芸術と社会講義第四回〜ポップアートとアースワーク〜

振り返り


モナリザの手の綺麗さに感動した荒木飛呂彦が、吉良吉影の性癖を発想
ジョジョ立ちはルネサンスの彫刻、ミケランジェロ1513瀕死の奴隷、をモチーフにしている。<岸辺露伴ルーヴルへ行く>でも使われている。
他にも、五部の5巻、1996、ページ61には、デジアン・ハーント1996<あらゆる固有の嘘の承認から得られる若干の快適さ>を元ネタにしている描写がある。
芸術をテーマにした漫画には、アイヌ文化をテーマにしたゴールデンカムイなどがある。
・他の要素を引用・オマージュ・パロディして掛け合わせることでオリジナリティが発生する。

今回の講義の流れ〜ポップアートとアースワーク〜

20世紀前半に興隆した抽象表現主義の難しさ、とっつきにくさ、理解しにくさに逆行する動きと、コンセプトあるもの全てがアートであるとするコンセプチュアルアートの流れを引き継いで、1950年代からポップアートの動向が誕生した。その後の60年台後半からは資本主義を帯びたポップアートに反抗する形でアースワークの概念が誕生した。

ブリティッシュポップ(1950’s)
・イギリスのリチャード・ハミルトン<一体何が今日の過程をこれほどに変え魅力あるものにしているか>によって始まった。これは、アメリカの魅力的な大衆文化を象徴するアイテムをコラージュして作った作品。ワーナーシアターの劇場の写真や、アメリカの最新の掃除機、車のエンブレムなどがちりばめられている。
リチャードハミルトンの「アリール&ピータースミッソン宛の手紙」には、
ポップアートとは、
『ウケがよく(大衆向きで)
一時的で(その場限りで)
使い捨ての(簡単に忘れられる)
低予算で大量生産された若く(若者向けで)
気が利いていて、セクシーで、いかさまありの
グラマラスな金もうけ』
と、評されている。この記述から、資本主義社会のもとで芸術も一つのお金儲けの手段になったと読み取れる。

アメリカン・ポップ
・アンディ・ウォーホル(1928〜1987)は、元超人気ファッションイラストレーターで、代表作は<無題(マリリン)>1962〜1967。マリリンモンローという誰もが知っている人物の肖像画を鮮やかな原色で塗り分け、版画にして大量に販売した→わかりやすさ、通俗的なイメージの象徴がポップアートの特徴。

<酸化絵画>1976
・難解な抽象表現への反発から、放尿によって紙面に黄茶のパターンを描いた。(こんな低俗な作品と抽象表現は大して変わらないだろう?というメッセージ)
<キャンベルスープ缶>1962〜1969
ウォーホルの特徴
①同一イメージの反復
・彼曰く、まったく同じものを何度も見れば見るほど、意味を失う。希少性に基づく価値が空っぽになることが気持ちいい、とのこと。
②アンチ抽象表現の立場をとり、表面に見えるものが全て
・二十代の時のパスポート写真が出回っており、彼が髪を鉛筆で黒く書き加えていたり、理想の鼻のラインを描いていた痕跡がある。ここからも、彼の理想の外見イメージへの意識が読み取れる。実際、彼は整形手術をしていた。日本のCMにも出演しており、「イマジンを刺激する」のキャッチコピーで知られるテレビのCMで「アカ...ミドリ…アオォ…グンジョウイロ…」としゃべっている。
・彼はニューヨークにアトリエ「ファクトリー」を構えており、誰でも出入りできるオープンスペースとしても活用していて、そこはイケてるアーティストが交流する場であった。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドもファクトリーに出入りしていたアーティストの一人だった。ウォーホルのアトリエは、カッコよく派手な若者文化の中心を担っていた。
・1968年、フェミニスト(全男性抹殺団)の女性に銃で撃たれ、次第に創作活動も衰えていった。なお、銃痕や血痕のついた作品はオークションで高値で取引されている。
・表面を見さえすればよい、と語っていたウォーホルだが、実は「死」というものを相当シリアスに考えていた疑惑がある。ex.「死と惨事」シリーズの<土曜日への災難>1964や、<電気椅子>1971
・<マリリン・ディプティク>1962では、同年に暗殺されたマリリンモンローの肖像画をひたすら反復している。また、<毛沢東>1962では、資本主義思想の若者を文化大革命で大量虐殺した毛沢東の肖像画を版画のモチーフに使っている。ウォーホルは、ある種の遺影を反復することで、死の価値、一回性の意味を空虚なものにしようとしていたのではないだろうか。

アースワーク:野外の自然環境を作品の主要素とする芸術作品のこと。作品が売買の対象となったり限られた美術館の所有物となることへの反発から生じた思想。

ロバートミッソン(1938〜1973)アメリカ
<スパイラル・ジェティー1970、ユタ州
<大地の破壊、破壊された円/スパイラル・ヒル>1971,オランダ
・所蔵された美術館でしかみられない美術品、投機目的や金儲けの手段として消費される芸術は、資本主義に毒されたものであると捉え、自然界に誰も動かせない芸術を作れば、行けば誰でもみられて(所有されない)、誰にも売られない(金儲けにならない)性質を表現できると考えた。

ウォルター・デ・マリア(1935〜2013)アメリカ
1977年、ニューメキシコ州の林一面に金属ポールを立てた<ライトニングフィールド>→雷を観測できる

クリスト&ジャンヌ=クロード(1935〜&1935〜2009)
代表作<包まれたボトル>などの包まれた〇〇シリーズは、様々な造形物を美しい布で包むという作品群。1980〜1983年フロリダ州マイアミにて<囲まれた島>、1985年ベルリンにて<包まれたライヒスターク>←城、1985年パリにて<包まれたポン・ヌフ>←古い橋など、1984〜91年<傘、日本=アメリカ合衆国>。
・各プロジェクトの模型やスケッチを売って活動費を稼ぎ、地元の住民やボランティア、専門家と協力して、外部のスポンサーの介入を必要としない自立した芸術活動を行う。
彼らは、「現代アートは社会にエネルギーを注入する。儚いアートだからこそ人々が見にくる価値がある」と語る。プロジェクトに参加したボランティアのネイティブアメリカンがこの作品は何かを象徴している?とクリストに尋ねるが、彼は「単に美しいと思わない?」と答える。芸術家でない一般人にさえもコンセプチュアルアートの概念が広まっているのだ。

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