2023.1.2

年が明けた

居た場所は、長野

年越しはこのままにしておきたくない仕事を終わらせた
午前0時を過ぎて、いろんな立ち位置や場面にいるひとを意識出来るようになりたいと、それがまず思ったことかもしれない
「いつ見ても」「普遍性」の凄さを思ったり、それってどういうことだろうと関心をもった


余震が時々ある
心臓はばくばくとしている
映像は流れつづける

そうしていても
ストーブをつけ直して
包丁でウインナーをまた切りはじめる
コンロの火をつけて野菜を炒めなおす

手を動かして
あの地震の前の時間と縫いつけるみたいに
続きを行う

日々の営みが再開出来ることを確認していたのだろうか


まだまだ余韻は残る
けれど「五人娘」を注いで乾杯する
縫い直して出来たご馳走をいただく
こんなときにも乾杯しているじぶんにしぶとさを感じる

箸がすすまない娘の椅子になり彼女を包む

日々の営みの鈍さと強さ

日常をじぶんでつくるから生きていられるのかもしれないと、日々をつくらなくてはとしゃんとしたきもちになる

それとともに、それでも作業になって心を落としていかないように気をつけないとということも思う

なにをするにしてもと、少し合ってきたピント

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