『芸術と社会』の講義第二回振り返り


現代アートを理解するには、西洋美術の流れを理解する必要がある。

前回のまとめと補足

バロックはキアロスクーロに見られるように明暗のコントラストが特徴
ロココは全体に光が入った明るい画面
髪の毛にも過剰に装飾する宮廷文化があった
いかに派手で、奇抜であるかを志向する精神性は、2000年代の日本のキャバ嬢(アゲハ嬢)の髪の毛を盛る動向にも似ている。夜の水商売と類似。
ロココの時代の貴族は、一番いい髪の色は白としていたが、貴族は小麦粉を頭に振りかけることで白く見せていた。

王侯貴族の権力誇示としての芸術は、1789のフランス革命を受けて市民が台頭する時代となり、イベントを描く視覚媒体として、ジャーナリズムを担うようになった。

新古典主義(18C半ば〜19C前半)
形・構図をルネサンスにならいありのままの事実を忠実に描く
バロック・ロココの過剰すぎる描写に反発し、古代ギリシャの古典を復興させようとする動向。
ジャックルイ・ゴヴィッド↓
<アルプスを越えるナポレオン>1801
<マラーの死>1793

ロマン主義(19C初頭)
形・構図を現実に忠実に描く新古典主義に反発し、心・感情を描くことを志向。個人の感情を描写することを賛美。
ウジェーコ・ドラクロワ<民衆を導く自由の女神>

写実主義(19C半ば)
たとえ醜くてもありのままを描くべきだ、市井の人々の風景、これまで描かれない泥臭さを描く
ギュスターヴ・クールベ<絶望(自画像)>1843〜1845
<石割>1849
美しさとは程遠い人々の姿=ジャーナリズム
汚いものから目を背け、対象を美化する傾向を批判

ルネサンスから19世紀半ばの西洋美術の特徴
この頃の絵画が描く対象は、権力者から市民にシフトしつつあった。しかし、これらの絵を発注するのは議会であり、権力者が王侯貴族から市民の集合体である議会に変わっただけであり、権力や正しさを誇示するための手段であることは変わらなかった。
・芸術家=権力者=王侯貴族・教会・議会から依頼を受けて作品を制作する才能を持った個人
・芸術=教会や権力者の邸宅を飾るもの=祭壇画・肖像画・歴史画・建築・装飾

〜産業革命が起きる〜
これまでは目の前の情景をそのままに美しく描き写すことを追求していた。
しかし、写真技術や安価な工業製品の普及によって手仕事による芸術の必要性が減る。
そこで機械では不可能な表現を試みるようになる。いかにして機械にはできない人間独自の表現のあり方を作り出していくか、に着目して見ていくと理解がしやすい。例えば感情表現であったり奇抜な表現を求めることになる。これが現代アートが難しくなっていく一つの理由である。

表現主義(19C末〜20C)
感情表現を重視する芸術傾向。

エドヴァルド・ムンク<叫び>1893
これは絵の中心の人が叫んでるわけじゃない。
自然の唸りや叫びに人が耐えられずに耳をふさぐようす。
・背景や人を歪まされる表現
・美術史の転換点
・人のデザインが良い。
→ムンクの叫びグッズや製氷機、ゴルフクラブのヘッドカバーのミュージアムグッズになっている

プレ印象派(19C後半)
エドゥアール・マネ(1832〜1883)
日本美術の影響のもとで遠近法・立体感といった西洋画が追求してきた独自の手法を放棄した。日本開国後、浮世絵が世界に向けて輸出され、西洋の芸術家は浮世絵の持つ非写実的な画風に写真には不可能な平面性を見出した。イラスト的、漫画的表現が特徴。
<オランビア>
<エミール・ゾラの肖像>1866←背景に日本画が描いてある

印象派(19C後半〜)
クロード・モネ(1840〜1926)
1872<印象・日の出>
クロード・モネはエドゥアール・マネの大ファンであった。
評論家の「物事の印象しか捉えていないくだらない絵」という評論から命名
<睡蓮>を何百枚も描いており、コレクター間で価値がどんどん高まっている。
日本の庭風景と親和性が高く、日本でも高齢の方に大変人気である。(わかりやすいし…)

印象派の革新
・当時の絵の描き方は、外では鉛筆や木炭でスケッチした後、アトリエで色をつけるのが普通のやり方であった。が、チューブ入り絵の具の開発で、屋外でも制作できるようになり、外の光をより美しく表現し、新しい色彩表現を試みるようになった。
・ブラウン管テレビの原理のように、様々な原色の点描で対象を描くことで、鑑賞者の中で色が混ざる表現を達成した。
Ex:モネの<睡蓮>シリーズ
<積み藁>シリーズ(<朝のもや>、<夏の終わり>、<日没、雪の効果>など)
・同じ積み藁の光景でも、季節や時間によって全く違う色となる。
<税官吏の部屋・荒れた海>1882

ポスト印象派(19C末〜20C)

・フィンセント・ファン・ゴッホ(1853〜1890)
1889<ジャポネズリー:梅の開花>←めちゃくちゃ花札っぽい
1889<おいらん(栄泉を模して)>
新しい表現や描き方にチャレンジ
<ひまわり>1888
<包帯をしてパイプをくわえた自画像>1889→一年後自殺
<カラスのいる麦畑>1890この頃耳をそぎ落とすとかわけわからんことしてた

・ポール・ゴーギャン(1848〜1903)
ゴッホとの同棲を解消、そしてタヒチに移住
<マハナ・ノ・アトゥア>1894
・あえて現実の色とは違う色彩表現を

・ポール・セザンヌ(1839〜1906)
<サン・ヴィクトワール山>1889
遠景の山と近景の松を配置するという浮世絵的表現

・セザンヌ<リンゴとオレンジの静物>(1895〜1900)
一つの画面に複数の異なる視点・角度から見た像を同居させる

ポスト印象派の特徴まとめ
・ゴッホ:筆の跡で作者の感情表現
・ゴーギャン:現実の色とは違う色彩表現
・セザンヌ:一つの固定された視点からではなく、複数の視点を導入した表現
これらの新しい表現方法が、20世紀に隆盛する抽象表現の下地となった。

パブロ・ピカソ(1881〜1973)スペイン
・15歳で写実的で遠近法を取り入れた超うまい絵を描く。
代表作<泣く女>1937
モデルは付き合ってたドラマールという写真家で、めちゃくちゃ激しく泣く人だったらしい。
ハンカチを噛む、両手で目を覆うなど重なる方向時間の一瞬を一つの画面に単純化・デフォルメして描く。
<アヴィニヨンの娘たち>1904
娼婦をデフォルメし、平坦な体にアフリカ文化風の顔で描くも、バッシングされた。
当時のヨーロッパはアフリカを植民地にしようとしていた。アフリカの呪術的デザインは写実的でない、より単純化されたモチーフは強い表現であると考えていた。ex.バコタ族、ドゴン族

ワシリー・カンディンスキー(ドイツ〜フランス)
1923<コンポジションⅧ>
音楽を聴くだけで感情を揺さぶられるように、絵画も前提知識なく感情を揺さぶれるようなものを描きたいと考え、単純なパーツだけで構成された、音楽と絵画を共起させる表現を追求した。
著作『点と線から面へ』で「点と線が持つ根源的な力を把握することで絵画の効果的な構成方法を考える」と述べている。


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