれない 「いつ見ても」「普遍性」の凄さを思ったり、それってどういうことだろうと関心をもった 余震が時々ある 心臓はばくばくとしている 映像は流れつづける そうしていても ストーブをつけ直して 包丁でウインナーをまた切りはじめる コンロの火をつけて野菜を炒めなおす 手を動かして あの

          2023.12.26

          この日を楽しみにしていた とうとうそこへ向かうひとつ前 どこかで腹ごしらえの必要 どの駅?何を食べる?まずこれがミッション 通っていた大学生の最寄り駅だから知っている店も浮かぶ 知っているどこかへ逃げこみそうになるも、蕎麦というリクエストを素直に探してみる 駅の改札を出て、階段を上ると目の前に見えるなんだかピンときた、蕎麦屋さん ああ、よかったと思う どきどきにひよらなくて押しつぶされなくて 出会えた喜びがふくふくしていく 不安や心配のどきどきが纏いやすい