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生き方の多様性を許容してくれるのが学校ならば…

次男は学校嫌いです。

今年の入学当初より中1ギャップが始まり、5月のマイコプラズマもあって、通知表で見た欠席日数は大分多く、担任が個人的に家庭訪問に訪れるほど。

友人関係も色々なくはないのですが、中学校と言うシステムそのものに馴染めていないのは目に見えてわかります。

うちの学校と先生だけなのかもしれませんが、へんてこなんですよね、本当に、笑っちゃうくらい。

就活をする年齢の大人になると個性や独創性が尊重され求めらる筈なのに、芯から不思議なくらい、同調圧力を強要してくる異次元空間、それが中学校。
教員のみなさんは「社会に出て立派にやっていける大人にするために」と仰有っていますが、そんな皆さん、教員以外の社会知らないではありませんか。
(これは他校の先生の話ですが)給食の残食ゼロを指導しながら宴会の料理は残し、酔っぱらって店のセキュリティシステムを押しまくるのも、先生方ですよ。

靴下は何がなんでも白
夏の半袖Tシャツは夏服のワイシャツからはみ出してはいけない
許可がおりるまで衣替えはしてはいけない
文化祭の展示は、仲間はずれができないようにみんな仲良く並んで見学しましょう。

この炎暑に、エアコンもない学校に、許可なく水筒を持参してはいけない…
…流石に危険を感じて学校に電話して要望をするも脚下された翌日に愛知での小1死亡事故のニュースが流れ、慌てて許可を下ろす学校。
同調圧力のお陰で判断まで鈍ってしまっているそのご指導で、子供たちに臨機応変をどう教えるのでしょう…
決して個々の先生方を責めるつもりはなく、それでも

あのね、大人も、学校の先生も、絶対ではないし完璧ではないんですいろんな意味で。

そんな箱のなかで、いじめをなくそうっていっても、無理なの。
育ちも性格も違う人間同士が集まる箱のなかで無理矢理に「みんな仲良くしましょう」なんて、大人でも無理な話。
大切なのは「みんなと仲良くすること」ではなくて、「仲がよくない人がいても、人間なんだから当たり前」なことを認め合えることで、
「いまの環境になじめなければ、生き場所はいろんなところにある」ことを教えることなんじゃないでしょうか。
学校とそこに生きる人達がそういう、生き方の多様性を認めてくれたならば、夏休み明けに悲しいニュースが流れることも無くなるのになあ、と思っています。

因みに私はやはり小学生の頃集団生活に疲れる子供で、中学校ではいじめにもあっていたので、不登校にこそならなかったものの、十代を引きずって大人になった今でも大分生きづらい大人になりました。
文化祭の展示を仲間はずれができないように皆で並んで観ましょうなんて、地獄です。
せっかくその日は苛めっ子との接触が最低限で済むのに、余計なお世話(笑)クラスにいなくていいなら部活の子と一緒にいられるし、そうでなければ生徒会の繋がりだったり、一人が好きな子だって、いるんです。ねえ?
誰かと一緒にいなくちゃいけないわけじゃないし、給食のない日なら教室でお弁当食べなくたっていいじゃない。
教室の中だけでしか生きていちゃいけない訳じゃない。

それでも私が中学の頃意地でも学校に行っていたのは、高校生になれば友達も居場所も今より選べて楽になれる、と言うことに希望を持っていたからかもしれません。

でもそれは、あくまで私だけの話。

「こうあるべき」の縛りを周りの大人がとってあげないと。

次男は今日から新学期で、「気持ち悪い」といいながらも「行く」と言って自分の足で出掛けていきました。
私はそんな学校に一石を投じる想いで、出さないつもりでいた、文化祭と言う名の縛りだらけの学習発表会のPTA展示に出展したいと思っています。

「人と違うことをすることを、恐れちゃいけないよ、大人になったら、それが宝物になるからね

というメッセージをテーマに掲げて。

9月1日に行きたくないその場所は一つの場所に過ぎなくて、あなたの人生でそこが全ての場所ではないこと、
生きる場所はたくさんあるし、
大好きなもの、熱中できるものがあれば、それがあなたの生き場所になるから。

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