2024.01.26

花田菜々子さんの『モヤ対談』。
永井玲衣さんとの対談を読みながら、わたしの中のもやもやが浮かび上がってくる。いろんなものとくっついて、はたまた、透明だったり、同化して、なんかもやもやが居そうだというくらいにしか認識が出来ていなかった。
わたしは、だいたいいつももやもやがいることを認識するまでだって時間がかかる。だから、その正体まで辿り着くのはなかなかとってもハードになる。

この対談の本によって、対談たちとわたしが対談していて、透明に色がついたり触ると居たり、分かってくる。

いろんなもやりがあったけれど、なによりものもやもやは、じぶんがじぶんを隠したことな気がする。


ああ、そうですね。私は10代の頃から人と話すのってなんでこんなに難しいんだろうとずっと思っていて。おっしゃるとおり、2人だとずっと話しやすいし遠くまで行けるんです。でも、なんで人が集まって集団になった途端にこんなはちゃめちゃになってわけわからなくなっちゃうんだろう、って思う。だから哲学対話をやっているんですよね。

『モヤ対談』花田菜々子

その複数集まったときに、カメレオンしてしまったんだなと振り返り思う。
なるべく中立でいたいということと、思っていないことは言わなかったけれど、自分のスタンスを隠してその場に溶かしてしまった。だから、そこで湧いた気持ちや言葉がふつふつ怒ってもんやりとなったんだなって、この対談のパートを読んで浮かび上がった。

ごめんなさい、わたしの気持ちよ。
自分の自信のなさとプライド。それと、言い合いなんかもしたくない、にこやかな雰囲気を保ちたい、というの気持ちによるものもありそう。
一部のわたしは怒っている。けらけらっと笑ってけちらしたいって書いてこぼれたから。

でも、穏やかに、気持ち良い折り合いを探したい。そんなことって難しいことなのかな。理想主義すぎることなのかな。

どう思われてもぽろりとスタンスを伝えるべきだったのか。公私混同は、ほんとうにいけないことなのか。話の中にあったもやもやもまだ解決しないけれど、言葉になって少し健やか。見渡して気持ちよさへ向かう方法を考えたい。

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