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大切にしたい、わたしを導いてくれるもの

今朝から、難しいことをいろいろと考えていて、今少し昼寝をしていたのだが、
「あぁもう考えるのやめやめ!」
と急に思って起き上がった。

私は山本ふみこさんの書かれる文章が本当に好きで、なぜ好きかと問われれば、「そこにはほっとするひと言がいつもあるから」かもしれない。

いまも、その昼寝から起き上がり、読みかけた山本ふみこさんの本を手に取り、また寝転びながら読み始めたのだが。

朝から日月神示など読み漁り、悶々と考えていた私に答えをくれるかのような文章がそこにあって、これは自分のためにも書き残しておきたいとnoteを開いていま書き始めたところである。

そこには『日常愛』ということについて書かれていて、

日常愛とは何か。
「生活様式への愛着です。大切な日常を崩壊させた戦争や災害の後、人は失われた日常に気づきます。平和とは、日常を取り戻すことです。(毎日新聞より)

 文中にある、詩人・長田弘さんのことば

少なくともわたしは、「日常愛」に目覚めなくてはならない、と思うのです。
この愛しい日常の値打ちを噛み締めたいと、思うのです。
噛み締めて、「ちょっと黙りなさい」と自らに向かって云う。
「文句や愚痴を云ってるんじゃないわよ」
「不運をひとのせいにしたりするんじゃないの」
そんなあきれたことをしている暇があったら、日常を大事に大事にして、その中で、生きる力を身につけることですよ。何か起きたときに、役立つ力を。

山本ふみこ『あさってより先は、見ない。』 


〝そんなあきれたことをしている暇があったら、日常を大事に大事にして、その中で、生きる力を身につけることですよ。何か起きたときに、役立つ力を。〟

この言葉が、ごろんと寝転んで読んでいた私の目に入った瞬間、ハッ!と私の目を覚まさせ、同時にハッとして起き上がった。

この先の生き方についてなど考え、煮詰まっていたのが、このひと言で解決してしまった。

「私はこの、いま私に与えられた日々を大切に生きることを忘れてはならない。
その日常を生きる中で、自分に必要だと思うことを身につけていったらいいんだ。」
と思った。
先のために今どうしたらいいかではなく、今、この瞬間、自分の日常をしっかり生きることに心をよせなければならないと思った。

それにはなにもあれこれ思い悩んだり、難しく考えて生きる必要はない。
と教えられたようで、心底ほっとできたのだった。

自分はどんなふうに生きていきたいのか?は
私にとっては山本ふみこさんの暮らしや考え方が一番いい手本になりそうと再確認。
自分が一番ほっとするほうを選んでいこう。

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