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ボードゲームの奥深さを伝えるまとめ情報「紀元前からの世界歴史」

今日のテーマは

「ボードゲームの歴史」

です。  

今では娯楽の定番となったボードゲーム。
誰もが聞いたことのある将棋、チェス、オセロなどのゲームは
どんな時を経て私たちを楽しめせてくれるものになったのでしょうか。

ボードゲームの歴史を遡るとなんと、紀元前5000年から語らなければなりません。



はじまりは古墳から
2013年にトルコ南東部の「Başur Höyük」という紀元前5000年に作られた古墳群の中から、石に彫刻や塗装を施した49種類の「サイコロ」が見つかっており、これが世界最古のボードゲームと言われています。

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他にもシリア、イラク、ギリシャなどの広範囲で数千年かけてサイコロが発見されます。中東のナイル川、チグリス川、ユーフラテス川周辺のエリアは、メソポタミア文明、ギリシャ文明などの文明が発達したエリアです。
古代人は既に遊びを生活に取り入れていたということが分かります。
ゲームの他にも夜を楽しむのに必要な酒、パピルス(紙)ブレスミント(口臭予防)カレンダーなども使われたようです。

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王族の戯れ
紀元前3100年頃になると、ボードゲームは古代エジプト時代にファラオ達の間で人気の娯楽になったそうです。
「セネト」と呼ばれるボードゲームが王朝誕生前と第一王朝のピラミッドから発見されており、セネトをプレイするエジプト女王を描いた壁画も発見されています。ちゃんとした盤があるという意味では「世界最古のボードゲーム」かもしれません。

王様も公務ばかりでは心が病んでしまうので、たまには遊びたいですよね。
エジプトは外が暑いので自然と室内で楽しむ娯楽が栄えたのかな?

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宗教と遊び
最初は王様の娯楽だったのが、段々と労働者階級層にも浸透するようになりました。ボードゲームで遊ぶ人がどんどん増え、その遊びが伝承されていきます。
その後すぐに、ボードゲームは宗教的信念に縛られていきます。そのゲームの1つがMehenです。古代エジプトの宗教の蛇神であるMehenに因んでいるようです。

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どうやって遊ぶのか、未だに分かっていないらしいのですが、これまで発見されてきたサイコロやコマを考えると、双六のようなゲームなのかもしれませんね。
神話を元に作られているのか、たまたま考えた遊びが神話とくっついたのかは不明ですが、遊び方も分からないゲームが現代まで語り継がれているなんて、とてもロマンを感じますね。





すごいのに何故か知られていない
史上最も長期間にわたって遊ばれたボードゲームがあります。
英国人考古学者のレオナルド・ウーリー卿が、現在のイラクで発掘。
紀元前2650年ごろに作られた「ウル王のロイヤルゲーム」と言われていて、このゲームはイギリスの大英博物館にも展示してあります。
大英博物館に行った時、実物をみたときは震えました。
歴史上、もっとも長く遊ばれてきたゲームなのに、知名度はいまいちなんですよね。
これよりもっと面白いゲームが生まれたということですかね。

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名前だけは知ってる
やったことはないけど、聞いたことはあるで有名な「バックギャモン」ですが原型はLudus duodecim scriptorumというゲームでローマ帝国時代に流行したようです。その時からルールはほとんど変わっていないとのこと。
「ウル王のロイヤルゲーム」とボードゲームの覇権争いがあったかもしれませんね。
現代のバックギャモンは国際バックギャモン協会が出来たり、ワールドバックギャモンクラブが出来たり、バックギャモントーナメントが開催されたり、大学のキャンパス、ディスコ、カントリークラブでプレーされたり、タバコ、酒、自動車会社がトーナメントのスポンサーとなったり、世界中で愛されているようです。
第43回バックギャモン世界選手権にて、日本人女性で2度の優勝という偉業を成し遂げた、矢澤亜希子選手が有名ですね。

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子どもの遊び
さて、ローマでは大衆向けのゲームが広がり、子どもが楽しむゲームも誕生します。紀元前500年には日本で「けんけんぱ/石けり」、海外では「ホップスコッチ」と呼ばれるマス跳び遊びが誕生したようです。
子ども達に遊ぶ余裕が生まれたということでしょうか。
とても興味深い時期ですね。

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東洋初のボードゲーム
紀元前400年に「Liubo(六博)というゲームが漢王朝の墓の中から副葬品として発見され、東洋文化で初めて誕生したボードゲームといわれています。
ハン王朝の間、大ブームになったのですが、一気に衰退。
どうやら囲碁の人気が高まったことが原因だとか。

漢の時代、呉王劉濞の子の劉賢と皇太子の劉啓(のちの景帝)が六博のことで又従兄弟同士の激しい喧嘩になって、激怒した皇太子が博局(六博に使う盤)を劉賢に向かって投げ殺したことが、呉楚七国の乱の起きた直接の原因であったらしいです。
「いやいや、ほんとかよ?」と思いますが、ゲームがリアルファイトに移行するとか、とんでもないですね。絶対に首相同士でゲームはやらせてはいけませんね。

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ヴァイキングに愛されたゲーム
西暦400年ごろのヨーロッパでは「タフル」が誕生します。
ここでやっと聞いたことのある名前が出ましたね。
タフルは格子柄のボード上で奇数にそろえた軍隊を戦わせる古代ドイツやケルト発祥の戦略ゲームで、アイスランド・イギリス・アイルランド・ラップランドに広がり、ヴァイキングの間で人気になったようです。
ヴァイキングの墓の中からタフルが発掘された記録もあります。
面白いのは、埋葬されていたのは女性だったらしく、戦略的決定を下しながら指揮をとるヴァイキング戦士の長は男性だけではなく女性も務めていたという新しい事実がわかりました。
女性もゲームを楽しむ背景があったようですね。

ヴィンランド・サガというヴァイキングの漫画にもタフルは描かれております。読んだことないのですが、めっちゃ気になります。
最近、タフルをやりましたが、配置のバージョンが沢山あってとても面白かったです。

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あの有名なゲームはインドからだった!
タフルが広まったのはヨーロッパの他、インドまで伝わったと言われています。その影響から6世紀ごろのインドではタフルを元に「チャトランガ」というゲームが誕生。シャトランジと名を変えて1000年の時を有してアラブ地域で広く親しまれました。
シャトランジはその後、北のロシアまで広がり、イスラム世界からヨーロッパに伝わり、チェスや将棋の原型になったとされています。
画像をみると分かるように、チェスににてますね。もはや、チェスですね。

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爆発的な広がりを見せたご当地ゲーム
700年ごろになると、アフリカや中近東、東南アジアにもボードゲームは広がり、「マンカラ」というゲームが広がりました。
伝統的なボードゲームの総称のことらしく、多くのゲーム名が伝えられていますが、ほとんどのマンカラは石と木のボードを使うなど共通するルールがあるほか、ゲーム名が違ってもルールが同じ、という場合もあるとのこと。

地域によってルールが微妙に違う「大富豪」的な意味でしょうかね。
当時は、土に穴を掘って遊んだという記録もあり、簡略化されて遊びやすくなったのが広がった原因かと思います。

王様が遊ぶ(インフルエンサーに遊ばせる)庶民が遊びやすい(紙ペンなど)どちらも異なる方法で伝わっていくのが面白いですね。

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とても簡単なルールで、子ども達にも人気だったようです。




さぁ、ここから先は近代化された中で、みなさんが知っているボードゲームが出てきますが、色んなネタと混ざってくるので、違うタイミングでご紹介したいと思います!



感想
今回、このテーマを書こうと思い、色々調べたのですが、どんどん枝分けれしていき、色んな世界に結びついていきました。
なので、かなり簡潔化せざる得ない結果となりました。
是非、皆さまも色々調べて分かったことがあればコメントをいただけると嬉しいです。

こうして歴史をみると、「面白い」は伝承されて残るのだと感じました。
数千年の時を経ても、人の「遊びたい」という欲求は付きないというのは面白い。この面白さは、人類が生きていく上でなくなることはないと思いました。
遊びは、食べる、眠る、SEXするのとと同じぐらい生きる為に必然必須の欲求ですね。



ご一読いただき、ありがとうございました!



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