心書家 めぐさん

岡山在住の心書家です! 誰もが自分らしく生きられる世の中目指して活動しています。 ここ…

心書家 めぐさん

岡山在住の心書家です! 誰もが自分らしく生きられる世の中目指して活動しています。 ここでは、今までのこと、日ごろ感じたことや、心がけていることなどを、書いていきます。 よろしくお願いします☆彡

最近の記事

心書講座🖌本格的に活動開始✨

出店を経験したことで ささやかな自信を得たわたしは せっかく資格を取ったんだし どうぜなら、心書の素晴らしさを これからも伝えていきたい❗️と思い 当時お世話になっていた 楽読岡山スクールのさわさんに 講座開催の相談をしました。 するとなんと その教室をお借りして 心書講座をさせて もらえることになったのです🙌 とはいえ、超アナログなわたし💦 チラシは文字だけの手書き🖌 名刺も手書き🖌 テキストも手書きの手作り📝 SNSもフェイスブックがやっとの状態😅 講座費をいた

    • 昔話や民話からわかること①

      ~毎日配信される音声から気付いたことなど書いています~ ウサギとカメのお話 カメは、コツコツ頑張ったから勝てた ウサギは、能力にあぐらをかいたから負けた 普通はそういわれてる じゃぁ、ウサギは悪い人で、カメはいい人? ウサギはずる賢くて、カメはお人よし? なんで、カメは、寝てるうさぎを、 起こしてあげなかったんだろう? そもそも、カメは、 なんで苦手で不利な勝負に乗ったんだろう? 深読みしていくと、 あれ?ってことが出てくるんだけど(苦笑) このお話の大事なこと

      • 出店に挑戦してみたら…

        いざ初出店してみると 災害支援への想いが通じたのか ありがたいことに初日から 作品を購入してもらえたり お名前書を依頼してもらえたり しました!(*´▽`*) わたしの手からうまれたものが 見ず知らずのひとに選んでもらえて 対価がいただける それがまた 誰かのお役に立てる… あの、最初の一枚が 売れたときの感動は 今でも忘れられません💗 そして 一枚のハガキが売れたとき わたしは、なんだか これからは、誰でもない 大塚恵というひとりの人間として 自分らしく生きて

        • 出店に初挑戦🖌

          心書を教えて!と言ってくれた Kくんに、なんとか 心書を教えることができたので 後はしばらく、自分で 心書をゆっくり 楽しもうと思ってました。 まだまだ初心者だし 作品を売るだとか 依頼を受けて書くだとか 当分先のことと思ってました。 ところが当時 熊本地震が起こり 災害支援活動をしていた NPO法人め組ジャパンに それぞれの売り上げの一部を 心書協会でまとめて 支援金として送ろうという 呼びかけがあったのです。 わたしは、以前から め組ジャパンを知っていたので

        心書講座🖌本格的に活動開始✨

          いよいよ心書講座開催へ

          心書を教えることができるようになると デモ講座に、さっそく 職場の仲間が集まってくれました。 応援してもらえることに感動でした💓 習いたいと言ってくれてた Kくんも参加してくれて 次は仲間を誘って お試しワークショップを 開催してくれました🖌 その日はわたしの 誕生日の次の日だったので なんと💝サプライズで みんなでお誕生日のお祝いも🎂 してくれたんです🙌 心から手放しで 笑い、喜び、楽しんだのは 何年振りだろう🎶💞 新しいスタートを みんなで心から応援してくれる

          いよいよ心書講座開催へ

          心書トレーナーを目指すことに…

          心書を始めてから いろんなコミュニティーに 参加できるようになったわたしは ある日のシェア会で いつものように 心書の話をするだけでなく 目の前で楽しく書いていると 突然、ひとりの若者から 「心書、ぼくに教えて!」 と言われたんです。 当時のわたしは 人様に教えるなんて想像もできず まだまだ習いたてで 当然教えられるはずないのに なぜかそのとき 「いいよ~」 と即答してしまったんです💦 今振り返っても なぜそう即答してしまったのか 不思議でなりません✨ でも、

          心書トレーナーを目指すことに…

          心書に出逢ってから③

          心書に出逢ってから、 わたしが一番変わったことは、 初めてのコミュニティーの中に 入って行けるようになったことでした。 それまでは、 いろんなセミナーやライブ、 映画会など、 行くのは大好きだけど 自己紹介や、感想のシェア などは苦手だったので、 いつでも影薄ーくしていて シェアタイムでは 当たらないようにと願い サイン会も わたしなんかより 必要な人がいっぱいいるからと 勝手に遠慮して 懇親会などは 勇気がないので参加せず 本題が終わったら早々と フェイドア

          心書に出逢ってから③

          父と心書①

          心書を始めてから、 「感謝」の気持ちを、 まず実家の両親に贈りました。 一番に変化があったのは父でした。 その数日後、 久しぶりに実家に立ち寄ったら それぞれに書いたものが 額に入ってリビングの壁に おさまっておりました。(〃▽〃) TVの真上だから 嫌でも目に入る(苦笑) 毎日眺めてるの~?って聞くと なんと父の口から、 「わしゃぁ、最高の幸せ者じゃ。  最高のおかぁがそばにおって  娘も息子も最高にええ。  これほどの幸せ者はおらん!」 (岡山弁で失礼)

          兄がおしえてくれたこと⑥最終

          小さい頃からの兄のことを 走馬灯のように思い出しながら 泣けて泣けて手が止まってから すでに二時間以上経っていました。 そして、わたしは 本当は悲しかったんだ! 本当は辛かったんだ! 才能あふれる五体満足な 兄が先に旅立って ろくでもないわたしが 生き残ってしまって 申し訳なくてやりきれなくて 忙しいのを言い訳にして 忘れてたふりしてたんだ! そのことにやっと 気付くことができたのです。 そして、兄は 亡くなって13年以上経ってもなお こうしてわたしを導い

          兄がおしえてくれたこと⑥最終

          兄がおしえてくれたこと⑤

          兄は、某企業の研究室に 就職していました。 ところが、バブルがはじけて 景気が悪くなったころ 独身でお人良しの兄は ていよく関連子会社に 飛ばされていたようです。 某企業にずっと勤務してると 思ってたわたしは 亡くなってから そのことを知りました。 それでもめげずに 兄は置かれた環境で 研究だけでなく クレーム修理なども担いながら 不器用ながらも 懸命に働いていたようです。 一番驚いたのは、 片付けた部屋の片隅の 積み重なった本の間から 特許を取った時の表彰状の

          兄がおしえてくれたこと⑤

          兄がおしえてくれたこと④

          とにかくあまりにも 急に亡くなったものだから、 普段の交遊もわからないし 会社以外どこにも連絡できずに 葬儀を済ませました。 唯一、携帯の履歴に 何度も同じ番号が残っていたので その方にだけ ショートメールを打っておきました。 ですが何の連絡もなかったので 不器用な兄のことだから そんなに友人も いなかったのかもしれない と思っていました。 すると、 七回忌が終わったころから ぽつりぽつりと 連絡がきだしたのです。 兄は亡くなるときは、 大阪に住んでいたのですが

          兄がおしえてくれたこと④

          兄がおしえてくれたこと③

          兄は今でいうオタクタイプ(苦笑) 不器用で純真 お世辞にもモテるタイプでは なかったですが 好きなことは あきらめずとことん取り組み わたしには、キラッと光る才能が うらやましいと思うこともありました。 要領の良いわたしは 女の子ということもあってか 父から可愛がられてましたが 優しいばかりで 要領の悪い兄は 父から厳しくされていました。 兄からしたら 小さい頃から病気とはいえ 母を独り占めし 父からも可愛がられて きっと疎ましい 妹だったと思います。 一般庶民で

          兄がおしえてくれたこと③

          兄がおしえてくれたこと②

          兄が亡くなった時は、 ちょうど父も、 ガンの疑いで入院していたので 我が家はもうてんやわんやでした。 気丈な母も、 さすがに落ち込んでしまったし 兄は独身だったので 会社の手続きから 住居の引き上げから何まで わたしが手伝うこととなりました。 そういうわたしも ちょうどデイサービスで 働き始めたばかりで 有給はないし、息子も8歳 休みの土日祝は 子供を連れて、ほとんど 兄のことで走り回って 泣く暇なんてありませんでした。 一周忌も三回忌も七回忌も 涙が出ること

          兄がおしえてくれたこと②

          兄がおしえてくれたこと①

          わたしには、 1つ違いの兄がいました。 病気がちなくせに おてんばなわたしは、 小さい頃は、兄や兄の友達と よく遊んでいました。 ですが、 小学校一年のとき入院をして 三か月ほど学校を休んでからは 一緒に遊ぶことがなくなりました。 元々趣味やタイプも違っていたので それからは遊んだ記憶がありません。 中学までは 一緒に暮らしていましたが、 兄が高専高校に進学して 寮生活になってからは、 お盆とお正月くらいしか 会うこともなくなりました。 それが、わたしが結婚し

          兄がおしえてくれたこと①

          心書に出逢ってから②

          たったひとりの人のことを想って 感謝やありがとうを書く… 心書の基本を習ってから わたしはまず家族にあてて 感謝やありがとうを 書いていきました。 一番に心に浮かんだのは母でした。 小さい頃から存分に 愛をそそいでくれた母 今でも、心書二級講座のとき デモンストレーションで 「感謝」を書くときは、 たいてい母の顔が浮かびます。 次は、息子です。 彼が生まれてなかったら 今の私はありませんから いつも元氣で活き活きと 悔いのない人生を 送ってもらいたいと 願いな

          心書に出逢ってから②

          心書に出逢ってから①

          いろいろ習ったものの中で、 「心書」は、私生活だけでなく 職場でも実際に使えるものでした。 ▽心書については、こちらをご覧ください。 http://sinsho.net/ https://sites.google.com/view/megumifude/ ただただ 相手のことを想って 願いながら 祈りながら綴る 「感謝」や「ありがとう」は いろんなミラクルを 起こしてくれました。 元々文章を考えたり 書いたりが苦手だったので 「感謝」「ありがとう」だけでも 想いを

          心書に出逢ってから①