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わたしの服作り記 '20〜

「服を作ったりしてます」というと大抵の方が「へー、じゃあ服飾の学校とか行ってたんですか?」 と云われます。 「いえ、学校は行ってません」というと「へー、じゃあ我流ですか?」と返ってきます。「まあそんな感じです」と答えるあたりで正直ああめんどくさいなとなってきます。『服は学校を出ないと作れないもの』とゆう、多くの人がもっているであろう固定概念に、これまで幾度も出くわしてきました。

昨年少しの間Y'sに居たときのこと。社員の方達と服の話をしたりヨージ氏の現況も教えて頂けたり服を眺めてはうっとりしたりしていました。 そこでも聞かれのは、「学校とか行ってたんですか?」で、おそらくわたしが社員の方に「この型を一体どうやったら量産できるんですかねすごくないですか」とか、「ここにこのパーツって流石ですよね」とか、暑苦しい感じに言っていたからですが。。そんな衝動を覚えたのも久しぶりでした。


「独学なんですかすごいですね」と言われた時は大体こう答えます。「はいほぼ独学ですが、個人的に教えてもらったり本を参考に試作したり色々です」と言うものの、双方無駄にモヤモヤしたまま終わります笑。解ります。理解しにくいのも理解されにくいのも、解ります。なので昨年、ZINE「Introduction」をつくる際、自己紹介の意も込め服をつくるきっかけを書きました。

きっかけは2002年に、当時3歳の息子の服をつくったこと。それが本当楽しくて、それから服作りにのめり込みました。そんなある時、テレビで立体裁断という服作りの手法を知り、わたしは軽い衝撃を受けたのでした。なにこれ、、面白い、、と。 2003年に入った頃、服に関わる人が集まるOpen clothesというオンラインコミュニティに参加しました。そこは縫製工場の工場長や現役のデザイナーやパタンナー、服飾学校の先生や生徒など、服に関わる色んな方が情報交換や交流をする場。 2003年頃といえば、丁度ファストファッションが台頭し始めた頃でした。

ある工場長さんが「中国で何トン生産してる」「布は包丁で切るもんだ」 「中国人に教えても何も覚えてくれないしもうムリ」とか、そんなようなことを言っていて、わたしの知らない服の世界にまた衝撃を受けたのでした。 服が何トンレベル? 中国でそんな大量に生産してしまっていいの? 同じ服でも、まるで別世界のことのような話が沢山あって。それにこのモヤっとした違和感はなんなのだろうと。 そこからわたしもパタンナーさんにお願いして小さなブランドを立ち上げたのですが、何かがしっくり来ず。これはわたしが本当にやりたいことだろうか、と。

パタンナーにお願いしてサンプルをつくり小ロットで生産する。何か違う。これじゃない。やっぱりわたしは自分で服をつくりたい。


そこから立体裁断を教えてくれるというF氏と知り合いました。F氏はフランスのある服飾学校を主席で卒業しシャネルでスタージュした後、日本に帰国して活動しているデザイナーでした。F氏から数度に渡り立体裁断を教わったのですが、F氏はフランスに居た頃の話をよくしていました。フランスの服飾学校ではどんな風に教わるか、日本の服とヨーロッパの服に対する意識の違いなど。おそらくですが、F氏は優秀だったために自分が学んだやり方が一番と思っているようにわたしには見えました。

服はこうつくるべき。日本は着物の国。
そんな本参考程度でいいよ。服といえばフランスだから。

あの。あなたの服に対する価値観は理解できるし
立派な経験をされているのもリスペクトに値しますけど
それを押し付けないで頂けます?
そういうの、わたしキュークツなんです・・・
というわけで、教わることは教わり
その集大成が紙3枚。笑

F氏が通ったフランスの学校では実践がほとんどらしく、先生は手本を見せ、必要な時のみ質問するぐらいで、殆どは生徒が自分で進めるのだそう。わたしが持っていた立体裁断の基礎理論という本をF氏が鼻であしらったのも頷けます。

その参加していたオンラインコミュニティでもよくどの作図方法がいいとか、どの服飾学校が優れているとかそんなやり取りが為されていました。わたしも段々、それが何かしょうもないことのように思えてそのアパレルコミュニティを去りました。

当時、子どもがまだ小さかったのですがこの頃はとにかく創作意欲に燃えていました。ほとんど何かに取り憑かれたかのようでした。

それから約20年が経ち、世の中には服が溢れ、生産サイクルも消費サイクルもますます早まっています。これ以上服なんて居るのだろうかと、その想いが拭えず、この数年は服への創作意欲も萎えていました。

そんな折、オートクチュールデザイナー中里唯馬さん主演の映画『燃えるドレスを紡いで』を観れたことはわたしに必要だったことのように思えました。映画を通じ、何か灯火を繋いで貰ったような気持ちになって、映画を観ながら涙がでました。

中里さんはこう仰っています。『服はもともと、家庭でごく当たり前に縫われていたもの。現在は生産して着るまでの距離がとても遠いものになっているけれど、顔の見える人がつくったものを着ることは実はとてもシンプルなことで、服の原点に近づくということ』

わたしが思っていることも似たようなことです。

服は、服飾学校を出た少し特異な人達だけがつくるのものではなく、ごく当たり前に料理したり、DIYしたりするのと同じ感覚で家で服をつくれたら、きっと楽しい世の中になるだろうなあとそう思ってます。

『その服どこで買ったの?』で始まる会話が『その服どうやってつくったの?』になったら、消費そのものが大きく変わることでしょう。

お金でものを消費する現在から、自分で価値をつくり出す時代。
一人ひとりの個性が輝く時代。
そんな未来を見てみたいと思いませんか?


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