サロゲートのリアリティ

仮想現実世界で生きる人間の近未来を描いた映画で話題となった作品がいくつかある。その中でも有名なのが『マトリックス』(1999)、『アバター』(2009)。

前者の作品には公開当時鑑賞して大きな衝撃を受け、会う人会う人にその作品を語って聞かせたものだった。

一方後者の作品は有名監督の手掛けた大作だったためか大々的に宣伝された割には、青いキャラクターが散々いじられて終わった感があった。

その同じ年、とても似たコンセプトの作品があった。それが『サロゲート』(2009)だ。見た当時は凡庸な作品だと感じた。実際にストーリーをほとんど覚えておらず、この文章を書くにあたって内容を確認したくらいだ。けれども、この作品はオープンニングの映像が強烈でそれが記憶に残っている。

そこで描かれる近未来は、人間は家にいて、自分の脳と繋がった身代わりのロボット(サロゲート)が自分の代わりに社会生活を代行するという世界だ。現代で例えるとIoT(インターネットに繋がったデバイス)化したロボットが自分の代わりに外に出て仕事も、買い物も、デートさえもこなしてくれるというイメージだろうか。

作中、殺人事件が起きたことで、ある若い白人女性のサロゲートの「中の人」が中年の太った男性であることが明らかになる。

当時はこのサロゲートを人間の欲望や願望の問題として捉えていたけれども、感染症が流行し、もう一方で暴動が起こっている世の中で、生身の人間として外に出ることが危険な世界というものを、リアリティを持って感じられるようになった。

偏見がなくなり、物事が公正に扱われるのが理想ではあるけれども、もし、自分の容姿によって命の危険にさらされる社会で生活しなければならないとしたら、大衆が好むイメージを体現したようなロボットを自分の身代わりにして生活したいと思う人もたくさんいるのではないだろうか。

Twitterなどのアイコンにかわいい子供や、アニメのキャラクター、人気アイドルなど、無垢で無害なイメージを利用しながら、恐ろしく攻撃的な呟きを吐き続ける人もいるので、怖い側面もあるが、意味もなく殺される人を見ると、サロゲートを使って生活する世界というのがリアリティのある未来として見えてくる。


余談だけど、『アバター』と『サロゲート』は内容からするとタイトルが入れ違っている気がする。

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