母という女

天然ボケは時に笑顔を、時に殺意を呼ぶ。

我が家にはがっつり天然ボケの母とやんわり加齢ボケの父がいる。それなりに高齢なので、多少の加齢ボケはやむなしとして、天然ボケのほうは非常に厄介だ。将来母が本格的にボケ始めた時に「それ」が天然によるものか加齢によるものかの判断はさぞ困難と思われる。

母の天然ボケは時と場所を選ばず発揮される。祖父が入院中「ICU(集中治療室)に運ばれた」という看護師の説明を「足湯に運ばれた」とカン違いして、頭のてっぺんから特大のはてな?マークを飛ばしていた。状況が状況だけに私も笑い飛ばすことができず、院内にも関わらず大声で「I!C!U!だ!よ!!!」と叫んでしまった。母親に怒号をあげたのは後にも先にもこれ一度きりだ(と信じたい)。

その後祖父は他界したのだけど、生前から祖父の介護をしていた伯母が粛々と葬儀の手配をするなか母は泣きどおしで役に立たず、葬儀当日はお経のリズムに笑いを堪えてモジモジするというトンデモコンボをキメた。この血が自分にも流れていると思うと恐ろしくてたまらない。

さらに恐ろしいのは、こうやって取り上げてみればひとつひとつのエピソードは強いけれど、その頻度が高いので全体の印象はぼんやりと「ただなんとなくやばい」どまりになって、家族以外の人からは面白いねー、くらいの扱いになっているところだ。

とはいえ先述のICU事件をはじめ、いわゆる鉄板ネタになっているエピソードもいくつかある。たまに家族が揃うとそれらが話題に上がるのだが、それはもはや語り継がれた伝説のようなものなので、事実があやふやになって記憶で補完されているところもある。そもそもが天然ボケの起こした出来事なので超常現象の記録みたいなものだと考えた方がいいのかもしれない。

本人がお気に入りのエピソードに『コミヤノコブ事件』がある。新聞に「子宮のこぶ」という見出しと女性の顔写真を見た母が「こみやのこぶ、なんて変わった名前だわぁ。でもそう言われてみれば名前どおり変わった顔してる人ね」と思った、という話。要は女医が子宮癌の早期発見の大切さを語るコラムを見て、タイトルを女医の名前とカン違いした、というだけの話だ。

……が、この話は幾度となく話題にあがったせいで妙な歪みをはらんできてしまった。実は女医の名前が本当に「こみやのこぶ先生」で、たまたま子宮癌について語っていた記事だったのかも知れないという歪みだ。お名前だとしたらかなり珍しいものだし、ざっとググってもそのような名前の先生はいらっしゃらないのだが、そこは天然のエピソードである。なにが本当でなにがボケによるものなのかがはっきりしないのだ。

それでも母はこのエピソードを武勇伝のように繰り返し話すので、家族はあーそんなことあったねー的な反応になってしまい、オチがなんだったのかにもはや興味を抱かなくなっている。

遠くない未来のある日に彼女が死んだ時、これが思い出話のひとつになることは確実なのにオチがぼんやりしているのもなんだかなぁと思いながらも、真相を確かめるのも面倒でそのまま『コミヤノコブ事件』というお題目だけが独り歩きしている状態が続いている。

つい先日彼女がまたなにかやらかしたそうで、今度うちに来たら教えてあげるねと意気込んでいる。元気そうでなによりだ。


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