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人見知りな性格だと思っていたが、単に“オープンな私”を出していないに過ぎなかったお話 ~私、ライブ会場では人見知りしないんです(笑)~

え、意味不明かしら?(笑)
でもこういうタイトルが私の中でしっくりきてしまったから仕方ない。

私はライブ会場で人見知りを発揮しない。
寧ろ、ノリノリで初対面の方とお話したり友だちのように接することができている。
ライブ会場は共通の趣味の集まりであるから、初めましてだって話題は尽きない。
(もちろん、ライブ会場にいる方全員がオープンではないから、誰にでも話しかけている訳ではないが。)

普段の私は…まぁ、人見知り。
これでよく保育士やってるな…って思うくらい。笑
今でも子どもたちの前で“せんせい”をやるのは緊張する。(そして他の先生方にもバレている。苦笑)
保護者の皆様とお話する時も緊張する。(敏感な方には伝わってしまう…本当、申し訳ない気持ち。)

この「ライブ会場の時の私」と「日常での私」はどちらも「私」であるのだが、はてさて、人見知りがTPOによってこうも違うのはなぜだろうと。

それは、アイドルされている〇PさんがTVに映っている時に気付いてしまった。
私は人見知りではなく、八方美人になれないだけでは…?!ただ人間関係を構築したいという気持ちになっていないだけでは…?!と。(誤解を受けないでいただきたいが、〇Pさんが八方美人云々を言っている訳でも、他人と関わりたくない人だと言っている訳でもなく、以前TVで人見知りだと仰っていたのを思い出しただけ。これは私自身のお話。)

そう思うと、ライブ会場でのあのオープンな気持ちで人と関われるのも頷ける。
ライブ会場で一緒に楽しみ合う“仲間意識”とか、同じ“推し”のお話ができる環境が、「ここは私の中で“安全基地”である」という認識をするのかもしれない。
日常生活では、ネットの世界以外では極少数の人にしか“推し”の話はできていない。つまり、私自身、「私はこういう人間である」という“意思表示”を普段からしていないということ。(そういう話を周囲が求めている感じもないから自然と“封印”してしまうという視点もある。)

この無意識に“封印”している「私」にこそ、「オープンな私」の要素が殆ど含まれていて、“封印”している間は、残りの「人と積極的に関わりたくない私」の要素が強めに表出されているのではないか、というのが私の見解。
まぁ、オープンでい続けるのもエネルギーの消費が半端ないから、日常生活で“封印”を解いてしまうと生活が成り立たないのかもしれない。(笑)

なので、私は「人見知りな性格」というよりかは、「オープンな私」を普段出していないだけ。そして、そういう説明をするのがややこしい(面倒だ)から安易に人見知りです、と言っているだけに過ぎないのかもしれない、というところで着地した。
(ここであえて〇Pさんを出す必要はなかったのかもしれませんが、気付きのきっかけを与えてくださったので、すみませんが書きました。汗)

noteのおかげで、私のことを私自身少しずつ分かってきたような気がして何だか嬉しい。
そして、これが私得以外の誰得にもならないという、通常運転でおしまい。




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