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ボランティア精神について/線引きのはなし(2月後半の日記)

きのう、ここ1か月ほど準備してきた、こども会のイベントだった。50人くらいの子を集めていろんなレクリエーションをした。無事おわってよかったよかった。次年度の担当者さんへの引継ぎの会もやって、実質、子ども会(育成会)の役員としての活動はこれでひと段落。終わってみれば、これはこれでちょっとさみしい。

「ここ1か月ほど」と書いたけれど、いや、1か月じゃないわね……? 12月にクリスマス会があったからその準備をしてて、1月は正月明けくらいからきのうまで、会の準備や引継ぎの準備などをなんやかんやしていたわけで、12月初めころからなんだかんだずっと頭の片隅で子ども会イベントの準備のことを考えていた気がするな。

「なんだかめんどうくさいなあ」というのが根底にありつつも、人とかかわることはおもしろい。

こういった当番制のボランティアの活動というものって、ほんとに、ひとによってかかわり方が違うものなんだなあというのも1年やってみて勉強になった。給与が発生しない、という大前提がある作業において、どういうふるまいをするか。「同じ町内で、同世代の子どもを子育てしている人」だけのつながりと言ってしまえばそれまでだけれど、人間というのは、みんなが生き生きとリアルタイムにいろんなものを内包しているナマモノで、そういうことに疲れたり戸惑ったりすることもたくさんあるけれど、やっぱり共同作業はその化学反応も含めて楽しいなということを1年間やってみておもったりした。単純に、お楽しみ会を企画して子どもたちが盛り上がってくれるのをみるのはうれしくてたのしい。

わたしは持ち前のおせっかいさを発揮し、イベントにいろんな音響やマイクセットを持ち込んだりわかりにくい資料を全力でわかりやすくしようと図解を追加したりして、たのしかった。それらが最善だったかはわからないけれど、一緒に役員をやったママたちの「めぐみさんのつくる資料すごいわかりやすい」「ほんっとにさあー、こういうのまとめるのが、上手ですよねえ……」などの言葉を信じることにする……。信じる力……!

これは、昨年の今頃、前年の人からの引継ぎを終えたころの日記だけれども、

まあ、さほど前向きな始まりではなかったが、終わってみればたのしかったな。みなさん穏やかで仕事できる人ばかりだったのも大きい。

ただしかし、これをもっと続けたいか? と言われたら、またそれは別のはなし。というか、これ、もし給与が発生する仕事とかだったらもうちょっと入念に段取りをくんだりリハーサルを重ねたりして皆がコミットできるのかなあ、と思ったりするので、なんというか、来年度はもうちょっと、仕事(対価が発生するという意味での)をがんばりたいと思いますね。

このまえ、しいたけ占いをぼんやりみていたら、「水瓶座は生活の中にボランティア行為を抱える」みたいなこと書いてあって、ああ、なんかとてもわかるなあと思った。

わたしはどうも、良くも悪くもボランティア精神が基本姿勢になりがち。それに対してどれだけの対価が得られるかということを度外視して、なんかわたし、気が付いたらめちゃくちゃ全力をつくしてない? とか、なんか、だれにもその方向性での努力を要求されてないのに、勝手に責任を負ってません? ということが多い。視野狭窄になりすぎないようにしたい。「ここまではできる」「ここからはできない」の線引きをきめる。

線引きを決めても、一度決めたことを「本当にそれでよかったのだろうか」と迷うことがあったり、あれは一時の気の迷いだったのでは、と思ったりすることもあるだろう。しかし、迷うのが通常運転だ、ということを、心の奥底できちんとわかっていれば大丈夫。

このまえ誕生日をむかえて41歳になった。40歳は「不惑」と呼ばれるもののわたしは40過ぎてもあたりまえのように迷ってばかりなわけだ。しかし「迷ってばっかりだけれど、それはそういうものだ」と開き直っているという意味では、全然迷わなくなったと言えよう。

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