芸術と社会3回目

ジャクソンポロック(1914~1956)アメリカ
代表作<インディアン・レッド地の壁紙>1950
①作品の特徴⇨画面全体に線描を反復する
→フランスの芸術動向であるシュルレアリスムを受けている
→当時の芸術のメインストリームであったフランスの流れを汲む証明
②制作技法⇨床にキャンバスを置き、塗料を跳ねかける
→アメリカ発の新しい活動証明
主な作品
・オールオーヴァー絵画
・ドリッピング、ポアリングの技法(インクや塗料を飛び散らしたり滴らせたりする表現)
・映像や写真(制作風景の映像)
・ブラックペインティング(東洋の書芸術の影響)

ジャクソンポロックの代表作No.27(1956年)の制作過程の映像を見ると、まず黒い塗料で細い線で棒人間風の模様を描いてから、その上にドパァッと跳ねかけているのがわかる。ポロックはネイティブアメリカンの文化の影響を受けており(1939〜1942<無題>、1950<No.32>←真っ黒一色の絵)、人体の形象を描くインディアンの絵を借用していると考えられている。また、ネイティブアメリカンのナバホ族は、病気の人の横に人の絵を描き、その後消す、という砂絵の風習があり、ジャクソンポロックは作品の制作過程においてナバホ族の砂絵文化を再現していると考えられ、彼の作品はアメリカ芸術の文脈にネイティブアメリカンの芸術を接続するものだと言える。
・ポロックは「私はキャンパスを床に置いて描きますが、これは珍しいことではないと思います。東洋の芸術家たちはみんなそうするのですから」と語っており、日本芸術は二回、芸術史に影響を与えているとわかる。ex:フランツ・クライン(1910~1962)の1952年の作品<無題>
・禅僧の仙がい義梵(18C〜19C)□△◯の書を残している

シュルレアリスム(surrealism)
・超越のsurと現実主義のrealismの複合語で、超現実主義と訳される。あまりにも自然である、という意味ではなく、現実の事象や枠組みを超えた表現という意味。
超現実=夢や無意識の世界
・ジークムントフロイトが、夢は現実を下地にしつつも滑稽な視覚的印象を映す無意識領域の産物である、と述べ、無意識的領域こそ人間の内部にしかないものであり、機械にはできないことだという認識が芸術界に影響を与えた。
・詩人、文学者アンドレ・ブルトン(フランス)1896~1966

20C初め
・無意識状態で絵を描きたいという動きがあり、自動筆記(オートマティスム)という技法が生まれた。半ば眠りながら話したり、通常では考えられないような速度で文章を書くことで、意識や理性を取り除き、無意識の世界を表現できると考えられた。そのため、ドラッグやアルコールを摂取して酩酊・非覚醒の無意識状態を作る芸術家が現れた。文章の超速走り書きを、後で何らかのメッセージがあると解釈する。似たような行動は日本にも見られ、恐山のイタコは「おふでまき」という、神を降ろしてイタコに乗り移らせ、神のお告げをいただくという文化があるらしい。
・HUNTER×HUNTERには念能力で占いをする女の子が出てくるが、その能力名は「天使の自動筆記」。あきらかにモチーフにしている。「結果は見ないことにしてるの」と発言するが、自動筆記を漫画に取り込んでいて、面白いなぁと思う。
自動筆記の代表作:アンドレマッソン1924<自動筆記>、1941<もつれ>、1945<獲物>
・マリファナ吸ってからIKEAの家具を組み立てるHIKEAというテレビ番組もあるのでアマゾンで見ると何となく雰囲気を感じられるかもしれない。

ポロックに代表されるアメリカの抽象表現主義の興隆はなぜ?
・お金持ちのパトロン、抽象表現主義のベギー・グッゲンハイム(1898~1979)
・権威ある批評家クレメントグリーンバーグ(1904~1994)の批評「写真以降の絵画は平面性を表現する」
→ジャクソンポロックの評価が高まる=権威づけに成功
抽象表現主義のアメリカの絵画は値打ちがあるんだ!と世界に知らしめる政治的動きが裏にはある。
第二次世界大戦後、文化の中心を、芸術に割く余力のないフランスから戦勝国のアメリカに移すために、フランスの芸術文化の流れを継承しアメリカ独自の価値を重ねられる芸術家としてジャクソンポロックが祭り上げられた。
〜アメリカ芸術の立役者〜
アド・ラインハート
マーク・ロスコ(1903~1970)アメリカの作品<NO.3><NO.13>
ウィレム・デ・クーニング<インターチェンジ>1955の作品は3億ドルで取引され、世界第3位の価格。

抽象表現主義が進み、美しいデザイン性・カラーリングを求めるカラーフィールドペインティングの活動が発生した。
代表芸術家
モーリス・ルイス
<火柱>1961←「色彩をもたない多崎つくると彼の巡礼の年」の表紙に使われた
<アルファ・ピ>1960

しかし、幾何学的形態と色彩面を追求した結果、絵画が非常に機械的になった。これが1960年、美術としての絵画の終わりである。

これを予見していたのかはわからないが、1910年代のアーティストのマルセル・デュシャンは、絵画にしかできない機械にはできないことを追求していったピカソとは違う方向性を目指していた。デュシャンは工業製品を「作品」とした。彼は1912<階段を降りる裸婦NO.2>などのキュビズムを受け継いだ絵を描いたりしていたが、レディメイドという新しい芸術動向を生み出した。
レディメイド:既存の大量生産品を本来の用途や意味から切り離して作品に転用する方法。
①芸術家=高度な技術を身につけて作品を制作する人、というイメージを変えた。
②1点ものこそがオリジナルという考えから全てのものが芸術であるという考えに転換した。
・飛行機のプロペラは理論的に計算して作られた機能を持つモノとして美しいのだ、という志向。
デュシャンは、便器を展示した。我々が持つ一般的な用途としてのイメージではなく、曲線美や物自体の美しさが便器にはあるのだ、というコンセプトに基づいたアート作品。彼の作品は酷評され、展示会から取り下げられて廃棄された。彼は架空の人物になりすまして次の文面を投稿した。「噴水(泉)を自分の手で作ったかが重要ではない。彼がそれを選んだ。彼は生活の中の日常的な品物を取り上げ、新しい題名と新しい観点の下でその有用な意味が消え去るようにそれを置いた。つまり物体に対する新しい思考を創り出したのだ。」

Ex:レンブラント・ファンレインの絵画<ヤコブ・デ・ヘイデン三世>(1632)を2017年に人工知能によってレンブラント風作品を生成することに成功した。

コンセプチュアル・アート:その制作意図やアイデア、コンセプトこそが大事だとする芸術動向。
・代表作1965<一つと三つの椅子><一つと三つのシャベル>では、写真と物体と辞書的意味を同時に展示するという作品。
・マンゾーニは<芸術家の糞>(1961)、女性の腹に署名(1961)したり、卵に指紋を押してギャラリーと食べる、といった奇行にしか思われない活動もコンセプト・アートに分類される。
・日本にも赤瀬川純平というコンセプト・アーティストがいた。
・ソル・ウォレット(1928~2007)(アメリカ)は、<五つのキューブ>、< ウォール・ドローイング#766>(1994)などの作品を残している。作品のための指示書ををウォレットが書き、指示書に基づいて人に壁に立方体を描かせるという作品。イェール大学の学生はルウォットの死後に指示書にしたがって彼の作品を制作した。

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