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青木杏樹さんと「文房具屋のおじいさん」にひれ伏した話

本日締め切りの「創作大賞2023」

何か作品を応募しようか・・・。でも、数多のnoterさんの経験と文章には、とても及ぶ気がしない・・・。

と、逡巡していたとき、こちらの記事に出会いました。

2020年に発表された文章なので、文学に興味や造詣の深いnoterの皆さんには有名な文章かもしれません。

ただ、私がこの文章の存在を知ったのは、まさに「創作大賞2023」の締め切り日当日でした。

日ごろ、介護を生業としているためか、「おじいさん」「おばあさん」というワードに弱い私。
さらに、私の愛する「下町」感あふれるワード「文房具屋」が組み合わさり、5000以上もスキを獲得している文章となれば、意識せずともクリックして読んでみたくなるというもの。

昔ながらの、カラカラ鳴るアルミサッシの引き戸を開けて、ちょっと中をのぞくと、人ひとりやっと通れる通路の両側に、高くそびえた文房具の森に出迎えられ、

左手には鉛筆や数々の色ペンが立ち並び、右手には取り出しやすいように少し手前へ傾斜のついた棚へ整然と並んだノートから、新しい紙とインクのにおいが漂い、

森の息吹を感じながら、何度も道草を食って奥のカウンターにたどり着くと。
そこにはよく磨かれたガラスケースが置かれていて、きちんと並べられた原稿用紙と、高そうな箱に入った万年筆が収められている。

そして、そのケースの向こうには、どっかりと腰かけた岩のような風貌のおじいさん。

というような景色が、青木さんの文章を読み進めるうちに、勝手に私の頭に流れ込んできました。

青木さんの文中には、そこまで具体的な店内の描写はないのですが、私が小学生のころに通い詰めた団地の中の文房具屋と、今でも鮮やかに思い出せるそのお店の佇まいと、においを、青木さんの文章は一気に蘇らせ、「青木さんの物語」を「私の物語」に変えてしまったのです。

そうなってしまえば、物語の主人公は青木さんではなく「私」
おっかない文房具屋さんを前に冷や汗をかき、毎日それでも原稿用紙を買いに行き、「松」印をスタンプカードに押してもらう。
もはや、文章を読み切るまで私は、この世界から出られなくなってしまったのです。

文房具屋の強面おじいさんはいつも、戦争ものと思しき本を読んでいました。

私は、自らの内に膨れ上がった数々の物語のうち、養父から聞いた「戦中に食べた青いバナナ」の話を取り出します。

そして、文房具屋で買った原稿用紙に綴ったその物語を、紐でくくり、スパイのようにおじいさんの前にすっと置いて、様子をうかがいます。

すると・・・、

「バナナか」

と言って、おじいさんは原稿を読んでくれた上に、戦争へ行って同じようにバナナを食べた体験を、夜になるまで、楽しそうに私に話してくれたのです。殺戮の話は一切なく、ただただ、戦地でバナナを食べ、そこにおっかない上官や現地の人が出てくる笑い話を。

そんなおじいさんと私の交流は続き、私は作家デビューを果たしますが。

文房具店はだんだんと、休業する日が増えていきます。

そこへ忍び寄る、コロナウイルス・・・。

病と齢に蝕まれる体を押して、おじいさんが毎日店を開けていた理由。

そこにたどり着いたとき、どっと涙が溢れました。


青木さんは、プロの作家として活躍されている方です。
「感動させよう」と思えば、いくらでもそういう話は書けると思います。

けれども、プロの作家として、何百枚、何千枚、何億枚の原稿用紙の細かいマス目を、一文字一文字埋める「修業」を極めた方だからこそ、伝えられる物語がある。

青木さんが、文房具屋のおじいさんから買った、あるいは譲り受けた、天井にも届く量の原稿用紙が、この物語を築いている。

デジタル化が進み、コスパやタイパといった言葉が重視されるようになり、「重さ」や「時間」はどんどん排除されている今日ですが。

青木さんとおじいさんの間を行き交った、親密な時間と原稿用紙の山の重さは、何にも負けない厚みと輝きがある。

この厚みと輝きを前にして、おそらく青木さんの1/100も文章を書いていない私は、ただひたすらぺちゃんこになるしかなく。

「こ~んなすっげぇ文章が応募してるんじゃ、受賞なんてムリ、ムリ!!」
「というか、この文章と作家さんを応援する側に回ろう」

と、アッサリ方向転換したのでした。

そんな引用元の文章はこちら↓ まあもう皆さん、読んでますよね・・・。


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